第3話
転送魔法が弾けるように消えたあと、私は草むらに膝をついていた。
土の匂い、頬を撫でる風。どこかで鳥がさえずっている。
「……はぁ……」
胸の奥が、まだ熱い。
燃える森の中で見た師匠の姿。耳に焼きついた兵士たちの怒声……。
全部が現実だったのに、まるで夢みたいに遠く感じる。
「泣いてる場合じゃ、ないって……わかってるけどさ……」
でも、私は逃げきった。
私の役目は……果たしたんだ。
だったら、進まなきゃいけない。前を向かなくちゃ。
私は重たい身体を無理やり立ち上がらせ、足を一歩踏み出した。
背後には深い森、目の前には、木造の家がぽつりぽつりと並ぶ小さな村。
──グリムホルン。北方の僻地。
師匠が、最後に転送先の座標をセットしてくれた村……。
また、胸の奥がぎゅっと痛んだ。
逃げたんだ、私は。師匠を犠牲にして。
「……でも……行くしか、ないよね」
村へ続く小道を進む。
乾いた風に草花が揺れ、軒先では老人が網に干し肉を並べていた。
すれ違うのは年老いた村人や子どもばかりで、若者の姿はほとんど見当たらない。
ふと、前方で小さな叫び声が上がる。
「うっ……いたっ!」
「わっ、ちょっと! だいじょ──や、やだ、血が……!」
小道の先で、幼い男の子が転んで膝を擦りむいていた。
そばでは母親らしき女性が慌てふためき、周囲を見回している。
「だ、誰か、傷薬を──! うちの薬箱、空で……!」
私は無意識に数歩前に出かけて──そこで、立ち止まった。
……この人間たちが。
私の師匠を──。
王国の兵士たち。人間の、理不尽な暴力。
師匠の血、燃える森、笑っていた人間たちの顔。
心臓がバクンと音を立てる。
「助ける、必要なんて……」
胸がじくじくと痛む。拳を握りしめ、唇を噛む。
でも──
頭の奥で、ふとあの声が響いた。
『お前は、お前らしく生きろ。誰にも縛られるな、エリセフィーナ』
……師匠が私に言った言葉が、いつも見せないような照れくさそうな笑顔と一緒に目の前に浮かんだ。
私は……私らしく……。
目を伏せ、カバンから小瓶を取り出した。黄緑色に輝く、私の作った
「……これ、使ってください」
「え……?」
母親は驚いたように私を見つめる、私は『じれったい』と思い無言で男の子の膝に薬を垂らした。
黄緑色の液体はすっと肌に染み込み、ジュワリと光を放って──傷が、跡形もなく癒えた。
「わ……もう痛くない!」
「すごい……ありがとう、ほんとうにありがとう……!」
「……どういたしまして」
私はわざとらしく目線を逸らし、ふーっとため息をついた。
「回復魔法……それとも、薬かしら」
澄んだ声に振り返ると、銀髪の少女がこちらへと歩いてきていた。
軽やかなワンピースに、胸元で揺れる三日月の形をした銀の髪飾り。
整った顔立ちに、腰の剣がどこか不釣り合いだけれど、不思議と威圧感はない。
ただ、その目だけは、まっすぐだった。
「あなた、今の……どうやったの?魔法?」
「……魔法じゃない。錬金術。私が作った薬だよ」
私は少しだけ口を尖らせて言った。やっかいそうな子に見つかったな、って思いながら。
「へぇ、錬金術……。私は魔法が使えないからよく分からないけど、すごいね。あんなふうに、誰かを助けられるなんて」
少女は優しく笑い、私に手を差し出した。
「私はリアネッサ。村の人たちには、
剣の柄に手を添えながら、どこか照れくさそうに笑ってみせる。
「エリ……あ、私はエリナ。錬金術士。旅をしてたパーティーがモンスターに襲われて、私だけなんとか逃げてきたの」
危ない、本名を言いかけた。手配書があるかもしれないに…、慎重にいかないと。
「……そうなんだ」
リアネッサの目がほんの少しだけ、悲しげに揺れた。
「私も、父をモンスターに殺されたの。だから剣を学んでる。仇を討ちたいって、ずっと思ってて」
「……!」
「最近、南町のそばのダンジョンが活性化してて、モンスターの数も増えてるの。あなたのパーティーが全滅したって話も、信じられるよ」
私は黙って頷いた。
まるで、自分のことを語られているような気がしたから。
「ところで…、エリナ。行くあてはあるの?」
「……ない。これからどうしようかって考えてたところ」
「なら、この村の空き家、使っていいよ。少し不便だけど、安全で静かだし、自然が多いから錬金術士っていうなら材料も集めやすいと思う」
「……いいの?」
「私は魔法が使えないし、錬金術ってちょっと憧れる。さっきの薬も、本当にすごかったよ。あんな力があるなら、この村で喜ばれるはず」
リアネッサは錬金術士と言った私に興味を持ったのか、きらきらした目で私を見ながら微笑んだ。
「錬金術でアイテムを作って、それを売って暮らす。そんな生活も、悪くないと思うよ」
私は、しばらくその顔を見つめてから──ふっと、小さく笑った。
「じゃあ、お世話になろっかな。しばらく、よろしくね?」
「うん、こっちこそ」
二人で笑い合い、私はグリムホルンでの新しい日々に、静かに一歩を踏み出した。
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