恋するふたり。月曜の朝、駐輪場にて
新見にとって、筬島真珠と一緒にいる時間は、最高に楽しかった。
話はめちゃくちゃ弾むし、笑いのツボも合う。
たまに突拍子もないことをするけど、そこがまた面白いし、最高に可愛い。根はすごく真面目だってことも、新見はちゃんと知っている。
だから、彼女を「セックスさせてくれる都合のいい女」だなんて考えたことは、一度だってない。
新見の中では、もうとっくに筬島は「カノジョ」だった。
でも、もしかしたら。筬島は、二人の始まり方に縛られているんじゃないだろうか。
「セフレ」たった三文字のその言葉が、あいつをがんじがらめにしてるのかも。
俺に本命の彼女ができるまでの、期限付きの関係。あいつ、まさかそんな風に考えてる?
――冗談じゃない! 何だよそのすれ違いは!
よし、決めた。
ごちゃごちゃ考えるのはもう終わりだ。ちゃんと告白して、筬島に俺のステディになってもらう!
***
ヘアサロンの予約を入れたのは、衝動的なようでいて、真珠にとっては必然だった。
汗をかく機会が多すぎる。
長い髪を洗い、乾かし、ブローするのは億劫で仕方がない。もちろん、その決意の裏には、新見の存在がほんの少し、いや、かなり影響しているかもしれないと、彼女自身も気づいていた。
「思い切って短くしたいんです」
そう告げると、スタイリストは慣れた手つきでカタログをめくった。
「そうだね、じゃあ、ウルフカットのマッシュはどう?」
写真の中のモデルは、軽やかで洗練された雰囲気だ。悪くない。
「うん、こんな感じで。手入れ、簡単ですか?」
「そりゃ今の髪型より断然、楽だよ。ブロー大変でしょ?」
「乾かすのも時間かかるし……」
「このカットだと、楽だよー」
軽やかなハサミの音とともに、長く重かった髪が床に落ちていく。
サロンを出て、自転車を漕ぎ出す。
ショーウインドウに映った自分の姿に、真珠は思わず息をのんだ。ヘルメットが今までより断然、似合っている気がする。短くなった髪が、新しい自分を後押ししてくれるようだった。
月曜日、新見はなんて言ってくれるだろう。
そして、彼が言っていた「話」とは、いったい何なのだろう。前向きな気持ちと、結構な不安が胸の中で混じり合っていた。
***
月曜の朝。新見は、筬島を待ち伏せするため、自転車を猛然と走らせていた。
急ぐあまり、父親の古いスポルティーフを借りてきた。
繊細さはないが、直進安定性は抜群で、とにかく楽に速度が出る。旧式のシフトレバーは少し気を使うが、それもまた一興だ。こんな古びた自転車を盗む者もいないだろう。
どこか武骨なその佇まい。
――筬島の可愛らしいミニベロはたぶん、このスポルティーフやランドナーの“戯画的存在”なんだよな。
――彼女はなんて言うだろうか。
***
しばらく待っていると、駐輪場の指定場所に見慣れたミニベロが滑り込んでくるのが見えた。
真珠は目を丸くした。
え、ええーっ。新見がいる。なんで、なんで?
「新見、おはよ……何してんの」
戸惑いを隠せないまま声をかけると、彼は真剣な顔でこちらを見つめてきた。
「ちょっと話があってな」
彼のただならぬ雰囲気に、真珠は促されるまま自転車に鍵をかける。
二人が向かい合うと、朝のひんやりとした空気が張り詰めた。新見が、絞り出すような小さな声で言った。
「筬島、あのさ、セフレなんだけど、もうやめようぜ」
その言葉は、鋭い刃のように真珠の胸を突き刺した。思わず俯き、彼の顔が見れなくなる。
――もう、誰か好きな人ができたんだ。私との関係を終わらせに来たんだ。
きゅっと胸が締め付けられ、息が苦しくなる。
しかし、新見が続けた言葉は、彼女の予想を完全に裏切るものだった。
「俺、お前の事、ただの都合いいセフレだなんて考えた事、全然ない」
まだ登校する生徒もまばらな時間帯。彼の声は小さく静かだった。
その一言一句を聞き逃すまいと、真珠は顔を上げた。
「お前と過ごした時間、俺、めちゃくちゃ楽しくてさ。もう付き合ってるのと変わんないって、本気で思ってた。でも……お前はたぶん、そうじゃなかったんだよな。これは今だけの“セフレ関係”なんだって……俺がどう考えてるかなんて、お前にはわかんないもんな」
新見の言葉がどこへ向かっているのか、最初はわからなかった。
だが、彼の瞳に宿る真摯な光を見つめているうちに、確かな予感が胸の内で大きく膨らんでいく。
「俺は──欲張りなんだ!だから欲しいものは欲しいって言う!」
突然、彼が声を張り上げた。
その声に、周りにいた生徒たちが「え?」と一斉に振り返る。真珠は慌てて彼の腕を引いた。
「ちょ、声っ……!」
だが、もう新見を止めることはできなかった。彼は、駐輪場にいる他の生徒はガン無視で、ただ目の前の彼女だけしかいないがごとくふるまった。
「筬島、俺はお前が大好きだ!俺と、付き合ってくれ!」
その瞬間、真珠の世界から他の全ての音が消えた。周りの視線も、ざわめきも、もうどうでもよかった。
彼女は両腕をいっぱいに伸ばすと、ためらうことなく新見の胸に飛び込み、力いっぱい抱きしめた。彼の体にぐりぐりと頭を押し付ける。
「嬉しい!すごく嬉しい!」
新見は少し驚いたように体を硬直させたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべ、真珠の短くなった髪を優しく撫でた。
「髪、切ったんだ。似合ってる」
「うん。早く乾くから、待たせる時間短くなるし。えへへ」
月曜の朝の駐輪場は、完全に二人の舞台となっていた。
「キャー!見て見て、告白だって!」
「うわ、マジかよ……」
「おめでとー!」
「月曜からやめてくれよな……リア充め、爆ぜてしまえ……」
嬉々とした女子の歓声と、男子生徒からの若干の怨嗟の声が入り混じった声が響く。
告りたて~即ハグのバカップルには、知ったことではないけれど……
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