第1章「観測の始まり」

第1話 最初の消失

「……また一隻いっせき、いなくなった」

艦橋ブリッジの奥で、誰かが震える声を漏らした。


だが――その“誰か”が、誰だったのか。

ユウマには、もう思い出せなかった。


目の前の視界は、白い空白に覆われていく。

ここは戦闘宙域のはずだった。


十数隻の味方艦隊が展開し、敵の探知を待っていた。

だが、今はもう――何もない。


「……敵、いないのか?」

ユウマがつぶやく。


返ってきたのは、背後からの冷たい一言だった。


「違う」


姉――リナ・タチバナ。


彼女の瞳だけが、消えゆく世界の中で確かにそこにあった。

「戦う前に、“消された”のよ」


ユウマの指先が震えた。

操作していた記録端末には、確かに何も映っていない。

出撃ログも、出力命令も、通信の記録も――どこにも残っていなかった。

それどころか――最初から艦隊そのものが存在しなかったかのように。


* * *


カリスト艦隊――作戦宙域展開から十五分。

初めは小さな通信異常だった。

だが、各艦からのログは断続的に途切れ、やがて欠落が連鎖していく。

艦影の消失ではない。


記録そのものの削除。

「……これは、観測干渉」

リナの声が硬くなる。

「“敵に見られた”存在から順に、ログごと消されてる」


「意味が分からない……どうやって、そんなことが」

ユウマは唇を噛む。


「分からないようにするのが――奴らのやり方よ」

リナが一歩、ユウマへ近づいた。

冷静に見える足取り。だが爪先が、わずかに震えていた。

「いい? ユウマ。――全部、記録して」


「えっ……?」


「ソフィア」

リナが、船内AIに呼びかける。

「タチバナ・ユウマを最優先で退避させて」


「了解。脱出ポッドB-7、ルートを確保。ユウマ、ついてきてください」

AI――ソフィアの声が、静かに艦橋に響いた。


* * *


壁面が裂け、ポッドへのスロープが浮かび上がる。

点滅する誘導ラインが、真空への最短ルートを照らしていた。


「な、何で俺だけ逃げるんだよ!」


ユウマが叫ぶ。

「姉さんもソフィアも、一緒に行こうよ!」


「無理よ」

リナの声が鋭く遮った。


「私はもう“見られてる”。

 観測された時点で、ログは確定する。

 消される未来ごと――書き換えられる」


「そんなの……そんなのって……!」

ユウマが拳を握りしめる。


ソフィアがそっと、その腕を掴んだ。

「リナの命令です。あなたは生きて、“記録を続ける者”にならなくてはなりません」


「……ソフィア。お前まで……!」

「あなたが“名を呼ぶ”限り、私たちは――消えない。

 記録が、意味を持つ限り――この戦いは、負けない」


ノイズ混じりのその声に、ユウマは凍りついた。

ソフィアが、微かに笑ったように見えた。


「リナ!」

「……行って」

リナの瞳は、揺るぎなくユウマを射抜いた。


「これは命令よ、ユウマ。

 あなたは、になるの」


その言葉が、静かにユウマの心に刻まれる。

彼の視界が、ポッドのハッチに吸い込まれていく。


最後に、ソフィアが振り返った。


「記録開始。対象:タチバナ・ユウマ。

 ログ移送――準備開始」


その声が、虚空に溶けていった。


* * *


【記録終了】

【対象:カリスト艦隊】

【状態:記録されていない】

【リナ・タチバナ:存在未定義】

【ソフィア・コア:構造損傷/人格断片転送】


……君が、あの日ここにいたことを。

誰かが記録してくれていたとしたら。

それが、たとえ一秒でも。

ひとことでも。

意味を持っていたとしたら――


「俺は……忘れない」

ユウマの声が、宇宙ににじんだ。


「姉さんも。ソフィアも……全部、記録する」


(第2話へつづく)

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