第21話
8月3日。
その日はごはんがいつもより品数多めで少し華やかだったり、邸宅内の至る所にオレンジ色の小さな水仙が飾られていたりと何となくいつもと違う気がした。
「…‥今日ってなんかあったっけ?」
「アドルフ殿下の誕生日がですので」
シンシアにそう言われて「え」と声が漏れた。
「ご存知ありませんでしたか」
「初めて聞いたけど?!」
仮にも夫なので誕生日に何もしないのはあまり良く無い気がするのに全く把握してなかったことに混乱し、とにかく何かしなければ!と言う衝動が湧き上がる。
しかし今すぐにやれることが何も思いつかない。
そんな時、いつだったか聞いたひと言を思い出す。
『ユキの作るご飯、気になるな』
ごはんは流石に無理でも、おやつくらいなら今からでも間に合わせられる!
「ちょっと買い物してくる!」
「どちらかに行かれるんですか?!」
「大丈夫、ちょっとネットスーパーで頼むだけだから!ナタリーに台所開けるように言っといて!」
–30分後–
ネットスーパーで注文した食材を詰め込んだ段ボールが届くと、早速台所へと向かう。
「ユキさま、お手伝いは必要ですか?」
ナタリーがそんなふうに聞いてくるが手伝う必要もない。
市販の米粉パンケーキの粉に牛乳と卵を混ぜてフライパンで焼くだけなのだから、そもそも火加減以外は失敗の仕様がないのだ。
と言うわけで大きめに焼いたパンケーキにホイップを乗せて、市販のフルーツ缶詰をごろごろっとかけるだけ。
(本当はいちご欲しかったけど、流石にこの時期はなあ……)
だいぶ手抜き感があるけれど俺の料理の腕ではこれが限界だ。
あとは地元・茨城発祥の有名コーヒー店が出すちょっとお高い紙パック入りアイスコーヒーを、以前後輩に貰ったのにタイミングがなくて使えずにいたマグカップに注ぐだけ。
「日本は便利な食材が多いですね……」
「ナタリーはあまりこういうの使わないよね」
「興味はあるんですがね」
「せっかくだし、アドルフのおやつに持って行こうか」
*****
アドルフが普段仕事をする部屋は大使館で一番日当たりが良く、広々としている。
シンシアが部屋の扉を開けるとアドルフは突然の訪問を不思議そうに見た。
「アドルフ、いつもありがとう。誕生日って聞いたからちょっとおやつ作って持ってきたんだ」
俺がそう伝えるとアドルフの表情が驚きの色に染まっていく。
「むしろありがとうを言うべきはこっちだと思うんだがな」
「これは俺の気持ちの問題だから」
パンケーキとコーヒーを出すと、パンケーキの隣にある真っ黒い液体を見て若干引いてる。
「この黒いのは……」
「コーヒー、こちらの世界では定番の嗜好品だよ。一口飲んでみて苦手なら残してくれていいから」
俺のはどちらかと言えばコーヒー党なのでアドルフの好みに合えばいいとは思うけれど、好き嫌いはしょうがない。残りは俺が飲めばいいし。
アドルフは恐る恐る飲んでみるとその苦味に顔をしかめる。
「眠気覚ましの薬だ……」
なんとなくその表情か可愛らしく見えて思わず笑みがこぼれる。
「飲めないんなら残していいよ」
「悪い……」
どうやら本当に無理な味らしい。
シンシアも察してか代わりの紅茶を既に準備しており、少し甘めの紅茶で口直ししてからパンケーキに手を伸ばす。
するとナイフでパンケーキを切った瞬間に「触感が違う?」とつぶやく。
「それ、米粉なんだよ。お米は分かるよな?」
「南方で食べられてるのは知ってるが……米粉で作るだけでこんなに違うのか」
ちょっとグルテンフリーに凝ってた時に試しに購入したやつがネットスーパーにあって良かったとつくづく思う。ありがとう、大使館そばの茨城ローカルスーパー。
アドルフはパンケーキを口に運ぶと目を見開いて驚きの声を上げた。
「生地に自然な甘みがある、牛乳や卵由来じゃない……これはお米由来か?」
「そ。その米粉パンケーキの素はちょっと甘味の濃いお米使ってるらしくて砂糖控えめでも甘さがあって何もつけなくても美味しいんだよな」
「クリームと果物も甘いが、全部甘さの方向性が違ってて面白いな」
アドルフがパンケーキを食べ進めている間、俺はそれを見ながら自分の分に持って来たコーヒーを飲んだ。
そうしてたっぷり時間をかけてパンケーキを平らげると「美味しかった」と言って近くにいたシンシアに皿を持ち帰らせる。
「じゃあ俺はぼちぼち戻ろうかな、片付けしないと」
自分のわがままで台所を使ってるんだから、多少片付けを手伝わないと割に合わない気がする。シンシアに言ってしまえば『わがままを聞くのもメイドの勤め』だと返されるだろうが……。
「ユキ、私の夫になってくれてありがとう」
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