第2話
夕暮れの公園は相変わらずの静けさに包まれていた。街路樹の葉が風に揺れる音、遠くの車のエンジン音、そして女の子のダンスの足音。いつもの風景がそこにある。これが俺の日常の1つだった。
この公園は俺にとって会社と家の間の中継地点にして、一番のお気に入りのスポットだ。喫煙所のベンチに腰を下ろし、シャツのボタンを一つ外して、ライターをカチッと鳴らす。いつものルーティン。しかしなかまら俺にとって大切な時間だった。
煙草の煙が夕焼けの空に溶けていく。紫煙何て言うけれど、よくよく見ると煙は確かに紫がかった色に見えた。勘違いかもしれないが。今日もなんとか生き延びることが出来た。この時間が俺を仕事をするマシーンから人間に戻していく。
この前に彼女の落とし物を拾った一件以来、彼女との関係は微妙に変わった。と言っても、大したことではない。公園で目が合えば、軽く会釈する程度の仲になっただけだ。偶然により縁が出来た以上、無視するのも気が引けるが、積極的に仲を深めようとも思わない。ちょうどいい関係性と言うやつだ。
彼女はポニーテールを揺らしながら、元気に踊っている。ちょうど決めのポーズをした。一曲終わったのだろうか。こちらに気がついて、ちらっと笑顔を見せる。それに対して俺はぎこちなく頷き返す。
会話まではまだ遠い。いや、別に会話する必要もないんだ。27歳の会社員が若い女の子とベラベラ話すなんて、世間的にどう見られるか分からないしな。過剰な自意識、と言われればその通りかもしれない。セクハラにパワハラになんにでもハラスメントと言われる時代、自衛はしすぎて困るものでもあるまい。
今日も彼女は公園の片隅でダンスに励んでいる。相変わらず頑張ってるねえ。スマホを三脚に立てていないから、撮影じゃなくて練習の日だろうか。
彼女の動きはキレがあって、素人目にも上手いと思う。Tシャツが少し大きめで、細い体が時折隠れるのがなんか彼女らしいなと思う。こう、小柄な子がオーバーサイズ来ているのって良いよね。いやいや、少し変態くさい思考ではないだろうか。いくら多少認知されているとしてもそれは不味いのではないのだろうか、自省する。そんなことを考えながらタバコを吸っていると、いつもと違う音が耳に飛び込んできた。
ダンスしながら何か口ずさんでいる。今踊っている歌だろうか。最近の流行りのナンバーとかは恥ずかしながらわからないんだよな。こういうところから少しずつ若者からの卒業が始まるのだろうか。でも調べる気力も湧かないんだよなぁ。
リズムに合わせて軽く歌っているんだろうけれど⋯⋯。うん、なんというか、微妙に音程が外れている気がする。いや、元の曲を知らないから詳しいことは言えないんだけれどさ。ダンスの動きに引っ張られてか、声が少しブレてる。
楽しそうだなと思うのと同時に、ヘタウマという言葉が頭に浮かぶ。「ぷっ」思わず小さく笑ってしまった。いや、悪意はないんだよ、本当に。彼女のキレッキレのダンスとのギャップが、なんかこう、妙に愛嬌があって。高校球児が真剣にバットを振ってるのに、フォームがちょっと変で応援したくなるような――そんな感じだ。
悪寒、なんか良くない空気を感じた。瞬間、まずいことに気がついた。彼女がこちらを見ている。ジーっとこちらから目線を外さない。時間が止まったようだった。
愛想笑いを浮かべて軽く会釈をする。彼女の顔がみるみるうちに赤くなる。それは恥ずかしさなのだろうか、それか怒りの表情なのだろうか。
「あ、あの! 今、笑いましたよね!?」
イヤホンを外して、彼女がズカズカと近づいてくる。ぐいぐいと距離を詰め寄られている。小柄なはずの彼女だが、その圧で大きく見える。
俺は慌ててタバコを灰皿に押しつけ立ち上がる。見上げる体勢だとより大きく見えて怖かったのと、いつでも逃げられる状況を作るためだ。さあて、いざとなったら何年かぶりの全力疾走をするぞ。普段からダンスで体力がついているであろう若者に敵うかはわからないけれど。
「いや、違うんだ。落ち着いて話を聞いて欲しい。君を笑ったわけじゃない。いや、笑ったけど、悪意があったわけじゃない」
我ながら情けない言い訳だ。完全に及び腰でびびっていやがる。少しでも気を落ち着かせるように、両手を前にだし制止する。
彼女は眉を吊り上げ、じーっと俺を睨む。ピリピリとした空気が流れる。冷や汗が背中を伝う。課長に次の業務の計画書を持っていくときですらこんな緊張感はない。
しかしながら俺もプロの社会人だ。”謝罪”という分野では一日の長がある。小娘なんかに負ける気がしない。勝負は一瞬だ。行動を起こす時には、その前段階として”気”が起こる。それを確実に見逃さないようにする。達人の間合い。⋯⋯彼女がすっと息を吸い込んだ。今だ!
