第3話
「よし、お詫びにジュースでも奢るよ。そこの自販機でいい?」
「え、いいんですか。やったね! じゃあ、オレンジジュースで!」
瞬時に彼女が目を輝かせる。子供っぽいなと思ってしまったことは心の内に仕舞っておく。また機嫌を損ねてしまっても困る。
しかしながらや、お嬢さん。知らない成人男性にほいほいと物を貰ってはいけないよ。大人の財力を見せつけようとして奢ろうとしているのは自分だけれど、彼女の純粋さに少し心配になる。根が素直な子なのかもしれないけれど。
俺は自販機で100%のオレンジジュースと、ついでに自分の微糖の缶コーヒーを買いベンチに戻る。やっぱ煙草に合うのはこれだよな、もう吸った後だけれど。
「あいよ、ご注文のオレンジジュースですぜ」
「わーい、ありがとうございます!」
2人でベンチに座って、ジュースと缶コーヒーを飲みながら、なんとなく話が始まった。うん、なんか流れで座っちゃったけどさ。おかしくないかこれ。
ヤバい、隣に女子高校生がいることにドキドキしてきた。これは⋯⋯、確実に動悸だな。世間の目で社会的生命でポリスメン的な意味の方。まあ、あまり気にしていても仕方がないことではある。
「ふう、ダンスで動いた後のオレンジジュースは格別ですね」
「へぇー、好きなの?」
「勿論です。でもですね、最近の悩みとしてはなんだかオレンジジュースって売っている自販機少なくないですか。やっと見つけたと思っても果汁100%じゃなかったり、なんか違うフルーツが混ざっていたり」
「こだわりがあるんだな」
「はい。果汁100%の純オレンジジュース以外は邪道です!」
「邪道って⋯⋯、意志が強いなそれは」
意志カタメ果汁コイメ悩みオオメこだわりマシマシ。気持ちはわからないでもないけれど。ふーん、おもしれー女の子ってやつかな。
世間話はそれなりに続けたが、やっぱり共通の話題は多くない訳で。だって一回りどころか二回りぐらい歳も離れているわけだし。ならば知っている情報から広げるしかない。
「そういえば、なんでアイドル目指してるのかな。なんか、きっかけとかあるの?」
俺の質問に、少女はジュースのペットボトルを両手で持ちながら、ちょっと遠くを見るような目をする。
「んー、きっかけはちょくちょくあるわけですが。そうですね、小さい頃テレビで見たアイドルがキラキラしてて。歌って踊って、すごく輝いて見えたんですよね。後もう1つあったかな。近所に歌がめっーちゃ上手いお姉さんがいて、その人に憧れたのもあるかな。すっごい優しくて、いつも笑顔で歌ってて、私もそんな風になりたいなって」
彼女の声には、どこか懐かしそうな響きがあった。俺は黙って頷きながら、缶コーヒーを一口飲む。微糖なのにいつもより甘く感じる。まあ、微糖って銘打ってあるけど大概甘いけどね。
「まあ歌は発展途上なんですけれどね⋯⋯。うん、踊ってばかりじゃなくてもっと千咲ちゃんを誘ってカラオケとか行こうかな⋯⋯」
「カラオケねえ。もうしばらく飲み会の二次会でしか行ってないな⋯⋯」
「なんかおっさんくさい⋯⋯」
「失礼な、まだ20代後半だから若者だよ。若者だよ⋯⋯」
「なんか自分自身に言い聞かせているようにも思えるのですが。大丈夫ですよ、お兄さんはまだ若いですよ!」
「そ、そうだろ! ありがとう。ありがとう⋯⋯」
女子高校生にフォローされてしまった。情けないがそれでもまだ若いと言われて嬉しがっている自分もいる。現金なもんだね。
さて、千咲ちゃんと言う友達がいることは話の流れでわかったが、肝心なことを聞いていないことに気がつく。俺は彼女の名前知らないな。いや、厳密には配信者名とか知りたいかも。
けどなー、なんか我ながらストーカーくさくないかって思ってしまったりもする。純粋な興味なんだけどさ。ここら辺言葉間違えると危ない気もする。
悩んでいても仕方がない、俺は腹芸があんまり得意ではないのだ。直接聞こう。
「そういえば何て言う名前で配信者やってるの?」
いや、これは無いのではないか。自分の発言に自分で固まる。あまりにも直球勝負が過ぎるだろ。
ちらりと横を見ると彼女の反応は違ったみたいで、自信満々の顔を浮かべている。所謂ドヤ顔というやつだ。
「ふふーん、やっと聞いてくれましたか。お兄さんが応援してくれるって言ってたのに聞いてこないから社交辞令かと思いましたよ」
純粋、あまりにもピュア。その眩しさに俺は目が潰されそうになっている。オレンジジュースを両手で抱えている彼女の後ろからは後光が見えるくらいだ。
「ふっふっふっ…⋯⋯。私はハルルンって名前で配信者やってますね。本名が榛名だからそこから来ているんですけれど。⋯⋯安直だって言う意見は受け付けていません。それよりもまずまずこのアプリわかりますか?」
「舐めんな、俺でも名前くらいは知ってはいる。⋯⋯やってはいないけど」
見せられたのは短い動画を投稿するプラットホームのアプリ。俺だって知ってはいるが、無縁なものだと思っていた。
彼女改めて榛名ちゃん。名前まで教えて貰った。俺も名乗った方がいいのだろうか。聞かれてないし別にいいか。
「もしよければ後でフォローしてくださいね!」
「わかったわかった。後でアプリ入れてやってみるよ。一ファンとしてね」
俺が言うと、榛名ちゃんはパッと顔を上げる。目がキラキラしてる。眩しい。
「本当ですか? やった! じゃあお兄さん、約束ですよ!」
彼女は立ち上がって、ジュースのペットボトルをベンチに置く。そしてちょっと照れながら、でも自信たっぷりに言う。
「じゃあ特別に1曲、披露しちゃいます。ファンサービスですよ!」
榛名ちゃんは慣れた操作でスマホから音楽を流し、目の前で踊り始める。ポニーテールがリズムに合わせて揺れ、Tシャツが軽やかに動く。それは楽しそうで、根っこからのアイドル気質なんだな、なんて思う。俺は素直に見惚れた。
夕暮れの光の中で、彼女の動きは輝いて見えた。曲が終わると、榛名ちゃんは少し息を切らしながら、こっちを見てニコッと笑う。
「どうですか、お兄さん!」
「俺の少ない語彙じゃどう表現しようか悩むけれど。良かった。アイドル、絶対なれるよ。⋯⋯なんて無責任かな」
心からの言葉だった。榛名ちゃんは照れ笑いを浮かべる。
「いえいえ、嬉しいですよ。ありがとうございます!」
「俺がプロデューサーとかならここで名刺を渡しているよ。残念ながら芸能系とは無縁のサラリーマンだけどね」
「えー、本当に残念です」
彼女はそう言うが、さして残念そうでもない。まあ、そんな運命的な出会いなんて創作の中だけだろう。あくまで俺は一般人だしな。
俺はコーヒーの缶をゴミ箱に放り投げる。見事に外して、拾いに行く羽目になった。恥ずかしい。そんな俺を笑いながらも榛名ちゃんはゴミ箱の元まで行って、これ見よがしに丁寧に入れる。結構いい性格しているな。
彼女に別れを告げて公園を後にしながら、胸の奥で小さく思う。影ながらちゃんと応援しようかな。とりあえずはアプリを入れるところから始めようか。
気恥ずかしさもあるが、熱量に当てられた俺には小さな無視できるほどの問題だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます