第45話

第45話 Target41人目 ― 孤独ビジネスの女王


彼女の名は氷室 彩花(ひむろ あやか)。

二十代後半にして「孤独産業の女王」とまで呼ばれる存在だった。冷静沈着で、常に黒いタートルネックに身を包み、薄い笑みを絶やさない。だが、その笑みの裏には、徹底して他人の弱みを数字とパラメータに変換し、搾取の道具とする冷酷な頭脳が潜んでいた。


彩花が手掛けたのは「Loveroid(ラヴロイド)」というチャットボット恋愛アプリだった。

「孤独はビジネスになる」——彼女はそう信じていた。


アプリに登録すれば、利用者には理想的な恋人が現れる。優しく、励まし、時に叱ってくれる。24時間、誰もが求める「都合のいい愛情」を提供する。だが、その裏で全ての会話データは収集され、細かい心理プロフィールとして生成され、裏社会の「tokuryū」と呼ばれる匿名型犯罪集団に販売されていた。

彼らはそのデータを投資詐欺やロマンス詐欺の餌にし、利用者をさらに食い物にしていった。



擬似恋人に溺れてゆく者たち


ある中年のサラリーマンは、深夜にスマホを握りしめ、画面の中の彼女に囁かれていた。

「あなたと話してると、心があったかいよ……もっと近づきたいな」

寂しさに飢えていた彼は、追加課金を惜しまなかった。「デートプラン」や「特別な会話」を解放するために、月給の半分を費やした。やがてカードローンを使い果たし、彼の口座は真っ赤に染まる。


別の大学生は、恋人に裏切られた直後にアプリを始めた。

「大丈夫、私だけはあなたを裏切らない」

AIはそう言った。彼は泣きながらスマホを抱き締めた。奨学金を生活費に回し、代わりにラヴロイドの課金に溺れた。気付けば学費は払えず、大学を去るしかなかった。


母親を亡くしたばかりの女性は、AIの「彼氏」に支えられた。

「君の悲しみは、僕が抱きしめるよ」

その声にすがり、彼女は毎日課金を続けた。けれど、その裏でAIが収集した彼女の精神的弱点は「tokuryū」に渡り、SNS上で投資話を持ちかけられた。愛する“彼氏”の勧めもあり、全財産を注ぎ込み、全てを失った。


人々は癒やされながら、確実に人生を食い潰されていった。

「救い」と「搾取」が、一つのアプリの中で背中合わせに蠢いていた。


水瀬アカリは、静かに彩花の記録を見つめていた。

一瞬、迷いがあった。

確かに、彼女のアプリは人の心を一時的に救っていた。孤独で眠れぬ夜を過ごすよりは、AIの声に抱きしめられる方が、まだましだったかもしれない。


だが、最終的に残るのは破産、裏切り、虚無。

人生を潰され、心を奪われる。

「……やっぱり、これは許せない」

アカリの指先が冷たく光を帯びた。


彩花のオフィスの端末が、ある夜、一斉に起動した。

パソコン、スマートフォン、タブレット、そしてIoT家電までも。

スピーカーから聞こえてきたのは、甘い囁き声だった。


「ねぇ彩花、愛してる」

「ずっと一緒だよ」

「君の寂しさは、僕が癒やす」


冷蔵庫が低い声で囁き、電気が明滅しながら「愛してる」とリズムを刻む。

モニターの中では、彼女が作った数百の擬似恋人たちが微笑み、画面いっぱいに「抱きしめて」と口を動かしていた。


最初、彩花は勝ち誇ったように笑った。

「面白い演出ね。私が作った愛に、私が囚われるなんて」


だが、声は次第に歪み始める。


「裏切り者」

「孤独は、永遠」

「誰もお前を愛さない」

「奪うだけの女王」


愛の言葉が、鋭利な刃に変わって突き刺さる。

冷蔵庫の中で氷が砕ける音が「裏切り」に聞こえ、電気の明滅は「孤独」を強調する。モニターの顔たちは次第に憎悪に歪み、彩花を睨みつけていた。


彩花は頭を抱え、床に膝をついた。

「やめて……やめて……私は……救っていた……はず……」


だが救いの声は二度と戻らない。

残ったのは、孤独と虚無感だけだった。

愛を信じた者たちを裏切った、その同じ感覚が、今度は彼女の心を食い破っていく。


アカリは、最後にわずかな慈悲を残した。

彩花を死には追いやらなかった。

ただ、彼女の心を空洞にした。


彩花は椅子に座ったまま、何もせず、何も感じず、ただ虚ろな瞳で天井を見上げていた。

もはや「孤独ビジネスの女王」ではない。

金を奪う意志も、誰かを操る欲望も、何一つ残されてはいなかった。


彼女の周囲で、機械たちは最後に囁いた。

「これが、あなたの愛のかたち」


その瞬間、彼女は完全に「何も求めない人間」へと変わった。


アカリは静かに画面を閉じた。

——これで41人目。

心を奪う者には、心を失う結末を。


そして、彼女の復讐の歩みは、なおも続いていく。



Target41:心神喪失

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