第2話
側で燃える、燭台の火を眺めていると
部屋の側に見張りはいるが、これは黄巌というより砦全体の見張りの意味合いが強い。
涼州騎馬隊は南に去り【
徐庶はまだ軍師の任を解任されたわけではないので、一応賈詡からは陸議の許で待機しろとは命じられているが、砦を歩いても睨まれたりはしなかった。
それを見た黄巌が笑った。
「軍医殿はさっき部屋に戻られたよ」
「良かった」
徐庶が部屋に入って来る。
黄巌の寝台の側にある椅子に腰掛ける。
「物が少し食べられるようになったら、陸議殿の部屋で療養させて貰えないか頼んでみる。一人だと、色々考えるだろ。風雅」
「ありがとう」
小さく黄巌は笑んだ。
「郭嘉殿には、話せた?」
「いや。まだなんだ。彼は砦に運び込まれた時、目覚めたんだけど、また今は少し眠っているらしいから会えなくて」
「……。五年も、病に苦しみながら、そんな中でもいつ敵が襲いかかってくるか分からなくて、敵の気配を身近に感じながら……。無理もない」
「確かに、俺も魏軍は憎い。
彼らが【北の悪魔】と呼ぶほどのことを、
……でも何でだろうな……郭嘉殿はもう十分苦しんだ……そうとも思う。
彼は生き残って、きっとまた歩けるようになったら魏軍の敵を軍師として殺すんだろう。それは分かるのに、不思議だ」
戦に向いていない、と
優しすぎる所があると。
(でも優しすぎる人間はこの乱世で、どこに行けばいいんだろうか?)
彼は自分が死傷を負ったというのに、それでも折あるごとに徐庶の無事を気にしていた。
彼も自分のことより、他人のことを考えている。
他人の痛みのことを。
あの
しかし徐庶には、まだどうしても陸議が戦うのに特化した人間だとは思えなかった。
【いつか天下が太平になったら、
陸議が
天下が太平になるまで。
心を封じて、
戦い抜く。
そう思い定めているのかもしれない。
優しい人間が平和な世になるまで、冷徹な人間に徹する。
戦いの合間や、周囲の人間にだけは本当の姿が見える。
もし自分が今、蜀に行ったら、一体何が出来るのだろう?
蜀には
自分など足下にも及ばない軍師としての才覚と、
結局、戦場に立って敵を斬ることしか、自分には出来ないのではないかと思う。
魏や、呉と、戦う。
蜀に行ったら、いつか戦場で陸議や
そう考えた時の躊躇いや心の苦しさは、今、
どこまでも中途半端で、
甘い人間。
(それが俺なんだ)
「……
側で押し黙った徐庶を眺めていた
「えっ?」
「え、じゃないよ。俺より元直の方が今、深手を負ってるみたいな顔をしてる」
友に言われて、慌てて徐庶は首を振った。
重傷の黄巌に心配されるなど、本末転倒だ。
「いや。俺は元からこういう顔なんだ。ただ、色々と考えてただけで、別に落ち込んでるわけじゃない」
「ふーん?」
全く信じてない顔で、黄巌が返事をして来た。
徐庶は苦笑し、服から翡翠の腕輪を取り出す。
「余計なことかもしれないとは思ったんだけど。俺が持っていてもしょうがないものだから、君に渡すよ」
翡翠の腕輪には、黄巌は見覚えがあったようだ。
やはり彼女に間違いなかった。
「
「偶然見つけた。……彼女の導きかもね」
「埋葬して来た。
司馬孚は優しい性格をしているが、それでも
彼から兄に話が伝われば【
【烏桓六道】は
何より、魏とは関わりの無い部分で、
「これは君の短剣だよね」
黄巌の表情が一瞬曇った。
「うん……」
剣も受け取ろうと手を伸ばしたが、徐庶は今度は剣を持ったままになった。
「徐庶?」
「自分を責めては駄目だ。
眼を瞬かせてから、黄巌は小さく笑った。
「俺がいつも、君を見ながら、思っていたことがやっと分かっただろ」
今度は徐庶が息を飲んだ。
「
それが分かったんだ。
嘩夜が本当に望んでいたのは、復讐じゃない」
「……君に止めてもらうこと?」
「刺した後、少しだけ話せた。
自分の命が終わるんだって理解したあと、
……好きだった時の、優しい目に戻ってたよ。
だから大丈夫。彼女を殺したのは俺だけど。
でも自分を責める気は俺はない。
嘩夜と
あのまま彼らといて、復讐の道を一緒に俺も辿って行くなんて、絶対出来なかったし絶対嫌だった。
俺が望んだのは共に生きて、
そうするうちに、涼州で生きていくことにあの二人がちゃんと価値を見出して、復讐なんかよりそれを失う方が怖いと、いつか思ってくれることだった。
俺が彼らにそう思わせることが出来なかったことは……少し悔いは残るけど」
「もっと時間を重ねればきっとそうなったと俺は思うよ。
彼女が最後、君に会いに来たのがその証拠だ」
「ありがとう」
今の話を聞いても、黄巌が「一生を過ごしたい人」というのが彼女のことではないことが分かった。
黄巌が涼州を離れなかった理由になった人は他にいるのだ。
「
まだ君は腹部の傷が塞がってないから、もう少し療養が必要でここから動けないだろ。
……前に言ってた、君の大切な人がどこにいるか教えてくれたら君は無事で、じきに戻ってくるから心配しないよう伝えることくらいは出来ると思うんだけど。その人のことも心配だろ」
黄巌は笑った。
「ありがとう。
確かに涼州の村が焼かれて心配なんだけど、あの人は無事でいるっていう不思議な確信があるんだよ。
俺なんかより遥かに強くてしっかりしてて勇敢な人だから。
きっと家族や仲間といるはず。
それに向こうは俺の気持ちを知らない。
片想いなんだ」
徐庶は眼を瞬かせる。
「ん?」
「いや……君は好きだと思ったらその場で好きだって伝える人だと思ってたから。
君をこの辺りに留めるほど好きな人なのに、まだ想いも伝えてないのは意外だった」
「分かってないなあ~元直は。本命には俺だってそんなに簡単に想いを伝えられるものじゃないんだよ」
「そ、そういうものなのかな。よく分からないけど」
「そうなの!」
「そうか……いや。君が報せを送りたいのに動けないから出来なかったりしたら駄目だと思って聞いてみただけなんだ。余計なことだったね。ごめん」
「余計なことじゃないよ。……今の俺にとっては心の支えだ。君もそう思ったから、そうやって声を掛けてくれたんだろう? 感謝してる。ありがとう、元直」
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