第12話

「お父様、お話がございますの」


 執務室を訪ねたヒルデガルドを、父は快く迎え入れてくれた。


「なんだい?改まって話だなんて」


 ああ、お父様。


 老齢となった父の記憶はそれほど古いものではない。目の前の父は、そんな未来を知るはずもなく、死に戻る前のヒルデガルドよりも若々しい。


 ヒルデガルドは、まだそのことに慣れずにいて、こうして向かい合うだけで胸に込み上げてくるものがある。


 そんな父を困惑させるのをわかっていながら、それでもヒルデガルドは言わねばならない。


「わたくし。ローレンの側にいたいのです」

「うん。いつも側にいるよね」

「未来永劫ですわ」

「随分長いことだね」


 父は、ヒルデガルドがまた可怪しなことを言い出した、というような顔をした。

 と言うことは、ヒルデガルドは回帰前からちょいちょい可怪しな発言をしていたのだろう。

 自分のことであるのに、そこのところはよくわからない。


「ローレンは我が家の大切な後継者ですわ。ただ、体力的に無理がききません。ですからわたくし、あの子の補佐をしようと思いますの」


「どういうことだ?」


 父の声が硬くなったと思うのは、気の所為ではないだろう。


「そのままの意味ですわ。あの子の右腕左腕となって、わたくしが前から後ろから補佐致します。代わりに外回りも致しますし、交渉の場にも同席します。書類も捌きますし、『当主の執務』つまり、領地経営にも携わります」

「お前が?」

「ええ」


 父は普段の穏やかな表情から、伯爵家当主の顔となった。だが、ヒルデガルドは侯爵夫人であったから、寧ろ格下相手に対する風格を漂わせている。


 父は、そんなヒルデガルドからダダ漏れに漏れる風格に当てられて、一瞬ひるんだ。


「ローレンの最期のその一瞬まで、私があの子の側にいて、あの子を支え補佐します。その後は、この家を後継として支えていく所存」

「ヒルデガルド、お前⋯⋯」


 父はそこで言葉を失い、眉間に皺を寄せた。

 ローレンの未来がそれほど長くはないことを、父も母も覚悟をしている。暗黙の了解で、誰もがそうわかっている。


 ローレンが二十四歳まで生きられたことは、寧ろ長かったといえよう。医師はローレンが成人できないとまで言ったのだから。


 ヒルデガルドは、ローレンが伯爵家当主となったあとに鬼籍に入るだろうことを前提にして、後継者が不在となった伯爵家の次の後継者となって家を守ると言っている。


「お前、嫁入りしないと言うのか?」 

「はい」

「婿を取るのか?」

「いいえ」


 結婚ならもう既に経験した。あの一度きりで十分だ。


「どうする気だ」

「どうもこうも、独り身のまま女伯爵となりましょう。後継なら、傘下から賢い男児おのこを養子に貰い受けますわ。子が多くいる家なら当てがありますの」


 ヒルデガルドは、この生でもオースティンを養子にしたいと考えた。


 オースティンは伯爵家の遠戚の子息である。

 まだ今は、この世に生を受けてはいない。彼はヒルデガルドが十九歳の年に生まれている。


 どうして夫がオースティンを養子にしようと考えたのかわからない。

 養子なら、侯爵家の血筋に頃合いの男児がいたのだし、家の存続を願うなら同族から子を得るべきだ。


 それなのに、夫はわざわざ一族の反対を押し切って、ヒルデガルドの生家を通してオースティンを養子に迎えたのだ。


 ヒルデガルドと同じ、焦げ茶の髪と翠がかった青い瞳のオースティン。

 二人が並ぶとまるで本当の母子に見えた。


 夫はきっと、子を成せなかったヒルデガルドに子供を授けたかったのだろう。そうしてヒルデガルドにオースティンを充てがって、自分はヘレンを妾にした。同い年の二人が二十三歳の時である。


 哀しい記憶は随分遠いものなのに、死に戻っても尚、心の奥に感傷を残している。


 もう結婚は十分。

 責任なら前世で果たしたつもりである。


 ヒルデガルドは今世では独り身を貫くことを心に決めた。

 後継なら、またあの子がいい。オースティンがいてくれるなら、きっと楽しい人生になるだろう。


「良い子を知っているのです。その子を養子に致します。血脈でありますからご心配には及びませんわ」


 まだ生まれてもいないオースティンを、生まれる前提で父に語った。


「は?」


 案の定、父には困惑しか浮かばない。

 まだテヴュタントすら済ませていない娘の口から、後継だの養子だの、女伯爵だの独り身だの、大凡聞捨てならない単語が並んで、この気持どうしてくれようというような顔をした。


「家のことならお前が案ずる必要はない。ローレンは生きている。仮に⋯⋯仮に何かあったとしても、お前が犠牲になる話ではない」


 父の言葉は当主としても父親としても真っ当なものである。


 だがしかし。ヒルデガルドのほうが上手うわてなのだ。ヒルデガルドは未来を知っている。その未来では侯爵夫人として一族を差配する立場にあった。


 執務の一端も担っていたし、そこいらの貴族当主並みには立ち回ることができるのだ。

 夫はそんなヒルデガルドを認めてくれて、安心してヒルデガルドに家を任せて、妾との関係を満喫しているように見えた。


「兎に角。私に縁談は無用です。今ある釣書はぜーんぶお断りしていただきますわ」


 ヒルデガルドには、学園入学と同時に、幾つも縁談が持ちかけられていた。嘗てはそれが気恥ずかしくもあり嬉しくもあったのだが、この生ではそれも無用である。


 ローレンと共に生き、ローレンを見送ったならヒルデガルドが伯爵家を継ぐ。


 前世のようにアトレイを犠牲にする必要はないし、オースティンを育てる幸せが待っている。


 ヒルデガルドの腹は既に決まっていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る