Chapter 6:Between the Sheets
『ビットウィーン·ザ·シーツ』
ラム、コアントロー、ブランデー。 甘さとスパイス、官能と気怠さが混ざる一杯。
名前の由来は諸説あるが、 “誰かの隣にいながらも、眠れない夜”── そんな意味に思えるときもある。
言葉にできない気持ちがある夜、 それでも店は、静かに受け入れてくれる。
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春の風が、まだ少し冷たい夜だった。
年度が変わり、街の空気にも新しい季節の匂いが混じっている。 桜はもう散りかけていたが、街路樹の間にほんのりと花の残り香があった。
神原悠一は、その風の中でひとつ息を吐いてから、バーの扉を押した。
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読者の皆さん、 もしもあなたが、あの春の夜に語られた神原悠一の“恋のエピソード”を忘れていたなら── それは、彼が語りきらなかったからかもしれない。
あるいは、恋の続きを語るには、 ほんの少しだけ、痛みが足りなかったのかもしれない。
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「……俺、振られました」
カウンターの上で、グラスが小さく鳴った。 神原は苦笑しながら言った。
「ちょっとだけ、本気だったんですよ。自分でも意外なくらい」
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彼女の名前は、春日真衣。
去年の秋、前の恋が終わって少ししてから、同じ部署に異動してきた。
彼女を見た瞬間、神原はどこか既視感を覚えた。
声の出し方、目の動かし方、距離の取り方。
──あの夜、渋谷で出会った彼女と、よく似ていた。
最初は、“たまたま”そう思っただけだった。
でも、その“たまたま”が、気づけば理由になっていた。
春日は、神原に少しずつ歩み寄ってきた。
彼女の方が先に、興味を持ってくれていた。
何度か食事をして、週末に映画を観に行って。
神原は、過去をなぞるように、彼女と時間を重ねた。
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返信の行間が広がった。
目を見て話していた彼女が、 少しずつ視線を逸らすようになった。
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「似てるだけだと思ってたんです。最初は」 神原は静かに言った。
「でも、あるとき気づいたら、ちゃんと彼女自身に惹かれてて…… そこからです、距離が開きはじめたの」
会話のテンポがズレはじめた。
返信の行間が広がった。目を見て話していた彼女が、少しずつ視線を逸らすようになった。
「……振られたとき、納得しちゃったんですよね、俺」
カウンターの上に置かれたグラスに、マスターが注いだ琥珀の酒。
Between the Sheets。
神原はそれを見つめたまま、ぽつりとこぼす。
「俺、たぶん、ずっと“誰かを追いかけてる自分”に酔ってただけで…… 本当に誰かと向き合うこと、してなかったんだと思います」
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Between the Sheets。
甘さと渋みのあいだに揺れる夜。
惹かれたと気づいた時には、 もう、そこに心はいなかった。
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