幕末 勘違い令嬢走る!〜土方歳三に婚約破棄されたので代わりに美少年隊士と駆け落ちすることにしましたっ!?〜 (Shanghai・番外篇)

小海倫

第1話 幕末令嬢、土方歳三の頬をビンタする!

 明治──年。

 師走も、もうすぐ終わるというある木枯らしの吹く晩のこと。


 まだ四つのすすむちゃんは風邪を引いてしまいました。


 女の子だけど「すすむ」という男の子みたいな名前で、日頃は本物の男の子に負けないぐらい元気な進ちゃんも、この冬の寒さには到底かなわなかったようです。

 

 ♫ラメちゃんたら、ギッチョンチョンのパイのパイのパイ……ハハ、呑気ダネー♫


 波止場近くの街角に立つ「演歌師」は、アメリカの「ジョージア行進曲」にデタラメな歌詞をつけた歌を、バイオリンを掻き鳴らしながら陽気に歌っています。


 大人の中にはあの「バイオリン演歌師」のデタラメな歌が、今に世の中で大人気になるに違いない……と言う人もいますが、進ちゃんにはそんなむずかしい話、よくわかりません。


 進ちゃんのお父さんの左之助さんはそんな横浜の波止場・山下町で「Bar バーSamuraiサムライ」という酒場を経営しています。

 けれど今夜のお父さんは、お店をお休みしてずっと進ちゃんの側にいてくれました。


 進ちゃんはお父さんに聞きました。


 「おみせ、おやすみしてもよかったの……?」


 お父さんは笑って答えます。


 「こんな時に遠慮する子どもがどこにいるんだ。 

 さあ。今夜はお前に絵本でも読んでやろう」


 「えほん?」


 「ああ。絵本だ。

 お前も知ってる『杉村のおじさん』が描いた絵本だよ。

 『杉村のおじさん』は色々な書き物をしているんだが、実は自分の孫の為にこっそり絵本も書いていたのさ」

 

 お父さんは進ちゃんにそう言うと、一冊の絵本を取り出しました。


 「杉村のおじさん」は、お父さんの昔からの友だちです。


 進ちゃんのお父さんは「色々な事情」があり、長い間あの「遠い大陸」に居たのですが、日本に帰ってきたあと、ずっと会っていなかった「杉村のおじさん」と、また友だちになれたのだそうです。


 お父さんの「左之助さん」が、大陸に行かなければならなかった「色々な事情」の事を、四つの進ちゃんは、まるで知りません。


お父さんの左之助さんは時々こうも言うのです。


「世の中にゃあな、存在しちゃいけねえ、恐ろしい薬ってモンがあるのさ。

人の心や身体を変えたり操ったり乗っ取ったり。

別人にしちまう薬がな。

そんな薬は野放しにしちゃいけねえし、ぜってえ使っちゃいけねえんだよ──」


 「人を変える薬」?

 それはどんな薬なのでしょう。


 お父さんは「お前は本当に何も覚えていねェのか?」とも、たまに聞くのですが……


 「杉村さん」の絵本には凛々しく美しい昔の若侍と、着物姿のきれいなお嬢様が描かれています。


 「新八っつぁん、大分絵が上達したみたいだな……」


 お父さんはそんな独り言を言うと、進ちゃんに向って絵本を読み始めました──


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 パシッ!!


 私の手が歳三様の頬を叩いた瞬間、乾いた音が部屋に響いた。


 何て事をしてしまったのだろう。

 けれど、悔いはない。

 自分の胸に渦巻く怒りと悲しみと屈辱はこうでもしなければ収まらなかったのだから。


 「無礼者!何をするのですかいきなり!

 そんな風に触らないで!」


 京の晩夏の湿った空気が肌襦袢一枚になった私の身体を冷たく撫でる。

 慶應二年、七月。

 西本願寺近く、新選組局長・近藤勇様 別宅の奥座敷。


 黒塀に囲まれたこの場所は、騒がしい京の街中と比べ別世界のように静かで、でもどこかに不穏な空気をはらんでいた。


 歳三様は先ほどからそんな私をいぶかしげに見つめていた。

 白皙の顔に一瞬、赤い跡が浮かぶのが見える。

 いつもの私ならこの美しい顔立ちにやはり見とれてしまうのかもしれない。


 けれど、今は──


 「『何をする』だと?

 それァこっちの台詞だ。

 テメェの方こそ……いきなり何をしやがる」


 歳三様の声は低く、怒気どきを帯びている。

 刺すようなその声にわたしは一瞬たじろいだ。

 けれどもすぐに気を取り直す。

 こんな時に負けてなるものですか!


 「当たり前です!

