4.疑心暗鬼のアヴァロン 〜初心者はマーリンの夢を見るか? その3

 俺の目の前に、「成功」と「失敗」のカードが二枚、裏向きに置かれた。

 俺と冴子さん、そして権田さん。このクエストの成否は、この3人に託された。


 いや、違う。冴子さんと俺は「成功」を出すしかない。つまり、このクエストの運命は、スパイである権田さんの、ただその一存にかかっているのだ。


(頼む! 権田さん! あんたも脳筋である前に人間だろ! 空気読んでくれ! ここで失敗を出したら、百パーセント俺が疑われるんだ! 初心者への洗礼にしては重すぎるんだよ!)


 俺は血の涙を流しながら、心の中で権田さんに必死に懇願する。俺の視線に気づいたのか、権田さんはニヤリと笑い、見せつけるように一枚のカードを掴んで、テーブルの中央に伏せた。


 その顔は、確信に満ちていた。

「お前を、地獄に突き落としてやる」と、雄弁に物語っていた。


 終わった。俺の人生(バイト時給換算)は終わった。


 全員がカードを出し終え、店長がシャッフルする。その時間が、永遠のように長く感じられた。


「では、オープンします」


 店長が、一枚、また一枚とカードを表にしていく。


 一枚目――「成功」。

 二枚目――「成功」。


 頼む、三枚目も成功であってくれ!

 だが、神は俺を見捨てた。

 三枚目のカードに刻まれていたのは、無慈悲で、絶望的な、漆黒のドクロマーク。


「――失敗」


 店長の静かな宣告が、店内に響き渡った。

 クエスト失敗。その事実は、俺がこの場で裁かれるべき罪人であることを示していた。


「……さて」


 氷の刃のような声だった。立ち上がった冴子さんが、冷徹な検事のようにテーブルを見下ろす。


「このクエストにいたスパイは、権田さんか、潤くん。二人のうちのどちらかですわね」


 権田さんが、待ってましたとばかりに立ち上がり、俺を指差した。


「俺じゃねえ! 俺はアーサー王に忠誠を誓った騎士だ! 怪しいのは初めからコイツに決まってるだろうが!」


 そうだ、その通りだ。客観的に見れば、挙動不審で、しどろもどろで、明らかに怪しいのは俺の方だ。

 テーブルを囲む全員の疑いの目が、一本の槍となって俺の心臓を貫く。


 もうだめだ。何を言っても信じてもらえない。俺は完全に詰んだのだ。

 やがて、運命の時が来た。最後のクエストメンバーを選ぶ、最終局面。

 リーダーになった常連客が、苦悩の表情で腕を組む。


「どうする……。もう一度、潤くんを信じてみるか……。それとも、権田さんを……」


 もう、どうにでもなれ。

 追い詰められ、思考能力が完全にゼロになった俺の頭の中で、何かがプツンと切れた。

 時給も、プライドも、もはやどうでもいい。

 俺は、半ば泣きながら、魂の底から絞り出すように叫んでいた。


「も、もう……知りませんっ!」


 ビクッ、と全員の肩が揺れる。


「でも! でもっ! 権田さんと、影山さんだけは……絶対に嫌です! この二人以外なら! もう誰でもいいです……っ!」


 それは、論理も戦略も放棄した、ただの感情的な叫びだった。

 自分を陥れた権田さんと、もう一人のスパイ(だと俺だけが知っている)影山さん。この二人が生理的に無理だ、という、ただそれだけの、子供の癇癪のような言葉だった。


 シーン……。


 俺の叫び声だけが、静まり返った店内に響き渡る。

 やっちまった。完全にキレて、わけのわからないことを口走ってしまった。もう社会的に俺は終わりだ。

 だが、次の瞬間。

 俺の目の前で、信じられないことが起きた。

 それまで冷ややかに俺を観察していた冴子さんの目が、カッ、と大きく見開かれたのだ。

 まるで、天啓を得た預言者のように。


「……! そういう、こと……!」


 冴子さんが、震える声で呟く。


 え? 何が?

 すると、冴子さんの言葉に呼応するように、他の善良な騎士たちも、次々と何かに気づいたように顔を上げた。


「まさか!」


「そういう意味だったのか!」


「権田さんと、影山さん……!」


 え? え? なに? どういうこと?

 俺だけが、完全に状況から取り残されていた。

 すると、名探偵が事件の真相を語り始めるかのように、冴子さんがゆっくりと口を開いた。その指は、まっすぐに俺を指している。


「皆さん、分かりましたわ。潤くんの今までの奇妙な言動……あれは全て、演技だったのです! 我々を欺き、スパイの目からも逃れるための、血の滲むような演技だったのですわ!」


(え? 演技?)


「彼は、マーリンなのです!」


 冴子さんの高らかな宣言に、騎士たちが「おお…!」とどよめく。


「彼は、自分の正体がバレるという最大のリスクを冒してまで、私たちに最後のヒントをくれたのです! あの叫びは、癇癪などではない! 『権田さんと影山さんがスパイだ』という、命懸けのメッセージだったのですわ!」


(ち、ちがう! 俺はただ、あの二人が嫌いなだけで……!)


 だが、俺の心の叫びは誰にも届かない。

 冴子さんの完璧すぎる(そして間違っている)推理によって、善良な騎士たちの結束は、鋼鉄のように固まってしまった。


「そうか! だから彼は、自分が疑われると分かっていながら、あのクエストに行ったんだ!」


「全ては、我々にヒントを与えるため……!」


「なんという自己犠牲の精神だ!」


「潤くん、君こそ真の騎士だ!」


 俺は、あっという間に英雄に祭り上げられていた。

 権田さんと影山さんは「な…ぜだ…」「ありえない…」と顔面蒼白になっている。


 リーダーは、俺の(意図しない)メッセージ通り、権田さんと影山さんを完全に外したメンバーで最終クエストを提案。

 もちろん、満場一致で可決。

 そして、そのクエストは、当然のように「大成功」を収めた。


「やったぞ!」


「勝った! 善良な騎士チームの勝利だ!」


 歓喜に沸く騎士たち。

 その輪の中心で、俺はただ一人、ポカンと口を開けていた。

 勝った……らしい。なんでかは全く分からないけど。

 しかし、店長が静かに告げる。


「――まだ、ゲームは終わっていませんよ」


 そうだ。スパイ側の最後のチャンス。

【暗殺者】が、マーリンの正体を当てる、最後の審判が残っている。

 スパイ全員が顔を見合わせ、やがて暗殺者役だった影山さんが、ゆっくりと立ち上がった。そのメガネの奥の目が、ギラリと光る。

 影山さんは、冴子さんと俺を、交互に見比べた。


「これまでの議論を支配し、鮮やかな推理を見せた冴子さんか……。それとも、土壇場で神がかったヒントを叩きつけた、あの初心者か……。本物のマーリンは、一体、どっちだ……?」


 全員が固唾を飲んで、影山さんの選択を見守る。


(頼む! 冴子さんを選んでくれ! 俺じゃない! 俺はただの時給1500円のバイトだ! 背景の木なんだ!)


 俺は、神にも仏にも、ついでにアーサー王にも祈った。

 やがて、影山さんは長く苦悩した末、決意を固めた顔で、ゆっくりと腕を上げた。

 そして、一人のプレイヤーを、まっすぐに指差した。

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