この白き新生の学び舎で
藤田大腸
編入生
戦後日本の再生のためには教育が必要である。特に女子に対する教育に力を入れなければならない。その理念が結びついた場所がS県東部にある
彼女に救いの手を差し伸べたのは星花女子学園である。ひょんなことから創立者と知り合ったきくは、生徒寮の舎監を兼任するという条件でタダ当然の学費で学ばせてもらう機会を得られたのである。
「これからは女性の時代が来る。あなた達はその先陣となる」
創立者が入学式で述べた言葉通りの世が来ることをきくは信じていた。うんと勉強し、うんと偉くなって河邑家を立て直す。かつての豪農の娘はハングリー精神で底からたくましく這い上がろうとしていた。
創立から四年目の年。戦後の混乱が落ち着きつつあった頃に高等部が開設され、きくたち一期生は一名も欠けることなく、無事高等部に進学した。
「朝だぞー! 起きろ起きろ起きろー!」
スズメとニワトリの鳴き声に、人間の怒鳴り声が重なる。もんぺ姿の河邑きくが部屋のドアを次々とノックして開け放ちながら、廊下を端から端まで練り歩く。ドアからはゾロゾロと寝間着姿の寮生が出てくる。寝ぼけ眼をこすりながら洗面所に向かっているときくが戻ってきて「ほれ、ちゃっちゃと顔を洗え!」と急かす。朝からせわしないが、いつもの光景である。
食堂に入ると、一足先に起きて準備していた料理当番たちが配膳を始める。その中にはきくの姿もあった。彼女は一番早く起きて飯を炊いていたが、当然この時代はかまど炊きであり、現代の自動炊飯器よりもとてつもない労力が必要だったのは言うまでもない。
「まっ白なご飯だ!」
寮生たちが歓声を上げた。食糧事情はやや改善されたとはいえ、白米のみのご飯が贅沢な食事とされていた時代である。生徒寮でも普段は白米と雑穀を混ぜた飯が出されるのだが、特別な日となれば話は別だ。
「今日から新学期だからね、しっかり食べて頑張るんだよ!」
一斉に「いただきまーす!」と合掌して、朝食が始まった。きくは食事の合間におかわりをねだる年少の子にご飯をついでやったり、食べ終えた子の空の茶碗にお茶を入れてやったりした。せわしなく動き回り白米の甘みを味わう余裕もなかったが、これもいつものこと。
食器を片付けたら身支度である。生徒寮の玄関近くに寮監室があり、そこはきくの部屋も兼ねている。寮監室に戻ったきくはすぐさまもんぺからグレーのセーラー服に着替えた。玄関に備え付けられた姿見を使い三つ編みを念入りにチェック。身だしなみを整えて、いざ登校。
「よしっ」
河邑きく、高等部一年生最初の日である。
*
竣工したばかりの高等部校舎は著名な建築家の設計によるもので、その姿はまさしく白亜の城と呼ぶべきものであった。
始業式を終えた生徒たちはピカピカの新校舎の空気を存分に味わいつつ、各々の割り当てられたクラスに向かったが、当時はまだ一学年につき二クラスしかなく、きくは一組に割り当てられた。
「みっちゃん、よろしく!」
「おきくさん、またまたよろしくー」
おかっぱ頭の生徒、
「ねえおきくさん、明日が入学式だけど高等部に編入生が入ってくるのよね? どんな子が来るか知ってる?」
「わかんない。少なくとも寮生じゃないことは確かだけど」
当時の生徒寮は定員が少なくすでに満室になっていて、他に遠方地から来た生徒のほとんどは市の中心部で下宿生活を送っていた。美千代もその中の一人で、彼女は県西部の湖濱津市からやってきた。軍需工場があったために大規模な空襲を受けたが、実家の材木店は奇跡的に戦災を免れており、今は復興のために東奔西走している。
星花女子学園では当初、完全中高一貫の六年教育を想定していたが、女子教育ニーズの高まりが予想を越えていたため、高等部からの入学も認めることになった。合計二十名、一クラスあたり十名の編入生が配属されることが決まっていたが、その詳細はきくも知らない。
担任が入ってきた。きくと美千代は露骨に顔をしかめた。
「はい、席に着きなさい。賛否両論あるかと思いますが、この私、岡部トヨが一組の担任を受け持ちます」
眼鏡をかけた中年女性教師はいかにも厳格そうだが、実際その通りであった。担当は英語で、女子英学塾で鍛えられた英語力と熱意をもってスパルタ方式で生徒に当たった。そのため、生徒から恐怖と畏怖の対象となっていた。
「まさか
「終わったわね」
きくたちがぼそっと呟いたのを聞き逃さない。たちまち「そこっ、お静かになさいっ!」と怒声が飛んできて、きくは肩をすくめた。
もっとも、地獄といっても戦争よりは遥かにマシではある。いくらスパルタ教師でも命まで取りはしないのだから。
*
翌日は日曜日だったが、入学式が執り行われた。
寮監の仕事もこなすきくにとって日曜はあって無いようなものだが、全く暇な時間が無いわけではない。入学式の時間の前におきくさんもどうですかと寮生に誘われて、新入生と編入生の見物に出かけた。
保護者に付き添われて星花女子学園の門をくぐる新しい仲間たちの初々しい、不安と期待が入り混じった表情を物陰から見つめる先輩たちはほっこりとさせられた。
「私たちにもあの頃があったのよねえ」
そう言ったのは、いつの間にか隣にいた美千代であった。
「みっちゃん、わざわざ見に来たの? 休日を潰してまで」
きくは呆れ気味に尋ねた。
「んー、用事のついでに」
「用事? ……ああ、あの胡散臭い神様を祀ってるお屋敷ね」
駅の近くには新興宗教の
「神様は胡散臭くても若先生は違うもん」
美千代は教会長の息子に入れ込んでいた。若先生とはいうがまだ年は十七と一つとか違わず、教師の資格を持っていないらしいが、とにかくその若先生はとても優しく穏やかで、美千代はああいう人と結婚したいと臆面もなく吹聴していた。
「あんたいつか、『これ』巻き上げられるよ」
きくは指でわっかを作った。
「若先生はそんなことしないもん!」
「どうかしら。悪い奴って大概外面がいいもんだからね」
「おきくさんはたまたまそういうのに当たっちゃったの。若先生は絶対に違うから」
こりゃダメだ、ときくはこれ以上言わなかった。
けたたましい音が近づいてきた。一台の自動車が見え、正門前で停まった。
黒光りする車体にいかめしいフォルム。きくには自動車のことはさっぱりわからないが、庶民の持ち物ではないことぐらいははっきりとわかった。
スーツ姿の運転手が降りてきて、後部座席のドアを開けた。
長い髪の毛をなびかせながら、グレーのセーラー服に身を包んだ、背の高い少女が降りてきた。
「ひょえっ!?」
きくは素っ頓狂な声を出してしまったが、周りも似たような反応であった。容貌もたたずまいもまるで舞台女優のようで、神々しささえ感じられる。
「は~、あんなけっこい子初めて見るなあ……」
きくは彼女の姿を熱心に見ていた。周りがキャーキャーとうるさく騒ぎ立てているのも聞こえないほどに。
「大人びた感じからして編入生っぽいね。うちのクラスに来たらどうする?」
美千代が聞いた。
「岡婆地獄がだいぶマシになるから、是非来てほしいわ」
きくは笑った。
そして月曜日。きくの願いは現実となった。
「
美少女は凛とした声で自己紹介した。クラスの誰しもが他の九人の編入生に目もくれなかった。
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