世界に冠たるメガロマニア家の婿様
大間九郎
第1話殺される・追放される・出会う
包丁で体を切られるとものすごく痛い。
切られたことないやつには分からないと思うし、フィクションだとカッコよく「切られたが痛くはない、ただただ、熱かった」なんて言うことがあるがあれは嘘だ。マジで痛い。体中が震えるほど痛くて、本能が、意識をシャットダウンして失神しそうなくらい痛い。
酔っぱらって帰ってきたクソ親父はまず俺を好きなだけ殴り、そのまま寝てしまうのかと思っていたら、ゴミ溜めのようなキッチンから包丁を取り出し切りかかってきやがった。
アル中で母親から捨てられ、職場じゃ、うだつも上がらず、酒と俺への暴力だけがこのクソの生きがいだったが、高校に上がって体が大きくなった俺はこんなクソに殴られたくらいじゃもう吹っ飛ばなくなったし、面白くなかったんだろう。包丁で切りつけやがった。
顔をかばった左腕から血が、ダラダラと零れ落ちる。
「これで誰が上が分かったかバカヤロウが!!」
べろべろに酔っ払い、包丁を持ちながら叫ぶクソ。シャレになってない。
「なんだその眼は!! もう一度教育してやる!!」
クソが包丁を持った右腕を振り上げたので、がむしゃらに胴体めがけて飛び込む。
床に転がる俺とクソ。
クソが俺の背中を包丁でめった刺しにする。
「死ね! 死ね! 死ねよ犬っころが!!」
犬呼ばわりされ俺の中のタガが外れる。
犬ね、いいよいいよ、犬でけっこう、だからお前はもう黙れや。
クソの首に噛みつく。力の限り。
背中が痛い、体がガタガタ震えてもう目も開けられない。
もしかしたら俺は死ぬのかもしれない。だが絶対この口だけは離さないし、絶対お前も殺す。
散々俺のことを殴りやがって、糞アル中が!!
死にやがれ!!
口の中で、何かが砕けた感覚があった。
死に際の幻覚なのかそれは分からないが、俺はその感覚に満足し、暗闇の中に落ちて行った。
◇◇◇◇
「目を開けなさい」
目を開くと、そこにいたのは女だ。
ダークグレーの高そうなパンツスーツを着た、眼鏡をかけた女。
俺は床寝ころんでいるようで、女は俺を立ったまま見下している。
「あなたは死にました。それで、父親殺しの罪で地獄に落としたいのだけど、あなたが死んだ瞬間、父親はまだ生きていて、あなたは生きている間、父親を殺していないの。
それにあなたの境遇はそれなりに情状酌量の余地があります。
そのため、あなたは地獄に落とさず、執行猶予として、異世界に追放することと決まりました。
無論、父親殺しの罪状が消えるわけではありません。そのため、生きていくには厳しい世界で、生きていくのに厳しい環境に追放させます。
そこで生き抜き、新しい幸せを掴みなさい。
掴めれば、あなたの罪は消えます」
女は一方的に喋りかける。
言葉は厳しくきこえるかもしれないが、その表情は、とても俺を憐れんでいる雰囲気がある。
「最後に、あなたに、呪いをかけます。あなたが罪人であることを忘れないように」
女はそう言うと、腰を曲げ、俺の胸に指先を当てる。
俺の胸がガスバーナーで焼かれるように細く、燃え始めた。
女の腕を振り払おうとするが体が動かない。
もの凄い痛み。女の指先が動き、俺の胸板に、文字を刻んでいく。
『Ω』
ゆっくりと時間をかけ、俺の胸には、文字が刻まれ、女は満足したように腰を伸ばし、また俺を見下す姿勢になる。
「この呪いは、あなたの肉体が苦痛をいつまでも味わうよう、ちょっとやそっとの怪我では死なず、すぐに回復し、病気をはね返します。せいぜい辛く長い生を、生き抜きなさい」
口から洩れる言葉とは裏腹に、慈愛に満ちた顔を向ける女。
だんだん霞んでいく女の輪郭。
俺の視界は一端真っ黒になり、次の瞬間、あたり一面は森だった。
◇◇◇◇
体をあげると、全裸。クソに切りつけられた左腕に傷はなく、背中も痛くなかった。
胸には『Ω』の焼き印。夢ではない。
薄暗いのは、森の木の背が高く、太陽の光を遮っているからだろう。足元は土と苔、なぜか手には俺の背中を何度も突き刺した包丁が握られていた。
俺は転生したらしい。
現世になんの未練もなかったからいいが、今世もかなりのハードモードだろう、何せ、森で全裸だ、すぐ死にそうだ。
とりあえず、このままここにいてもしょうがない、まずは飲み水、そして食糧、それに安全な寝床だ。そんなものがこの森の中にあるとは思えないが。
野生動物がいるかもしれないので、背中を丸め、そろりそろりと、歩き出す。
あたりを気にしながら、耳を澄まし、水音や、外敵の気配を探す。
十メートルも歩くと、ドッと汗が噴き出している。この森は熱い、湿度が高い、これだけ薄暗いのに、気温が高いのだ。
緊張と気温で額から滴る汗を左手で払う。
藪をよけ、足元に注意し、進む。
裸足だ、尖ったものを踏むとそれだけで致命傷だし、毒蛇も怖い。
ガサガサと自分以外の地上の生き物が上げる音に体が固まる。
体を沈みこませ、左手の平を地面につけ、身を屈め、右手に持つ包丁を握りこむ。
ガサガサ、もう一度音がし、その方向を見極める。
耳を澄ますと、うめき声のようなモノもきこえる。
うめき声、言語にならない、漏れるような苦しむ声、行くべきか? 行った方がこの先の生存に有利か? なんてことを考えるが、好奇心には抗えない。
藪の向こうを覗き込むと、うつ伏せに倒れている人間が見える。
けっこう近いな。
目に意識を集中する。うつ伏せに倒れている人間の頭部周りに血だまりができている。黒い。酸化が進んでいるだろう、血を流してからある程度の時間が経っているのか。胸は上下していない、呼吸が止まっている。死んでいるかは分からないが、すぐに死ぬだろう。
右手には剣を持っている。
しかし、剣を握る手のひらは緩く開き、脱力している。
倒れている人間以外、あたりには、革の大きな肩掛けカバンが一つ。焚火の跡が薄く、細く、煙をあげている。
そして、大きな、人が一人入りそうな麻袋が焚火の跡の向こう側に転がっている。
あたりをもう一度神経を集中し見渡し、異変を感知できないので、ゆっくりとうつ伏せの男に近づいていく。
首筋に手を当て、脈はない。ただ素人の俺に脈が正確に取れるのか分からない。
包丁を口に加え、うつ伏せの体を仰向けに転がすと、髭面の顔が見える。おでこに十センチくらいの穴が開いていて、脳みそが血と共に零れ落ちていた。
死んでいる。なぜか少しほっとした。
革のカバンを開くと、シャツとズボンが入っていたので着込む。
シャツは薄手のゴワゴワした素材で、ボタンがなく、かぶりで、ズボンは腰ひもで縛るタイプだ。
靴の替えはなく、死体の履いていたサンダルのような履物を拝借し、履く。
カバンの中に革の水筒が入っていたので、口をつけるとワインだった。喉が渇いていたので、二口飲み、カバンに入れ直す。
とりあえず服を着て、喉を潤した。
何もかもが異次元の森の中で、極限まで緊張していた気持ちが少し緩む、一息ついたと言えばきこえはいいが、要は油断したのだ。
「もし、どなたか、いらっしゃるのでしょうか?」
体が緊張で震えた。声がした方向に、一気に顔を向け、包丁を構える。
顔を向けた先にあるのは焚火の跡で、その先にある人が一人入りそうな大きさの麻袋だ。その麻袋は、もぞもぞと、少し動いていた。
「もし、どなたかいらっしゃいますか? いらっしゃるなら、お声をきかせていただけませんか?」
麻袋の中からきこえる声は、女の、子どもの声で、しかし、細くなく、弱々しくなく、震えなく、芯がある強い意思のこもった声だった。
「お返事、いただけませんか?」
俺は答えるのをためらう。生きた異世界人との初コンタクトだ、緊張もするだろう。
「あの~」
麻袋は、俺が返事しないからだろう、声がすこし、弱々しくなってきた、その弱々しさを、俺が返事しないことで生んだのだと思うと、なぜか心が痛む。
「あの~、お返事いただけませんでしょうか…………」
ああ、凄く弱々しくなってきた、もう居たたまれない。
「あ、あの、すいません、袋に入って何されているんでしょうか?」
思わず声をあげてしまった。この世界に来てから初めて声をあげたので、少し上ずった声になってしまったし、ボリューム調整に失敗し、けっこう大きな声になってしまって恥ずかしい。
「ああ! お返事いただけて嬉しいです!! わたくし、さらわれまして! 麻袋に閉じ込められているのです!!」
「助けたほうがいいですか?」
