第2話 始まり 弘治元年(1555)
東岳宗真の著作の中でも、とりわけ有名なのは 『東岳日記』 である。この日記は、弘治元年(1555年)閏10月10日、太原雪斎が世を去ったことが記されている一節から始まる。
「東の巨星が堕ちた。太原雪斎入寂す。今後、東海の安寧はますます乱れよう。
わたしは仏道の静けさに身を沈めるべきか。それとも、雪斎殿のように筆をもって乱世を描き、この戦乱のただなかで己が才覚を試すべきか――」
まだ若き宗真が記した筆跡には、雪斎を失った寂しさと、戦乱の時代に挑もうとする昂ぶりとが交錯していた。
「将軍家は朽木谷に身を寄せ、もはや京の威光は地に堕ちた。武門を束ねるべき幕府が、山里に疎開するとは――嘆かわしいことだ。天下の秩序は乱れ、群雄はますます欲をあらわにするだろう。」
筆を置き、宗真は深く息をついた。太原雪斎を失った今、東海をまとめる人物は見当たらない。さらに耳に入るのは、織田信長とその弟・信行の不和。尾張の小領主にすぎぬ信長であるが、火種はいつ大きく燃え広がってもおかしくはなかった。
だが、宗真の胸は静かに高鳴っていた。
「信長こそ、混乱を突き破る資質を持つやもしれぬ。いまこそ彼に接し、この乱世で己が才覚を試す好機。ただの僧で終わるか、歴史の証人となるか――わたしの歩む道は、ここから始まる。」
宗真は筆を握り直し、信長への書状の一行をしたためた。彼自身の運命が、大きく動き出すことを直感していた。
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