身寄りなき乙女の秘密の契約
シンシア
第1話 右高家の蛇退治
──世界は妖に溢れていた。
人間は
これは妖を引き寄せる体質の少女と異形の民と呼ばれる忌み子たちの王の物語である。
お月様が一段とおおきく輝く夜。少女は月光の差しこむ縁側に腰をかけると、足元のちいさき存在に語りかけた。
「あたしね、今日の蛇退治が終わったらこの家とも、みんなともお別れなの。都のお貴族様のところへ嫁ぐんですって。明日なのに、ぜんぜん実感がわかなくてね。まるで他人ごとみたいなの」
いつもなら厳しく注意されるはず。忙しなく足をばたつかせる動きも今は一人と一体しか居ない空間なのでお構いなしだ。
「顔だってみたことのない殿方と突然結婚しろだなんて、お父様も変なことを言うわ。第一私がいないと
少女が語り掛けている相手は、三角の真ん中に一つ目を浮かばせる「一ツ目三角」と呼ばれる人間に友好的な妖であった。三角は少女の不安を感じ取ったのか、ばたつかせていた足に飛び乗ると、眼から涙を流し始めた。
「もおぉ、情けないわね。あたしは大丈夫よ。きっとどこでだって上手くやっていけるわ! それに! あなたもきっと山へ帰れるわ。だって今から兄様たちがあの山の悪い蛇を倒してくれるんだから!」
少女は足にしがみついている三角には目もくれずに立ち上がると、大きな山を指さす。
「今日も威勢がいいな
「わ、
今宵。
赤い提灯を掲げた討伐隊。
「一郎兄様、
「ああ。二郎なら具合が悪いようでな、今日は留守番を命じた。そうか、俺だけでは不安であろう」
「いえ! そういうわけではありません。今日が兄様たちと居られる最後の夜だったものですから、少し寂しかっただけです」
「そうだったな……。嫁入り前のお前にこのような危険な役回りをさせてしまって申し訳ない」
「お、お顔をお上げください! 私よりも兄様の方がよっぽど危険なのですから」
一郎は
「家を離れるというのは、さぞかし不安なことであろう。恐くはないか」
「恐ろしくなんてありません。立派な兄様たちの妹としてきっと立派にやってみせます」
「ははは。そうだな……。お前は本当に母様に似ている。では俺も最後までお前の立派な兄として、必ず安全にお前を家に帰すと誓おう」
「はい。嬉しいかぎりです」
一行が山小屋に辿り着くと、
「大丈夫よ。今回もさほど凶悪な妖だという情報はないわ。私がこうしてここにいれば、あいつらは真っ先に私の方へ向かってくるような単調な動きになる。きっと今回もそう。それに、兄様たちは強いわ!」
彼女は手を組みながら、矢継ぎ早に言葉を繋いだ。皆の無事を祈ることしかできない苦痛に苛まれながら、威勢のいい言葉、安心できる言葉をつらつらと呪文のように声にする。
程なくして小屋の外が騒がしくなる。妖との戦闘が始まった合図である。
小屋の外で待機する一行は重力の何倍も重い淀んだ空気を感じ取る。その気配に無防備だった全員が膝を折って地面に叩きつけられた。あまりの重さに息が詰まり意識を失いかける。一郎はその瞬間、とても嫌な思考が頭を過る。もしかすると、今回の妖は自分らの手には負えない類の妖で、手を出すこと自体が間違いだったのではないか。そんな不安を余所に重い空気はどこかへ消えていった。その代わりに大きな黒蛇が姿を現した。妖の気配を感じ取った一郎は頭をあげるが、妙な違和感があった。
「さっきの重い空気はこいつの仕業なのか……」
思わず出た一言であったが、すぐさま立ち上がり刀を引き抜く。
「皆の者! あの蛇を打ち払おうぞ!」
「おおおおおお!」
一郎は家臣らを鼓舞するにと同時に黒蛇に斬りかかる。とぐろを巻く体に一閃。鍛え抜かれた縦一直線は蛇の黒く硬い鱗をもろともせずに傷を与える。その感触に確かなものを覚えた彼はその後も二撃、三撃と続けるように刀を振り上げ振り下ろす。ここまでの一瞬で三本の刀傷を負った黒蛇は呻きを上げる。すると、周りの茂みからは小さな黒い蛇の妖たちが現れたが、一郎に続くように猛攻する家臣たちによって切り伏せられる。
この場にいた全員が今回の討伐への手ごたえを感じた頃。はるか後方ではとてつもない轟音が鳴り響いた。
「なにご……と」
振り向きかけた一郎に黒大蛇の牙が襲い掛かる。間一髪、一郎を突き飛ばす形で間に割って入った家臣によって逃れる。しかし、その家臣は凶牙の餌食になってしまう。目の前で黒蛇の攻撃を喰らった大切な家臣の姿を見た一郎の瞳孔が限界まで開く。
「いけません! 今は目の前の敵に! 後ろのお嬢様のことだけを……」
「……っく」
倒れる家臣と交代する形で体勢を整えた一郎は黒大蛇の頭に刀を突き立てる。黒大蛇は下顎まで届いた刃先に苦痛の声をあげる。それを機に一行は一丸となって妖を追い詰めた。
「兄様!」
すぐさま彼女は扉を開けた一郎へ飛びついた。頬につく返り血など気にもとめず必死にしがみつく。体を通して伝わる鼓動や感触、微細な動き。
「もう大丈夫だ。さぁ帰ろう」
「はい」
それから山を降りて、いざ街へ帰ろうとしていると信じられない光景が一行の視界に広がった。
自分たちが帰ろうとしているはずの街がそこには存在しなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます