第15話 突然の悲劇

 炎に包まれる、と思った瞬間、アイリスはぎゅっと目を瞑った。だがいつまで待っても炎が襲ってくる気配がない。


「……君、今、どこから現れたの?」


 突然聞こえてきた声にハッとする。その人物の声は驚いてはいても、直前までの緊迫はない。


 アイリスは何が起きたのか確認するより前に、世界中で一番大切な、手の中の小さな命の気配を確認する。


「ティファ!」

 アイリスの腕の中にいたのは、微かに息をしているだけの、黒焦げになったティファだった。


【なんとか……飛べてよかった。一番近い……、竜のいるところに……飛んだんだ。さすがにアイリスと飛ぶのは……重たかったよ】


 いつもの笑っているような明るい口調だけれど、その心話は微かで途切れがちだった。


【もう、燃やされるのは……うんざりだったからね。頑張って飛んでみた】


「ティファ! いますぐに治療を……」

 そう叫んだ瞬間、辺りが騒がしくなる。


「師匠、小さな竜が大怪我をしているんだ。早く治療薬を!」


 治療薬、の言葉にハッとアイリスは顔を上げる。心配そうに覗き込んでいるのは金髪に紫色の瞳をした、まだ若い少年だ。どうやらさっき声を掛けてきた少年らしい。


 何が起きているのかわからないけれど、ティファがアイリスを連れて空間を飛んだことだけは理解出来た。


 助けを求めようと、声を上げようとする。


 だが向こうから近づいて来た黒髪に無精髭を生やした大きな男は、アイリスが抱いているティファを見て顔を顰める。


「……赤竜に燃やされたのか……」

 アイリスは涙を堪えて、頷く。


「お願い。この子を、助けてください」

 そう涙声を上げるが、男は厳しい表情のまま首を横に振り、無理だな、と一言だけ返した。


「なんで、無理なんですか?」

「師匠!」

 アイリスと先ほどの少年の声が交差する。だが男は深く溜め息をついて、もう一度首を横に振った。


「可哀想だが、赤竜の炎は体内にとどまって、その体を中から焼き続ける。その子も本来なら耐えがたい痛みで限界のはずだ。……その大きさで、その火傷なら、即死していてもおかしくないんだ」