 貴方様の許婚であるこの私を、年頃を迎えても放ったらかし。

 挙げ句にこんな目に合わせるなんて……

 あんまりで御座います、歳三様!」


 私──「琴絵」は声を上げた。


 十七になった私は、確かに顔立ちも美しくなったと自負している。

 家族や使用人は「美しいというより愛らしい」等と言ってはいるけれど。


 でもそれ以上に、江戸・内藤新宿の名家「芦谷あしや」の娘としての誇りが今のわたしを支えていた。

 歳三様は眉をひそめ、私の顔をじっと見つめている。

 その視線に胸がざわつく。


 「許婚、か……」


 歳三様の声には、どこか遠い記憶を探るような響きがある。 


 「内藤新宿の宿場名主、芦谷あしや家の娘だと言ったな。

 俺が十七、お前が三つの時に家同士が許婚になることを決めた、と」


 「左様で御座います!」


 私の瞳に涙がにじんだ。

 ずっと、ずっと歳三様を想い続けてきたと言うのに。


 「歳三様が『芦谷』の家に奉公なさっていた頃、私の父と歳三様のお家で決めた縁談です。

 それなのに歳三様は、三年前浪士組として上洛されてから江戸や多摩にはお戻りにならず、年頃を迎えた私を京に呼び寄せる事もなく、まるで忘れたかのように……!


 『婚約の破棄』も同然ではありませぬか。

 あまりにもやるせなくて。


 それゆえ止める父母や家の者を振り切り、こうして一人京の街に参ったので御座います……!」


 歳三様は私の顔をじっと見て、口元に微かな微笑みを浮かべた。

 それはどこか謎めいていて、私を試すような……戸惑っているような、不思議な表情だった。

 何を考えていらっしゃるのだろう。


 「そうか。それァ──

 だが、一つ聞かせて貰おう。

 お前は何で俺の前で襦袢じゅばん一枚の格好で居るんだ?

 それも結っていたはずの髪をほどいた『洗い髪』で」


 その言葉に、カッと顔が熱くなるのを感じた。

 恥ずかしさと怒りが込み上げる。


 「お惚けになられるのですか、歳三様!

