第七章:沈黙を超えて継ぐもの

神崎原 佳代、四代目当主──


その名は、かつて家の外にいた娘のものだった。

だが今では、関西財界でも彼女の名を知らぬ者はいない。


手腕は的確、判断は速く、情に流されることなく、かといって冷淡すぎず──実務と胆力を兼ね備えた、数少ない“経営する女”だった。


神崎原グループは、彼女の下で再編された。

製造から卸、小売、土地運用まで、多角経営はさらに洗練され、次々と新事業を興した。


血筋の承継ではなく、組織の強化。


それが、佳代が“継承”という言葉に与えた意味だった。


————————


信一──Louisが日本に来てから、十年以上が経っていた。


京都大学を卒業し、外資系ファームに数年勤めた後、神崎原グループの海外子会社(シンガポール法人)へ送り出された。


佳代は、口では「育てている」と言ったが、実質は“試している”のだった。


「この子は、継ぐべきなのか」

「継ぐ気があるのか」

「私の背中に、何を見て育ったのか」


—————————


そんなある日──


神崎原 義隆、二代目当主が永眠した。


昭和、平成の両時代をまたぎ、政商から企業経営の礎を築いた“構造の男”は、眠るように息を引き取った。


病床に集まった関係者に、義隆はただ一言だけ告げた。


「名は……使いきって捨てるものだ」


それが、最期の言葉だった。


彼の葬儀には、かつての政財界の面々が顔を見せた。


佳代と信一はその横で一歩も動かず、ただ喪主として立っていた。


—————————


時は流れた。


信一は三十代前半、シンガポール子会社の代表を務め、アジア事業を再編。


営業利益率は本社の1.8倍、キャッシュフローは安定し、労務環境も改善。


本社を超える収益を叩き出し、逆に神崎原本社に資金支援を行うまでに成長していた。


だが──


「この業態では、十年持たない」


「早期に分社化、持株会社体制に。外部人材の抜擢も含めて。」


「神崎原」は一企業ではなく、“地域と人の生態系”を支える投資母体に移行するべきです。


信一の帰国後の提言に、佳代の表情は動かなかった。


「それが、あなたの答え?」


「はい」


「神崎原の名は、残らない」


「名前より、働く人間の生活が残れば十分です」


静かな沈黙があった。


そして佳代は、ふと微笑んだ。


「…あなたが継いだのは、名じゃない。問いの続きを、選んだのね」


その言葉が、承継の正式な始まりだった。

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