第30話 月下の森へ
月光シルクを求めて向かった月下の森は、昼間でも薄暗く、木々の枝葉が重なり合い、視界はきわめて悪かった。
苔むした地面には霧が漂い、ただでさえ一寸先も見えにくい中、どこから魔物が飛び出してくるかもわからない。
「これじゃあ、死角から襲われたら守りきれないな」
アレンは立ち止まり、振り返って仲間を見つめた。
リリアナがすぐに理解したように頷き、ソフィアとセレーネに視線を向ける。
「だから今回は、奥に進むのはアレンとカイルの二人だけ。私たちは入口近くで待つわ」
「でも……」ソフィアは唇を噛み、心細げに首を振った。
「私だって役に立ちたいのに」
「気持ちはわかるけど、敵の数も正体もわからない状況で守りきるのは無理なの。だからこそ、残って待つのも役割よ」
リリアナは冷静に告げたが、声にはわずかな震えが混じっていた。
セレーネも肩を落としつつ「信じて待つしかないのね」と小さく呟いた。
その横顔は、王女として毅然としようとしながらも、不安を隠しきれない少女の姿だった。
アレンは三人の前に立ち、真剣な表情で言った。
「必ず戻る。約束する」
そして、彼女たちの視線を一人ひとり受け止めてから、カイルと並んで森の奥へと足を踏み入れた。
——満月の前日、森はすでに緊張に包まれていた。
奥へ進むほどに、湿った空気が肌にまとわりつく。
かすかな羽音や、木の幹を這う影が横切るたび、剣を抜く手に自然と力がこもった。
「……シルクスパイダーの気配なんて全然しないな」
カイルが低い声で呟く。
「場所も数も分からない。けど、森の奥に行けば行くほど、糸の密度は高くなるはずだ」
アレンは足元の地面に細く伸びた銀糸を見つけ、指先で確かめた。
「ほら、もういる」
「ってことは、このまま奥に行けば群れに出会える……ただし、例の凶暴な魔物ともな」
カイルは剣を肩に担ぎ、笑みを浮かべるが、その目は鋭く光っていた。
二人は互いに頷き合い、さらに森の深奥へと歩を進めた。
薄闇の中、見えない気配が少しずつ濃くなり、まるで森そのものが息を潜めて彼らを見守っているかのようだった。
やがて前方に、淡く揺れる光が見える。
蜘蛛の糸が月光を受けて輝いていた。
「……間違いない。ここが巣だ」
アレンの声が低く響き、緊張が二人の胸を締めつける。
その瞬間、背後の木々の間から、重々しい気配がゆっくりと近づいてくるのを感じた。
アレンとカイルの前に立ちふさがったのは、森そのものが形を取ったかのような巨体――トレントだった。
幹に似た腕が振り上げられるたび、空気が唸り、地面が大きく揺れる。
「燃やせば一発なんだろうけど……」
カイルが剣を構えながら舌打ちする。
「火を使えば巣ごと灰になる。ここは物理で押す!」
アレンは即座に応じ、剣に魔力を纏わせて斬り込んだ。
その瞬間、周囲の木陰から赤い光がいくつも浮かび上がった。
「……来やがったか」
低い唸り声とともに、十数匹のウェアウルフが一斉に飛び出す。
満月を前に、牙を剥き、高速で駆け抜けて襲いかかってきた。
「数が多すぎる!」
カイルが吠え、大剣を振るい一体を叩き伏せる。
だがすぐさま背後から二体が迫り、アレンが風の魔法で牽制する。
背後には淡く光を帯びる糸――シルクスパイダーの巣が、木々の間に幾重にも張り巡らされていた。
アレンは咄嗟に落ちていた枝を拾い上げ、銀の糸をぐるぐると絡め取り始める。
「カイル、時間を稼げ! 巣を丸ごと持ち帰る!」
「おいおい、戦いながら採取かよ!」
叫びながらも、カイルは大剣を大きく振り抜き、襲い来る群れを押し返した。
アレンは必死に糸を巻き取り、棒状の枝に幾重にも巻きつけていく。
銀色の光が月明かりを反射し、束ねられた巣は宝石のように輝いた。
「よし……十分だ!」
背負える限りの糸を確保したところで、アレンは叫んだ。
「撤退するぞ!」
「了解!」
カイルが大剣で道を切り開き、二人は森の奥から一気に駆け出した。
背後では、怒り狂ったトレントの咆哮と、ウェアウルフの群れの遠吠えが響き渡る。
だが月光に照らされた道を、二人は全力で駆け抜け、巣を抱えたまま闇を切り裂いて森の出口を目指した。
彼らの背に、絡め取られた銀糸がきらめき、夜空の星々の光と共鳴するかのように輝いていた。
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