 私が西本願寺の屯所に着いた途端、貴方様は私をこのお屋敷に連れて行き、有無を言わさず着物を剥ぎ取り──酷い事をなさろうとしたからではありませぬか!」


 「酷い事だァ!? 俺がお前を?」


 歳三様の声には、あきれた、信じられないという響きがあった。


 その時、閉められていた障子の外から「コホン」と咳払いが聞こえ、女の人の声が割り込んできた。


 「あの。何や取込み中でいらっしゃるようどすが、とにかく落ち着いておくれやす」


 声の主はお孝さん。

 局長 近藤勇様の御妾おめかけ様。

 西本願寺の屯所でそう聞いた。


 この方の姉であるお雪さんが近藤様の「本当の御妾様」だったのだが、気鬱きうつの病を理由によどへ療養に行ったきり戻っていないらしい。


 その代わりに、お孝さんが近藤様と男女の関係になってしまったのだとか。


 今、近藤様は会津の黒谷本陣に行っていて、この屋敷にはいない。


 お孝さんは、祇園で短い間、芸妓をしていたのだと言う。

 男姿で踊る「男舞」が得意で、凛とした佇まいが評判だったのだそうだ。


 私は一瞬、彼女の落ち着いた物腰に圧倒された。


 「入ってくれ」


 歳三様がお孝さんに言う。


 「お孝さん。悪いがコイツに女物の着物を貸してやってくれないか。

 確かにこんな格好で騒がれても面倒だからな」


 お孝さんは頷き、わたしをチラリと見た。


 「よろしおす。

 何処の何方はんかは存じまへんが、向こうの部屋でお着替えやす。

 落ち着いてお話されるのが一番やよって。  

 な?お嬢様」


 「お嬢様」という呼び方に私は一瞬むっとしたが、その穏やかな声に抗えず渋々頷いた。


 「ありがとうございます。

 ……お世話をおかけ致します」


 お孝さんが用意してくれた藍色に白い小花を散らした小袖に着替えると、乱れた心も少し落ち着く。

 解いていた髪も軽くまとめ鏡に映る自分は、まるで先の騒ぎが嘘のような「武家の娘」に戻っていた。


 部屋には、ようやく静かな空気が流れ始めた。


 「たびたび済まないがお孝さん、茶も用意してくれないか?」


 歳三様がそう言うと、お孝さんは静かに奥へと消えた。 


 この妾宅は、新選組の幹部が「秘密の会議」の場として使うこともあるらしい。

 お孝さんはそれをよく心得ていて、口も堅い。

 歳三様がそんな風に彼女を信頼しているのが、少ししゃくに障る。


その時、足音が聞こえた。

 縁側の向こうの庭を見ると、若い隊士の姿が見える。

 まだ少年の面影を残したその顔立ちの美しさは、歳三様とはまた違う柔らかなものだった。


 「副長。失礼致します。

 こちらの書類を局長に──」


 その隊士の声を聞いた瞬間、自分の頰がほんのり熱くなるのがわかった。

 なんて優しい声なのかしら。

 歳三様の氷のような美しさとは違う「何か」がある。


 ふと歳三様の視線を感じ、顔を背ける。

 けれどもその一瞬、歳三様の目がわたしの心の中を覗くように光った気がした。


 そして歳三様は、お孝さんが折角持ってきたお茶をろくに飲みもせず立ち上がり、突き放すようにこう言った。


 「俺はこれから用がある。

 しばらくこの座敷を外す。

 お前達はここで待っていろ」


 奥座敷から遠ざかっていく歳三様を見つめていると胸に不安が広がっていく。

 その後ろ姿にはどこか不穏な影が漂っていて、言葉が出なかった。


 部屋には、また気まずい静寂が訪れる。

 縁側の外、庭に立つ若い隊士と私だけが取り残されていた。

 隊士は遠慮深げに口を開いた。


 「あの──失礼致します。

 この書類だけは奥座敷に置かせてください。

 局長にお持ちした大切な物ですから」


 軽く咳払いをして、縁側に近づく。

 私は気を取り直して姿勢を正した。


 「私、『琴絵』と申します。

 内藤新宿の宿場名主、芦谷家の娘でございます。

 ……貴方様は?」


 声が緊張で震えてしまう。


 隊士は一瞬目を丸くしたけれど、すぐに微笑みを返してくれた。


 「三浦啓之助みうらけいのすけと申します。

 近藤先生の小姓を勤めています」

 

 歳三様に「ここでしばらく待っていろ」と言われた若い隊士は所在なげにぽつりぽつりと身の上話を語り始めた。


 三浦啓之助様は十八歳。

 信州松代藩士の御家に生まれた方。

 だけど啓之助様には複雑な事情があった。


 「僕の父は、佐久間象山さくまぞうざんと申します。

 高名な洋学者として沢山の御弟子を取っておりました。

 そして二年前、僕は京都所司代の桑名藩に招かれ、父に着いて京へ上ったのですが……

 京について間もなく、父は『人斬り彦斎げんさい』こと肥後の河上彦斎かわかみげんさいに斬られ、馬から落ちて命を落としたんです」


 啓之助様の声は、どこか深い悲しみを湛えている。


 「斬られた上、落馬して死んだ父は武士として不届きだと言われ、松代藩は佐久間家を取り潰しました。

 そこで父の弟子の一人、会津藩の山本覚馬やまもとかくま殿は僕を心配し、新選組に入り敵討ちをするよう勧めてくれましたのです。

 ですが……」


 啓之助様は一度言葉を切り、遠くを見つめた。


 「京都所司代の桑名藩が、後から僕の新選組入隊に反対してきたんです。


 『象山殿を危険な京に呼んだのは桑名藩だ。責任は我々にある。

 松代藩の佐久間家取り潰しは取り消してくれ』と。


 私の義母、お順は勝海舟殿の妹。

 義理の伯父にあたる海舟殿は新選組を嫌っており、やはり僕がここの隊士でいる事には反対なんです」


 勝海舟様が可愛がっていた御弟子、望月亀弥太もちづきかめやたと仰有る方は池田屋事件の夜に殺された。

 それが伯父の勝様の心に、深いわだかまりを残している……と啓之助様は言った。


 「僕は新選組の中でも他の若い隊士から『特別扱いされている』とうとまれています。

 ある時、あの沖田総司先生が僕に剣の型稽古をつけていた時の事です」


『ここは、こう。

 そう、そんな風に。

 型だけでも覚えて置けば実戦の時、かなり役に立つよ?』


 『ありがとう御座います!沖田先生』


 「その型稽古を見ていた者が『また特別扱いされている』と腹を立てたのでしょうか。

 囲碁を指している副長や沖田先生を眺めていたその隊士を、僕が後ろから斬りかかった、等と言う噂まで流し──」


 敵の河上彦斎は長州へ逃げたという噂もあり、最近は新選組の幹部も除隊を勧める方が居るらしい。

 啓之助様は途方に暮れたような表情でこう続けた。


 「僕は父の敵を討ちたい。

 でもどうすれば良いのか……

 今はもう、よく分からないんです」


 その言葉に、私の心は強く揺れた。

 啓之助様の凛々しい顔立ち、真面目な心に秘められた深い悲しみ。

 なんて純粋で、切ない御方なの……!


 気がつくと、私は啓之助様の手を思わず握っていた。

 熱い思いが胸から溢れ、口をついて出る。


 「啓之助様! 駆け落ちいたしましょう、私と!」


 啓之助様は目を丸くして、驚いたように私を見た。


 「えっ!?」


(続く)

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