「助けてくださいますの!? ありがとうございます!! わたくしをさらった賊が、何かに襲われ、言葉を発しなくなってから丸一日、わたくし、このままこの麻袋の中で干からびるのかと、心細くて、心細くて」
この死んでる髭面、人さらいかよ。
俺は麻袋に近づき、縛られている口を開こうとすると、全然開かない。きつく縛られている縄の結び目の端に金色の金具がついていて、それが引っ掛かり、縄が全然緩まないのだ。
「すいません、入り口のひもが固くて、全然開きません。麻袋を刃物で破ろうと思うので、動かないでください」
「それは難しいと思いますわ、この袋、封印がされているようで、封印を解かないと袋を開けることも、破ることもできないと思います」
え~と、それならどうすればいいんだ? 封印とか、俺に開けられる気がしない。
「そこに賊の死体はありますか?」
麻袋の少女に言われ、
「あ~、転がってます」
と、答えると、
「その賊の血を、封印器具につけてください。一般的な封印具の解除法は、封印者の血液を使うのです」
と、説明され、賊の死体に近づき、気持ち悪いが、おでこの穴からデロンと出ちゃってる脳みそについている血を少し指先につけ麻袋の縄についている金色の金具になすり付ける。
なんとなくこの金具が封印具だと思えたからだ。
俺に血をなすり付けられた金色の金具は、うんともすんとも言わない。
「あー、なんか、金具っぽいところに血をつけてみたんですけど、うんともすんともなんですけど?」
俺が麻袋に向かいそうきくと、
「ああ、そんな複雑な術式ではないと思うので、ピカーと光ったり、砕け散ったりしないと思いますよ? もう一度入り口の縄を解いてみて下さい」
麻袋の少女に言われた通り、麻袋の入り口の縄を解くと、するりとほどけた。
麻袋の口を開くと見えるのは、キラキラと輝く金髪が生えている小さな頭。その頭が動き、かわいらしい少女の顔が見える。
真っ青な瞳が俺と目が合い、じっと見つめ合う。そして、その眼から大粒な涙がボロリボロリと零れ始めた。
「う~、このまま誰にも看取られず、カピカピになるのかと絶望していました。あなた様はわたくしの恩人であり、魂の恩人ですわ、本当に、本当にありがとうございます!!」
泣きながら語る少女は顔だけ麻袋から出して、このまま転がしているのはあまりにシュールなので、とりあえず麻袋から出ることを促すと、はにかみながら涙を拭いて、そろりそろりと麻袋から出てくる。
細く長く美しい指から腕、真っ黒なドレスに隠れた華奢な肩が麻袋から出ると、そこからするりと胸が出る。胸は思っていてより大きく、それもかなり大きくドギマギしてしまう。もしかしたらこの少女は少女ではなく、俺が思っていたよりも大人なのかもしれない。
麻袋から次に現れたウェストは細く、胸があまりに大きいので折れそうなほど細く感じてしまう。そしてそこから現れるのは、狼? の? 頭?
「あー、久かたぶりに外に出れて気持ちいいですわ!!」
と、大きな胸を反らしながら伸びをする少女の下半身は、三匹のかなり大型な狼の顔が、地面まで垂れている膨らんだ黒いスカートの間から覗いている。
狼の頭はあくびをしたり、顎を逸らし伸びをしたり、生きているのだ。
ジッと俺が狼の頭を見つめていると、
「あっ、すいません。わたくしスキュラでして、下半身は三つの狼の顔と十二本の狼の足でできています。吠えたり勝手に噛みついたりしないので、安心してくださいませ」
と、少女ははにかみ、自分のスカートの間から出ている大きな狼の頭を撫でる。
頭が追い付かない。
異世界の森に飛ばされて、死体を発見して、女の子を助けたかと思ったら、女の子の下半身が狼の群れだった。こんなことあるか?
「あっ! わたくしとしたことが自己紹介もしませんで申し訳ありませんでした!!
わたくし、世界に冠たるメガロマニア家が長女、那由多・デラ・メガロマニアでございます。以後お見知りおきを」
目の前の少女は、スカートから覗く狼の耳を両手の先でつまみ、十二本の狼の足を折り華麗にカテーシーを披露した。
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