 淡々と言われて、アイリスは呼吸がおかしくなる。


【ティファ、ティファ、痛いの? 死んじゃダメだよ!】

 ティファがいなくなる恐怖で、必死で呼びかける。言われて初めて、ティファの体が中からじりじりと熱を持っているように熱いことに気づく。


「おじさん、助けて。ティファを助けて! お願い、お願い、お願い!!」


 ティファは自分の命を削って、アイリスを救う為にこんな長距離を飛んだのだ。


 ひたすら懇願する。男の子はおろおろと黒髪の男の顔と、気が狂ったように叫ぶアイリスの顔を交互に見た。


「おじさん、ボクのアイリス、を、よろしく……」

 助けてくれと言う代わりに、ティファは目の前の大きな男を見上げて、掠れ声で囁く。


「この子は、アイリスというのか?」

 驚いた様に目を見開き、男は動きを止めた。


 少年はティファのことを見て、師匠の腰にあった袋から、持っていた治療薬をティファに振りかけようとして、男に止められる。


「やめておけ。今治療薬を使えば、熱さと痛みと苦しみが、事切れるまでその竜の中で長引くだけだ」


 絶望的な言葉に、アイリスは薬を奪おうとしていた手が動かなくなってしまう。


「ティファ、ティファがいなくなったら、私……」

【大丈夫。アイリスは賢いからボクがいなくなっても生きて行ける。だから……】


 ティファの焼け焦げた眦から、涙がすぅっと零れる。それを見た瞬間、ティファの深い愛情がアイリスに伝わり、アイリスにも涙が溢れてきた。


【アイリス、ありがとう。ボク、アイリスと一緒に生まれてよかったよ】

「やだ、ティファ、死んじゃ……っ」


【アイリスが泣き虫だから、ボクはちょっと心配。もっと一緒にいたかったな……でも、もうバイバイだよ。……またどこかで会おうね】


「ティファ……?」

【アイリス、ずっとずっと、大好きだよ……】


 ティファはそれだけ言うと、力尽きたように目を閉じた。


 最後アイリスを握っていた前足からも力が抜けていく。


 アイリスの手の中でトクトクと、微かに打っていた鼓動が静かにやみ、呼吸も止まる。


 黒髪の男はその様子を見て、首を微かに横に振り、少年は呆然とその場に座り込んだ。


「ティファ、生きて、絶対に生きて、お願い!」

 諦めきれないアイリスが涙をボロボロと零し、ティファに呼びかける。


「ティファーーーーーーーーー」

 泣き叫んだ瞬間、アイリスの目から溢れるいくつもの涙の雫がティファの体に降り注ぐ。


 アイリスのすすり泣きが聞こえる中で、男達は沈鬱な表情をしている。


「小さい竜よ。神々が待つ竜の森で、次の出会いを待っていてくれ。かならず魂の朋友が、お前を再び迎えにいくから……」

 男はそう言うと、胸元で十字を切ろうとした、その時。


 ゆっくりとティファの体は明るい光を放ち光り始める。


「え……なに?」

 驚くアイリスの声に、黒髪の男は視線を焼け焦げたティファに向ける。


 アイリスの手から勝手にふわりとティファの体が浮き、呼吸が止まった口から白い糸のような物が出てきて繭のように覆っていく。


「……お嬢ちゃん、もしかしたら」


 男は中に浮いた光輝く繭を呆然と見上げ、その白い糸が徐々に繭を作っていくのを見て、そのうち小さく笑い始める。


 突然の笑い声にアイリスは男の気が触れたのではと男の顔を見つめた。


「な、なんで笑っているの?」

「運の良い子だ。いや……お前達の絆の強さか?」


 だがアイリスの言葉には答えず、男はそう吠えるような大きな声を上げる。紫の目の色の少年が、師匠の顔を見てパッと表情を明るくする。


「もしかして、これ、変体?」

「変体? いったい何が起きているの……?」

 アイリスは突然表情を明るくした二人の変化について行けずに戸惑う。


「あのね、たった今、この子の変体が始まったんだよ」

 少年が優しい顔をしてアイリスの頭を撫でて、笑いかける。


「変体するときには、あの繭の中で、竜の体はドロドロにとけて、再構成を始める。火傷も痛みもいったん全部溶けて、傷一つない、新しい綺麗な大人の体に生まれ変わるんだ」

 そういうと、ホッとしたように二人はドサリと腰を下ろす。


「ドロドロ? ……再構成? 綺麗な大人の体? え、じゃあ、ティファは助かるんですか?」


 アイリスはまだ半信半疑で二人の顔を見つめる。もしそうならと言う期待と、先ほどまでの不安と恐怖とで心が引き裂かれそうだった。


「さなぎになった竜が、確実に成体になれるかどうかはわからない。ただ……さっきの焼け焦げた状態よりはずっとずっと助かる確率が上がったと言うことだ」


 男はパンと髭面の頬を両手で叩くと、ニッと笑う。


「……リシャール、グラードを呼んで来い。今夜はここで野営の準備をするぞ」

「はい、分かりました。師匠」


 動揺しているアイリスを放っておいて、二人は何やら話し始めると野営の準備をしはじめた。その時、アイリスはようやく気づいた。二人の傍らには鷹ほどの大きさの黒い竜と、金色の竜がいることに。


「あの……貴方達は?」

 その言葉に二人はお互いの名前すら知らなかったことに気づいて苦笑をする。


「僕は、リシャール。この子はアベルね」

 少年がそう言って綺麗な紫色の瞳を細めて笑う。彼の竜は金色だ。


(金の竜って……王族にしかいない竜の色って聞いたけど、この子は……)

 驚きながらも、アイリスは慌てて挨拶をする。


「私は……アイリスです」

「俺はオーランド・ラシッド・フェルトルトだ」

 どこかで聞いた名前だと思いながら、彼の傍らにいた黒い竜を見てハッと気づく。


「黒竜……」

 黒い竜は、フェルトルト大公家の竜だ。そして彼の名前は侯爵の屋敷にいたときに、何度か聞いた事があった。


「もしかして、黒竜大公……様ですか?」


 ジョルノ先生の本に、現在の五大竜貴族の家系図があった。それを思い出してアイリスがおずおずとそう尋ねると、彼はカラカラと豪快に笑った。


「ああ、俺の名前を知っていたか。貴女は……アルフォルト侯爵のところの『娘』だな」

『娘』に力を入れて尋ねた言葉にアイリスは小さく頷く。


「アルフォルト侯爵は何をしている。王宮に連れて行く前に娘とその竜が、こんな状態になっているのをあの男は知っているのか? それに……どうしてここに来たんだ? アルフォルト侯爵領の外。うちの領地だぞ、ここは」


 その言葉にアイリスはどこまで何を話したらいいのか困ってしまっていた。


【ティファ、あなたの秘密なんだから、早く起きて代わりに答えてよ!】


 けれど少なくとも今は、ティファは何も答えてはくれなかった。

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