第5話 閻魔さまと波羅辰男(はらたつお)の対話(後編)
霊視を終えた閻魔さまは、静かに辰男へと語りかけた。
「本当にひどい話です。あなたが悔しく思うのも無理はありません。まさに騙されたも同然ですからね。辰男さん、後ろの列をご覧なさい。あそこに並んでいる人々の多くが、“打って安心計画”の犠牲者たちです。そして、さらに言うと――今年から太陽フレアの影響も強くなっています。それで留めを刺されるように命を落とした人も少なくありません。これほど多くの死者が来訪するのは、第二次世界大戦以来のことです。皆、それぞれに悔しい思い、哀しい思い、そして憤りを抱きながら私の前に現れます。中には薬害に気づかぬまま逝ってしまった者もいますよ。生前に心の整理整頓ができていれば良いのですが、そうした方は稀です。そもそも人間は不完全な存在であることが当たり前で、非の打ちどころがない者がいるとすれば、それこそ異常なことなのですから。創造主は、人間の魂をまるでところてんのように押し出し、この世で様々な学びや愛を経験させようとしているのです。そして、人生が終わると天界へ戻り、下界にいる者たちの守護神となる役目を担う仕組みを作り上げました。ですが、皆さんは下界へ送り出される際に、天界での記憶を完全に消されてしまいます。そして、下界での修行を終えた後には、生前の罪を私に叱責され、獄界へ送られることを恐れている様子ですね。ですが、私はそのようなことはいたしませんし、そんな趣味も持ち合わせておりません。私はここに来られた皆さんを地獄へ落とすために存在しているわけではないのです。私の宮殿では、皆さんに生前の行いを振り返っていただきます。そして、それを許すことができるのか、許せないのか、それとも気持ちを切り替えることができるのか――その選択はご自身に委ねられています。少し例え話をさせていただきますが、スーパーのセルフレジでカゴに入れた商品をセルフで会計する様子を思い浮かべてみてください。近くには監視係がいるかもしれませんが、実際に支払いをして買い物を完結させるのは、あなた自身です。それと同じように、私の役割も皆さんに選択の機会を提供することであって、無理に何かを強いるものではありません。実は、現在天界は神不足に悩まされています。本当は天界に戻って、下界の人々の守護神として力を貸していただきたいのですが、その選択を私から押しつけるようなことは決していたしません。
さて、話が少し逸れましたが、これから本題に入ります。辰男さん、“打って安心計画”に関わった製薬会社や憎むべき社長に対し、獄界を通り抜けてでも復讐を遂げたいと思いますか?それから、自分の罪についてはどうお考えですか?ちなみに、あなたの親友ですが、どこの大学にも合格できず、結局進学を諦めたということを覚えていますか?そして、あなたが二股をかけて振った女性は、あなたの子を身ごもっていました。彼女はあなたと結婚し、幸せな家庭を築きたいと願っていたのです。それなのに、『別れてくれ』『子供は堕してくれ』『ほかの女と結婚する』と告げられ、彼女は絶望の淵に立たされました。挙句の果てに自殺未遂まで起こしましたね。お腹の子も結局流れてしまいましたが、あれほどの仕打ちをしたことを思い出すと、あなたも胸が痛むのではありませんか?いっそのこと、彼女に謝罪しに行くという選択肢を考えてみますか?」
辰男の心は大きく揺さぶられた。閻魔さまの言葉は深く胸に突き刺さり、逃れられない現実を突きつけられたようだった。製薬会社や社長への憎しみは未だに消えなかったが、それ以上に自分自身の犯してきた罪の重さに押しつぶされそうだった。許せない。そう思う気持ちは変わらない。しかしながら、獄界を通り抜けてまで復讐を果たすほどの覚悟や勇気は、辰男にはなかった。それよりも、自分が行ってきた数々の過ちがあまりにも恥ずかしく、情けなく、どうすることもできない絶望感に包まれていた。途方に暮れた辰男は、やがて長く大きな息を吐き出した。その吐息には、悔恨や苦しみが全て溶け込んでいるようだった。
「僕は、取り返しのつかないことをしてしまいました。自分という存在が一番許せません。どうすればいいのかなんて、もうわからない。でも、これ以上悩むのは辛すぎます。僕には……無理なんです。もう、全部が嫌になりました。本当に、本当に、全部、嫌なんです!生きていた記憶なんて、すべて消し去りたい!だけど……過ぎ去ったことは変えられない。それが現実ですからね……しょうがないですね……どうにもならない。それなら、ええ……もう、諦めます。諦めるしかありません。このまま、大人しく天界に行かせてください!」
閻魔さまは表情を変えることなく、淡々と答えた。
「そうですか。それでよろしいでしょう。天界へ向かい、ぜひ下界で生きる人々の力になってください。守護霊の役目は、非常に尊いものであり、遣り甲斐を感じられる仕事です。婚約者であった知子さんや、あなたがひどい仕打ちをした元恋人も、あなたが守ることができるかもしれません。善き守護霊として地球の平和に貢献すれば、あなたの守護霊としての格も向上するでしょう。どうかその役割を全うしてください。これをもちまして面会は終了です。ご苦労さまでした」
辰男は静かに立ち上がり、閻魔さまに深々と一礼した。その後、顔を上げると、閻魔さまからパンフレットのような薄い冊子が手渡された。
「鬼が天界ゲートまで案内しますので、指示に従って付いて行きなさい。こちらは天界で快適に過ごすための取り扱い説明書です。ゲートに入ってから目を通してください。内容は決して難しいものではありませんので安心しなさい。それでは――お達者で!」
閻魔さまの最後の言葉を胸に刻みながら、辰男は隣に立つ鬼に導かれ、静かにゲートの中へと消えていった。 その様子を陰から見守っていたアリサの心には、閻魔さまに対する強い興味と焦がれるような気持ちが湧き上がっていた。
「どうしても話がしたい……」
そう思い立った彼女は、意を決して閻魔さまに近づこうとした。
しかしその瞬間、
「次の者、ここへ。あなたの名前を教えてください」
という閻魔さまの声が広間に響き渡った。
仕方なく、アリサは再び“盗み聞きモード”に入ることにした。
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