「⋯⋯あの「ごめんね!」」
秘技、猫騙し謝罪の術。被せるように謝罪をすると、一瞬面を食らったかのように怯む。その隙を逃す俺ではない。
「本当に悪意があるわけじゃないんだ。えっと、ダンスがすごい上手じゃないか。俺は良くわからないけれど、プロ顔負けくらい。だから歌も上手なのかなーって、ギャップが俺の中で少しあっただけでさ。でもなんて言うか、親しみがあって良かったと思うよ。アイドルとしてそれも武器になるんじゃないかな」
矢継ぎ早に言葉を放つ。最早言葉の濁流だ。思考と言うプロセスを挟ませないことがポイントだ。事実、聞いていてキョトンとした顔をしている。大丈夫、俺もなに言っているか自分でも良くわかってないから。
再びの無言、しかしながら顔に浮かぶ感情が怒りから困惑に変わっている。怒りは6秒しか持続しない。アンガーマネジメントの研修受けといてよかった。これが合ってるかはわからないけれど。
困惑の許容値が限界を迎え笑いに変わったようだ。彼女はプッと吹き出した。
「は、ははっ! 何ですかそれ。フォローになってないですよ、お兄さん」
ちょっとだけ警戒が解けたみたいだ。よかった、警察のお世話にならなくて済んだ。彼女の寛大すぎる心に感謝をしながらも言葉を紡ぐ。一難去ったとしても、さりとて今は薄氷の上。言葉選びを間違わぬよう一言一言ない頭を回しながら選ぶ。
「決して悪い方に捉えないで欲しいんだけれど、なんだか普通の子だなって。えっと⋯⋯、高校生、でいいんだよね。ダンスが得意な普通の女の子だなって思ったよ」
彼女は少し頬を膨らませつつ、ため息をつく。
「まあ、いいですけど。実は私、歌がちょーっとばかし上手じゃないこと自覚してるですよね。それと高校生で合ってますよ。身長が低くてたまに中学生に間違われることもコンプレックスですけど。お兄さんも間違えそうになったんですか?」
「ああ、ごめんね。違う違う、この歳になってくると高校生と中学生の違いがあんまりわからなくて⋯⋯、最近の子って特に大人びているじゃん」
言葉とは裏腹に悪戯っ子みたいな笑みを浮かべる。これは俺をからかう方向にシフトしたのではないだろうか。しかしながら、最近の子ってわからないよな。この前テレビに小学生モデルってのが出ててビックリしたもん。身長も高くて大人っぽくて。俺が小学生の頃なんて年がら年中半袖短パンで鼻を垂らしていた気さえする。
俺が余程遠い目をしていたのか、「もしもーし」なんて言いながら目の前で手を振られる。おっと、意識を20年近く前に飛ばしていた。⋯⋯20年前かぁ。自分の思考で自分にダメージ。
それだけ俺も大人になったってことだな。それじゃあ大人らしく振る舞いますか。
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