第35話 祈りを刻む者

【記録更新】

【対象:不定義存在 → 仮称“リリス”に変更】

【記録強度:14% → 27%】

【意味確定率:上昇中】


記録不能だった空間に――微かな“名の振動”が生まれていた。

まだ言葉にはならない。

けれど確かに――“存在”を持ち始めた反応だった。


冷え切った空気の中、ユウマは膝をつき、かすかに笑った。


「よう……はじめまして、“リリス”」

「お前のことを知ってるわけじゃない」

「でも、俺は――“名前を呼びたい”って思った」


ソフィアが静かに言葉を継ぐ。

「名を与えることは、単なる記録ではありません」

「記録とは、存在の証明。

名前とは――“祈りの対象”になるということです」


ルミナが光を弾けさせる。

『うん……“名前”って、呼ぶ側の想いでもあるから。

だからきっと、“答えなくてもいい”って……優しさなんだよ』


ヒナタは、記録端末にそっと呟いた。

「“記録していい”って誰にも言われなくても……

私たちは、“記録したい”って思ってる」

「その気持ちが誰かに届いたら……それが“記録になる”んだね」


* * *


神域の奥。

“リリス”と呼ばれた存在は――まだ姿を持たない。

けれど、空間に“音”が生まれ始めていた。

ザラついた振動。

断続的な光の鼓動。

意味不明の断片。

だが、それらは確かに――何かを伝えようとしていた。


タマモが三連センサーを点滅させ、低く言う。

「……ログじゃねぇ。

これは、“ログ未満”の残響だ」

「ただのノイズみてぇなもんだが……それでも“記録されたい”って叫んでやがる」


ルミナがすかさず茶々を入れる。

『タマモ、急にポエマーっぽい☆』


「ポエムじゃねぇ、現場報告だ」


アレクシスが重々しく言葉を添える。

「これは、“観測を拒まれた神”が――初めて“観測されたい”と望んでいる状態だ」


ユウマは端末を握りしめる。

「だったら……俺は、聞く」

「お前が言葉にならなくても」

「姿を見せなくても」

「……“いた”ってだけで、俺は記録する」


【記録者:ユウマ・タチバナ】

【対象:リリス】


「まだ語られていない声。

意味を持たないまま震える祈り」

「それを、俺は残す」

「名も知らず。意図も知らず。

ただ、“いた”という証として――お前を記録する」


その瞬間――神域の空が震え、音を返した。

それは応答。

祈りに対する、たったひとつの“承認”。


【リリス】

【記録受信:承諾】

【意味タグ生成:共鳴/想起/初観測】


空白の空に、淡い模様が浮かんだ。

まるで、誰かが空を撫でた跡のような――

まだ輪郭を持たない、“存在の印”。


* * *


遠く離れた観測端末の前で――クロウが目を開いた。


「……ついに、記録不能域に“意味を刻んだ”か」


彼の目の前にあるのは、ユウマの名と――“リリス”の新規ログ。


「記録とは、構造ではなく、意志。

それはもう……僕の領域を越え始めている」


彼は口元を歪め、笑った。


「なら、次は――その“祈り”を、誰が握るのかだ」


(第36話へつづく)

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