収束のディストピア~温暖化の進んだ世界で少女は旅立った。

@nyoronyoro321

1誕生

2306年


ガレリア中央住宅街 型守邸

部屋番号:U-0(Unregistered-0)


 壁も床も、艶のない白で統一された部屋。簡素なベッドと、机と椅子が一組。装飾と呼べるものはひとつもなく、空気清浄機の低い駆動音だけが空間を満たしている。外の陽光が差し込む窓はない。代わりに天井は全天候型ディスプレイで、今朝は淡い曇天が流れている。


 部屋唯一のベッド上で、ひとりの少女が目を開けた。六歳前後に見えるが、子どもに特有のあどけなさは薄い。表情は、妙に無感情だ。なによりも目を引くのは、その瞳孔だった。アーモンド形に細長い瞳孔は、暗所で異様な視力を与える。だが強い光には、鋭い痛みと不快がつきまとう。


 彼女の起床を感知し、室内スピーカーから人工音声が響く。

「おはようございます。六時十分。室温二十三度。外気は摂氏五十二度。歯磨きとうがいをどうぞ」


 空音は気怠げに「わかった」とだけ返し、無言で洗面所に向かった。壁に埋め込まれた小さな洗面台で、淡々と歯ブラシを動かす。しっかり磨かなければ、後で「やり直し」を命じられる。それが嫌で、彼女の歯は常に整っていた。口をすすぎ、うがいを終えると、一杯の水を飲んだ。浄水器の冷えた水が喉を滑り落ち、わずかな安堵を与える。


 一息つく間もなく、再び声が響いた。

「では、机に座り近代史基礎テストAを開始してください」

 

 空音は素直に机へと向かい、タブレット端末を手に取った。タブレットに視線を合わせるだけで、顔認証は終わる。すると画面には、仮想インストラクターの文字が並んだ。

《おはようございます、空音さん。テストを開始します》



第一問

2050年に発表された完全管理型巨大都市構想の名称は?

空音:答え「ガレリア構想」


第二問

地球温暖化に伴い、大衆都市はどう変化した?

空音:答え「駅付近の地下街を発展させ、住宅を含め地下化した」


第三問

パッケージ型の遺伝子編集事業を牽引した企業は?

空音:答え「NOVA GENOMICS」


第四問

地下街からガレリアを守っているゲートは?

空音:答え「ヴァール・ゲート」


第五問

現在の西暦は?

空音:答え「2306年」



 全問解きを終えると、ルゥが即座に結果を告げた。

「正答率一〇〇パーセント。上位一〇パーセントです」


 褒め言葉も、励ましもない。ただ数値と順位だけが読み上げられる。良くても悪くても、反応は変わらない。それは空音自身も同じだった。赤子ですら存在する快不快がこの環境でひどく退化してしまった。それでも空音が真面目にやるのは、ただそうしろと言われているからだった。機械的に命令に従うだけだった。



 空音の父は、遺伝子編集企業NOVA GENOMICSを率いる型守家の当主だ。空音自身は何も知らされていなかったが、父の遊びで作られ飽きられた事はわかっていた。故に型守家で空音だけが性を継ぐ事を許されていなかった。


 性を継ぐ予定の兄姉たちには、それぞれ詳細な育成計画と教育プランが与えられていた。朝から晩まで詰め込まれる特訓、専門の家庭教師AI、最新設備のトレーニングルーム。

 だが、空音には何もなかった。彼女の部屋番号「U-0」は、屋敷の隅の空き部屋を少し改装した物であった。それも最低限のネグレクトと言われない為の改装であった。彼女の目には外光がひどく眩しかったが、配慮はなかった。その為彼女は殆どの時間を薄暗い自室で過ごした。


 乳児期は兄姉と同じAIとアンドロイドが世話をした。しかし成長が追いつく前にライセンスは切れた。管理AIは延長を許さず、「不要」と判断した。

 管理AIとは後継候補を作り義務は果たしたと遊び回っている父に代わって屋敷の全てを把握、支配しているAIだった。故に空音を含めた全ての子供達の命運を握っていた。

 

 ライセンスが切れた育児用AIの代わりに倉庫から型落ちの家庭用AIが引っ張り出された。名はルゥ。ルゥは教育用の最低限のプログラムしか持たず、空音に与えられたのは、世界の仕組みを説明する講義と、単調な試験だけだった。


 ルゥは感情を持たない。持っている様に振る舞うこともない。空音が笑おうと、泣こうと、声のトーンは変わらない。「それは正答です」「間違いです」「次の課題に移ります」淡々としたやり取りの中で、空音の感情は育たず、知識だけが機械的に積み重なっていった。

 彼女は、笑い方を知らなかった。泣く理由も、泣いた後の慰められ方も知らなかった。ただ、数字と正解とルールの中で、静かに日々を過ごしていた。



 外からの光も、鳥の声もない。部屋の外に何が広がっているのか、まだ分からなかった。そう。空音にとって「世界」は、ルゥの声と、タブレットの中にだけ存在していた。

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