第3話: 炎のあとに残ったもの

火事の翌朝、団地の掲示板に、黒く焦げた制服がピンで無造作に留められ、風に揺れていた。


誰かの悪意か、単なる嫌がらせか。けれど、その制服は、遥子ようこのものだった。


名札のあたりが黒く焦げ、胸のリボンが半分溶けていた。


「絵に描いたから、燃えたんでしょ?」


「幽霊みたいで気持ち悪いよ」


背後で、誰かがクスクスと笑った。


子どもは時に、想像力を暴力に変える。

遥子の未来視は、いつしか“呪い”と呼ばれ始めた。


先生たちは庇いきれず、父も学校に掛け合ったが、事態は収まらなかった。


遥子は、やがて自分から登校を拒むようになった。


「もう、いいよ……。」


か細い声が布団の影から漏れた。


「……私は、いなくてもいいC


その言葉に、私は反射的に怒鳴った。


「そんなわけ、ないでしょ!」


声は震えていた。

怒りじゃない。怖かったのだ。

妹が、自分の存在を否定するその響きが。


以来、私と遥子の間には、少しだけ距離ができた。


けれど──アンコだけは変わらなかった。

団地の階段下に伏せて、遥子をじっと見上げるあの目だけは。


***


ある日、ふと見たら、遥子が踊っていた。

リビングで、音もなく。


テレビで流れていたミュージックビデオの振り付けを、記憶でなぞるように。

細くて、柔らかい体が、空気を切っていく。


「遥子、それ……」


「うん。ダンス。楽しいの、これだけは」


学校を休みがちになってから、遥子はダンススクールに通い始めた。

体験レッスンだったはずが、今では週に三回、休まず通っている。


私が気づかないうちに、遥子の中に、火がともっていた。


***


「先生が言ってたよ。遥子、本当に上手だって」


父が、ある夜、ぽつりとつぶやいた。


「そうか、人前に立つ子になるかもなあ……いや、もう少し見守ろう」


その声には、応援と、少しの不安が滲んでいた。


父は、目を伏せたまま、グラスの水を揺らしていた。

握った指先が、小刻みに震えているのが見えた。


****


数週間後、ダンススクールの発表会で、遥子はセンターを務めた。


ステージの上で笑顔で踊る彼女は、ライトを浴びて輝き、観客の拍手が波のように押し寄せていた。その姿は、まるで光を刻む彫像のようだった。


終演後、舞台袖で、ひとりの女性が話しかけてきた。


「お母さん? それともお姉さん?」


「姉です。何か……?」


「よければ、ちょっとお話できませんか」


名刺には、都内の芸能事務所の名前が記されていた。


***


あの時の光景を、私はずっと覚えている。


楽屋の鏡の前で、遥子がチークを塗られながら、そっとこちらを見た。


「お姉ちゃん、どう? 似合ってる?」


私は笑った。


「うん。……すごく、かわいいよ」


絵の中で笑っていた遥子が、今、現実でも笑っている。


その笑顔を、私はずっと守りたいと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る