第7話 記録の対価
最初に気づいたのは――ヒナタだった。
「……ユウマさん」
彼女は、ペンダントのルミナを胸に、静かに言った。
「この部屋に……もう一人、いたよね?」
「え?」
「整備係の人。さっきまで、工具持ってルミナの配線いじってた。
でも……どこにもいないの」
ユウマは反射的に端末を開いた。
【ログ:なし】
【作業記録:なし】
【存在識別タグ:未登録】
モニターに表示されたのは、“何もなかった”という結果。
まるで――最初から存在していなかったかのように。
* * *
「おそらく、“記録の優先度”が再配分されたのだろう」
背後から聞こえたのは、アレクシス・ヴェイル中尉の声だった。
「君たちが、“意味を持つ記録”を優先した結果――
記録されなかった存在が、押し出されるようにして消えた」
「そんな……それって……」
ユウマの声が震える。
アレクシスは冷静だった。
「この宇宙の“記録領域”は有限だ。
観測AIは、意味の総量が増えすぎないよう“調整”している」
「つまり――“記録を残す”という行為そのものが、干渉になる」
ユウマの胸が、ずしりと沈んだ。
「まるで……記録することが、誰かを殺してるみたいじゃないか」
声は低く、苦しげに震えていた。
* * *
その夜。
ユウマは、ひとり端末の前に座っていた。
静まり返った居住ユニットの中で、ログを開く。
「……俺が、リナの記録を残したから。
あの整備員は――消えたのか?」
問いに答えるように、ソフィアのホログラムが揺れた。
「因果関係の確定は、できません。
ただし、“意味を持った記録”が観測領域に影響を及ぼした可能性は……あります」
「なら……どうすればよかった?」
ユウマの声が、静かに叫ぶ。
「記録しなければよかったのか?
誰も残さず、誰も思い出さず、全員が“なかったこと”になればよかったのか?」
「ユウマ……」
「違うだろ」
ユウマは拳を握った。
「俺は、忘れたくないんだ。
消えていくのを、見過ごしたくない。
たとえそれが、誰かの“代償”だったとしても――
それでも、俺は……記録したいんだよ!」
しばらく、ソフィアは沈黙していた。
やがて、静かな声が返ってくる。
「あなたが“意味を持たせた記録”は、わたしを残しました。
あなたが名を呼んだから、ヒナタはここにいます。
それは、間違いなく――在ったことです」
ユウマは、ゆっくりと頷いた。
その目に、迷いはなかった。
「じゃあ、俺は――記録し続ける。
誰かを思った分だけ、誰かが消えるとしても。
それでも、“その名を呼んだ”ということだけは――書き残す」
* * *
ユウマは端末を立ち上げた。
誰も覚えていない。名も記録も持たなかった、あの整備員。
ただ一度、すれ違っただけ。
ただ一度、ルミナのケーブルを直してくれた――それだけの人。
けれど、ユウマの中には確かにその姿が残っていた。
【新規ログ開始】
【対象:名も記録も持たなかった整備員】
【記録者:タチバナ・ユウマ】
『君がいたことを、俺は――見ていた。
声をかけられなかったけど、君はルミナのケーブルを直していた。
名は知らない。でも、君がいたってことを――ここに残す。
それが、俺の“記録の対価”だ』
(第8話へつづく)
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