第8話
「最上さんの気持ちもよくわかりますよ。こんなよくわからない成人男性と仲良くなったなんて警戒するのが当然ですし」
「そうですよね」
「でも悪いけれど、俺は何一つ変えるつもりはないよ」
敬語で取り繕うのが面倒くさくなった。直球ど真ん中ストレート。
「えっ⋯⋯」
「さっすがお兄さん!」
「だってね、そんな運転じゃないんだから。かもしれないで咎められるほど俺は間違ったことをしているつもりはない」
駆け引き、これも社会人になって身についたスキルだ。俺がお客様に強く出れるのは後ろ盾に上長がいるからだけどね。いつも感謝してます、係長。
そして、これが失敗だったのかもしれない。最上さんがすごいこちらを睨んでるもん。心が折れそうだよ。責任取ってくれる人いないじゃん。助けてください、係長。
しかしながら、こうなったら意地で貫き通すだけだ。幸いなことに意地を張るのも得意だし、逆張りも得意だ。なんてったって天邪鬼だからね。
「そっちがその気ならわかりました」
「⋯⋯何を考えている」
最上さんがすっと取り出したのはスマホ。意図はわからないがいくらでも悪い家王に捉えられる。なんだろうか、俺にはそれが刃物よりも凶器に見える。
「1と1と0とか押してみるのはどうでしょうか?」
「笑えない冗談だね。⋯⋯冗談だよね?」
「さて、どうでしょうか」
そう言って笑う最上さんの顔は今までで一番楽しそうだった。うーん、サドスティック。冷や汗がにじみ出てきているのがわかる。はは、ピンチなんじゃないかこれ。
距離を置いての硬直。スマホをかざしたまま動かない最上さん。口を開けば導火線に火がつきそうで、それでも啖呵を切ってしまった手前、逃げることは許されない。
くっそ、かっこつけたことが完全に裏目に出ていやがる。佐藤くんは元気なんですけれども、少しお調子者だなんて言われたのは、小学何年生の担任からだっけ。昔の出来事が頭をよぎる。ああ、これが走馬灯ってやつか。
そんなわけで長い回想から戻ってきてピンチなんです。最上さんの圧が強い。人生終了を前にして焦っているわけです。
お父さん、お母さん。僕は女子高生と話していた罪で捕まってしまうかもしれません。⋯⋯ん? 冷静に考えてみたらそんなことないんじゃないか。いくら俺が怪しく見えたとしても、職質を受けるだけでいきなり逮捕はないんじゃないか。
「おいおい、最上さん。俺が何の罪を犯したって警察に言うつもりだ?」
「青少年健全育成条例違反です」
くっ⋯⋯、なんかそれっぽいのが出てきた。理系出身の俺にはそれが本当に該当するのかわからない。むしろ危ない橋は回避してきたはずなのに。見えてきた突破口も蜃気楼のように消えていった。最初からそこに存在していなかったかのように。
榛名ちゃん、大丈夫だ。そんな心配そうな目で見るなよ。⋯⋯いや、そんな心配そうな目はしていない。むしろ小刻みに震えている。泣いている? 違うな笑っているな。
「お兄さん、そんな真剣な顔しちゃって。ごめんなさい、笑っちゃ駄目なのに。つい⋯⋯」
「そうよ、榛名。そんなに笑っちゃ失礼よ」
つられて最上さんも笑い出す。なんなんだね君たちは。
「ごめんなさい、榛名が最近お兄さんと仲良くなったって聞いて、少し心配で試しちゃいました。そうしたら冷や汗ダラダラで固まっちゃって。少しやりすぎちゃいました。確かにお兄さんは悪い人ではなさそうですね」
「だからお兄さんなら大丈夫って言ったじゃん。むしろ私たちを怖がっているくらいだって」
「からかわれた⋯⋯のか?」
「いえ、私の目から見て危ない人だったら即通報するつもりではありましたよ」
あぶねー、一ノ瀬曰く、童貞を拗らせたような態度で正解だったみたいだ。ざまーみろ、一ノ瀬。そんなんだからお前はいつも女性関係のトラブルを起こすんだよ。いつか刺されちまえ。⋯⋯もう刺されかけたんだっけか。
