第2話 記憶がない!

 あれは何だったかな――上官の女房に忠誠を誓う騎士みたいな話が西洋であったような。宮廷風恋愛とかなんとか。

 

 ハッキリ言ってバカバカしい。

 まず上官の女房に興味があるのが気色悪い。

そんなことでしか忠誠を誓えないんだったら、はなから忠誠なんてものは無かったんだろうよ。


「ハァ、ハァ」

 石田治部少輔三成いしだじぶのしょうゆうみつなり急峻きゅうしゅんな山を登りながらあやふやな記憶を辿っていた。

 あれは絵画の中の話? さもなければおとぎ話なんだったっけ――

「殿、あれは刑部ぎょうぶ殿では?」

「うん?」

 すぐ後ろで家臣の渡辺勘兵衛が頭を振った。


 見上げると、大谷刑部少輔吉継おおたにぎょうぶしょうゆうよしつぐの岩にかけた長い足と山々の稜線を見渡す姿が目に入った。抜けるような青空が眼前に広がる。


「相変わらず格好つけやがって……」

 息の上がった二人にようやく気がついたのか、大谷刑部はこっちを向いて白い歯を見せた。

「このくらいでへバってたら、先が思いやられるぞ」

「うるさい! 俺は頭脳派なの。この体力オバケが」


 大谷はさも嬉しそうにコロコロと笑った。

「で、お姫さまは?」

「先ほどからご機嫌ナナメじゃ」

「ええ? 刑部でもダメなら俺じゃもっとダメだろ」


 洞窟の奥にソレは居た――

 慣れてくると暗がりでも映える赤い着物が目に染みた。胡乱げに、でもしっかりと大きな瞳で三成を見た。


「これはこれはお袋様、どうしてかようなところに?」

「茶々で良い……わらわも知らぬ! そなたが説明せよ!」

 

 まぁ、気の強いおなごだこと。三成は笑いそうになって親友の顔を見た。大谷は黙って肩をすくめている。


 茶々は美しかった。

 正直、こんなにも美しいとは思ったことも無かった。


 前までは絶対的な上司の妻であり彼が命に代えてでも守らねばならない幼い主君の母親であり、興味を持って接する対象では無かった。

 言い換えれば政争に明け暮れる三成にとってコマの一つでしかなかった。


「ちょっと失礼……」

 

 三人の男たちは洞窟を出て先ほど大谷が見ていた稜線を眺めた。

 青すぎる青空で頭がクラクラした。

 山々は以前と何ら変わったところはなく延々と続いているかのように見えた。


「マズイことになったなぁ……」

 三成がボヤくと大谷は真面目な顔になる。


「そうかなぁ……俺は嬉しかったけどね、ねぇ勘兵衛」

「はぁい」

 勘兵衛がクシャっと笑う。三成はこの男の笑顔がどうにも好きだった。

 大谷は陽に焼けた鼻の頭を人差し指で掻いた。


「だって、治部。そうだろ。茶々様は俺らに未来を与えちゃったんだぜ。彼女は俺らの未来そのものなんだから」


 全ての始まりはこれよりひと月程前に遡る。




【石田三成】 

近江の人。幼名、佐吉。官名は治部少輔。豊臣秀吉に才知を認められて五奉行の一人となり、太閤検地など内政面に活躍。文禄4年(1595)佐和山城主となり19万4千石を領したが秀吉の死後、関ヶ原の戦いで徳川家康に敗れ、京六条河原で斬首。享年41。


【大谷吉継】

安土桃山時代の大名。幼名、紀之介。官名は刑部少輔。秀吉に仕え越前敦賀5万石を領する。文祿・慶長の役に出陣。関ケ原では石田三成に味方して自刃。享年39(諸説あり)。


【渡辺勘兵衛】

三成家臣。柴田勝家や羽柴秀吉から2万石での誘いを受けた豪傑であったが勘兵衛はそれらの誘いをすべて断り、当時小姓であった三成に仕えた。不思議に思った秀吉が訊ねると、三成は「自分の500石の知行全てを与えた。勘兵衛に自分が100万石取りになった際に10万石を与える約束をして召し抱えた」と話した。秀吉が三成自身はどうするのかと問うと、「勘兵衛の家に居候になります」と聞いて大笑したとの話が伝わる。

関ヶ原で討ち死。







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