第20話

日本とサルドビアの会談は夜まで続き、大枠での合意に至った。明日以降は実務者レベルで詰めていくとか。

そしてアドルフの厚意で今日の夕食は父と兄も同席することになった。

「やっとお前の引っ越し先に入れて貰えたな」

冗談交じりにそう笑う父に俺の気分も明るくなる。

本当は母にも来て欲しかったが、いちおう仕事という名目で来てるので母を連れて来るのは難しい。

夕飯はサルドビアの伝統的なおもてなし料理で、牛肉・魚介・野菜で出汁を取ったスープに手打ちの麺を合わせたうどんのような料理だ。

見た目はシンプルながらあらゆる食材のうま味と風味の溶けだした黄金色のスープとそれを吸ってふわふわになった手打ち麺は、質素な見た目に反して実に手の込んだ料理であることを伝えている。

「こいつはしみじみと美味いな」

父もこのシンプルながら手の込んだ料理に満足げだ。

うどんをいくらか食べ進めていると、父が「幸也、」と俺の名を呼ぶ。

こっちに来てからはまともに正しく呼ばれた試しのない名前の響きが心地よい。

「こっちでの暮らしはどうだ?」

「まあまあ楽しいよ」

俺がそう答えると、家族のだんらんを見守っていたアドルフが口を開いた。

「若輩者の俺のことをとてもよく助け、色々な新しい事も教えてくれて、良き夫たろうと努力もしてくれている。

ユキはとても素敵な夫ですよ」

「ありがとな、アディ」

「素直な本音だ」

俺達のやり取りを見た父が「仲いいなあ」と微笑む。

「お前がアドルフ王子との結婚を了承した時、ちょっと自棄になったんじゃないかと心配してたけど杞憂に済んでよかったよ」

「自棄にまではなってないつもりだけど」

「だって体のせいとはいえ28なで引退だ、まだやり足りてなかったろ?」

父の指摘に少しばかり突き刺さるものがある。

実際選手としてはもっとやれることがあったはず、という気持ちは確かにあった。

けれど俺の身体は限界なのだからもうやめなさいと医者にしつこく理屈立てて言われてしまえば、専門知識を持たない逆らう事などできなかった。

「それはもうしょうがないよ」

「あんな燃え残りみたいな状態だったのに?」

兄がズバッと俺にそう言い放つ。

俺自身ラグビーへの熱を燃やしきったと言えず、修復不能になる寸前までボロボロになったこの身体で脱いでまた冬の芝の上に戻りたいと切望していた。

それをうちの家族は見抜いていた訳だ。まあ俺はわかりやすい方だろうから、きっと気付いてる人はもっといたのかもしれない。

「それは、まあ……うん」

俺があいまいに同意すると「だから、だろ」と兄は言う。

「日本とサルドビアの歴史はまだたったの10年ぽっちしかない、10年間必死に情報をかき集めたところで家族がサルドビアで、まして魑魅魍魎の王宮で無事に生き延びられるかなんて誰にも想定出来やしないんだ。まして肉親を異世界に送る事になるってなれば、もしあの道がなんかのはずみで閉じてしまえば二度と会えなくなる可能性も考える。

まあお前は深く考えないとこあるから、そこまで考えてなかったろうけどな」

はい、全く考えてませんでした。

理屈っぽくて頭いい兄と違い、俺は直感で生きるアホなのだ。


「この結婚を認めるのは父さんにとって賭けだったんだよ。

お前のなかに燻ぶるラグビーへの後悔をいい方向に落ちつけつつ、日本という国にとっても得になる可能性に賭けたんだ」


兄の言葉を聞くとアドルフはどこか嬉しそうに笑った。

「それって回りまわって自分という存在と可能性に賭けた、という事でもありますね?」

「……まあ、そうなる。サルドビアの王子という未知の塊だからこそ最上級の成功の目があるって思えたんですよ」

父と兄がそこまで心を砕いてくれていたことに、胸がジワリと熱くなる。

ラグビープレイヤーとしての時間を永遠に失って空虚な俺の幸福を祈ってくれている人がいた。それはきっと最上級の幸運だろう。

「ならその期待に応じられる存在でありたいですね」

アドルフがそう答える。

ラグビーという熱を失って生まれた空虚な俺の前に現れたアドルフという存在は、確かに俺を変えていくのだろう。だけれどそれは俺という人間が失われていくことじゃない。

その変化を、俺はアドルフの横で生きていく。

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