「最上さんのお眼鏡にかなったようで良かったです」
「千咲でいいですよ。それに敬語じゃなくても。こちらこそ仕事で疲れているのに迷惑を掛けてすみませんでした」
大人だな、この子。俺も反省する部分は確かにあるので責められはしない。だって世間の目で考えたらおかしいのは俺の方だから。⋯⋯それでも抵抗してしまう程度にはこの生活が楽しみになっているんだな。
「緊張したら喉がカラカラになった。なんか甘いもの飲みたいな。君たちもなにか飲むかい?」
缶コーヒー1本程度じゃどうにもならない程度には喉がカラカラだった。せめてもの大人の余裕を見せつけたい。金銭面なのがお恥ずかしい限りだが。
「いえいえ、いきなり押しかけたのはこちらですし、悪いですよ」
「それじゃあ私オレンジジュースを飲みたいです!」
「もう、榛名ったら。少しは遠慮というものを⋯⋯」
「良いんだよ。これでも残業は人並み以上にしているから稼いではいるんだよ。そして残業のせいで使う時間もないのでどんどん残高だけが増えていく⋯⋯」
「はえー、社会人は大変なんですね」
「それじゃあお言葉に甘えさせていただきまして。紅茶が欲しいです」
「おっけー、待っててね」
榛名ちゃんの分のオレンジジュース、千咲ちゃんの分の紅茶。そして俺の分のココアを買う。ココアってたまに無性に飲みたくなる。喫茶店のココアとか美味しいって話をよく聞くけれど、ついつい日和って珈琲を頼んでしまう。かっこつけたくなっちゃうんだよね。だから缶のものしか飲んでいない。グルメ漫画みたいにあなたに本当のココアを振る舞ってあげます。明日同じ時間に来てくださいとか言われねえかな。
「はいよ、お二人さん」
「わー、ありがとうございます」
「私まで、本当に良いんですか?」
「良いんだよ、これくらい。女子高生からお金を巻き上げている方が通報されちゃう」
「⋯⋯ご迷惑をおかけしました」
「あ、そこまでかしこまらなくてもいいから」
「あはは、千咲ちゃん。しおらしくなっているね!」
「榛名、うるさい」
本当に2人は仲が良いんだな。このやりとりに俺が挟まってもいいものだろうか。今更ながら不安になってきた。
「最上さん。いや、千咲ちゃんも名前呼びで本当に良いのかい? そもそも俺は榛名ちゃんの苗字を知らないから名前呼びをしているだけで」
「私もお兄さんの名前を今日初めて知りました」
「なんか不思議な関係ですね。結構学校でもお兄さんの話を聞くのに名前も知らなかったんですか」
「まー、アイドルと一ファンくらいの関係性」
「千咲ちゃん、聞いた?! ファンだって!」
「榛名、うるさい」
元気に跳ね回っている榛名ちゃんと、それをたしなめる千咲ちゃんを見て微笑ましくなってくるな。いいよなー、なんておっさんくさいだろうか。若い光に当てられて、自覚しちゃうところが嫌だな。
「私の名前は大空榛名、いつかアイドルになるのでお兄さんも覚えていてくださいね!」
「大空、うるさい」
「ふふ、そうね。大空、うるさい」
おお、案外千咲ちゃんはノリがいい子だな。そんな俺らを見て榛名ちゃんは大いに不満そうだ。
「ちょっと、2人してなんなんですか。いつの間にそんな結託するほど仲良くなっちゃってるの?!」
「紅茶という賄賂もらっちゃったからね。しょうがないのよ」
「くっ、卑劣なお兄さんめ。今度は私が通報する番ですか⋯⋯」
「絶対にやめてよね?!」
ああ、楽しいな。何度も思うが良くないことだとはわかってはいるけれど、もう少しだけ、もう少しだけ続いていけばいいのになんて思ってしまうよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます