第3話 カフェ・ロッソの休日
第3話 カフェ・ロッソの休日
休日の桜都市・商店街。
石畳の路地を歩く足取りは、裁判所への道中より軽やかだった。
東條菊乃は白いワンピースに淡いカーディガン。
黒髪をきちんとまとめ、誰が見ても“令嬢のお出かけ”そのものだった。
向かう先は――話題のカフェ「カフェ・ロッソ」。
(SNSで毎日のように写真を見ますわ。
名物はベリーを宝石のように散りばめたタルト……。
優雅な休日にふさわしい場所ですわね)
ガラス扉を押して入店。
木目調の家具と観葉植物が並び、落ち着いた空気が漂っていた。
「いらっしゃいませ」
迎えたのはバリスタ姿の西園寺慎。
落ち着いた笑顔に、菊乃は小さくうなずく。
「ブレンドコーヒーを一つと……“ベリータルト・ロッソ”をお願いいたします」
やがてテーブルに運ばれたのは、苺、ブルーベリー、ラズベリーを宝石のように飾ったタルト。
(……まさに宝石。わたくしにふさわしいスイーツですわ)
コーヒーを一口。
深い香りに、肩の力が抜けた。
(あの裁判から、やっと解放されましたわ……)
思い返すのは、家賃滞納の少額訴訟、隣地境界のトラブル。
(司判事は、どうして規則を軽んじて……。
けれど、当事者が救われていたのも事実。
……理解不能ですわ)
ため息をつき、タルトを切り分ける。
カラン、とドアベルが鳴った。
同時に「ふんふんふふーん♪」という鼻歌が流れ込む。
菊乃が振り向くと――
赤いタータンチェックのスカートに黒いブラウス。
同柄のベレー帽と真っ赤なリボン。
黒タイツにローファー。
奇抜な姿で鼻歌を奏でていたのは――花霞地方裁判所桜都支部判事、司 法子だった。
菊乃は顔をそらし、心臓がどくりと鳴る。
(なぜ、この人が……? まさか、同じタルト目当て?)
胸の奥でざわめきが広がる。
「やぁ、慎ちゃん! 久しぶり〜!」
「……久しぶりだな、ロックスター」
「イェーイ☆ 今日もノッてるぜ〜!」
法子は腰を下ろすなり声を上げ、馴れ馴れしく手を振る。
菊乃に気づく様子はない。
「おばけプリンと、地獄のコーヒーをセットで!」
一瞬で店内が凍る。
菊乃はフォークを止め、手を握りしめた。
“おばけプリン”――直径二十センチの巨大プリン。
ホイップとチェリーを山盛りにした裏メニュー。
頼む者は法子しかいない。
“地獄のコーヒー”――豆三倍、漆黒の一杯。
苦味とカフェインで胃が悲鳴を上げる代物だ。
(……っ、やはりベリータルトどころではありませんでしたわね!
よりにもよって、そんな怪物メニューを……!)
法子はカウンターで腕を組み、にやり。
「そうそう、慎ちゃん、聞いてよ。最近さ、うちに真面目すぎる書記官が来てね――」
(……!)
菊乃の肩がびくりと揺れる。
法子は楽しげに声色を変えた。
「判事っ、それは規則に反しておりますわ!」
両手を腰に当て、顎を上げる真似。
西園寺が吹き出し、常連客も笑いをこらえきれない。
さらに法子は立ち上がり、叫んだ。
「プリンに例える必要は、まったくございませんわっ!」
両手を大げさに振り回すその姿に、笑いをこらえる西園寺。
客の一人はコーヒーをこぼした。
(……っ!?)
頬が熱くなり、菊乃はついに立ち上がった。
「判事っ! あなたという方は――っ!!」
法子は目を丸くし、すぐに満面の笑顔になる。
「おやぁ? おキクさん、奇遇だねぇ」
「は、はわわわ……」
顔を真っ赤にして硬直する菊乃。
その姿に客たちの笑いが広がった。
西園寺が肩をすくめる。
「……確かにそっくりだ。いつから“モノマネ女王”になったんだ、ノリコ」
「おっと、バレたか!」
法子は両手を広げて笑う。
西園寺はため息をつき、カウンターを拭きながら言った。
「まったく、仲がいいのか悪いのか……。ほら、あそこの席でやってくれ」
「へいへい、慎ちゃんの言うとおり〜」
法子は菊乃にウィンク。
「おキクさんも、一緒にどうぞ?」
「わ、わたくしは……っ!」
視線を感じ、観念してうなずいた。
「……し、仕方ありませんわね」
菊乃は落ち着かせるように大きく深呼吸して、結局は法子の後ろを歩く。
ほどなくして運ばれる“おばけプリン”と“地獄のコーヒー”。
店内の視線が集中する。
「ふっふ〜ん♪ 来た来た!」
法子はスプーンを突き立て、にこにこ。
「おキクさん、このコーヒー、飲んだら胃が爆発するんだよ!」
「何を嬉々として語っておりますの!? そもそも“地獄”なんて不謹慎ですわ!」
「いやいや、ここまで苦いと逆に清々しい☆ 判決文だって三本立てで書けそう!」
「絶対に間違った方向にしか仕上がりませんっ!」
菊乃のツッコミに、法子はけろりと笑ってスプーンをくるりと回す。
二人のやり取りは、漫才そのものだった。
そのとき、客の声が響いた。
「……ない! 財布がないっ!」
一瞬でざわめく店内。
「誰か盗ったに違いない!」
「俺じゃない!」
「隣の席でガサゴソしてたのを見たぞ!」
疑心暗鬼が広がる。
菊乃は立ち上がりかけた。
「け、警察に――」
「まぁまぁ、おキクさん、落ち着いて!」
法子が立ち上がり、のんきな声をあげる。
「財布なんてさ、プリンのカラメルみたいに沈んで隠れてるだけかもよ?」
「財布を“カラメル”に例える意味はありませんわっ!」
シーンとする店内。
次の瞬間、何人かの客が吹き出し、空気がふっと緩む。
法子はソファの下を覗き込み、声を張った。
「おっと〜! ここはカラメルゾーン! ……なになに? ほら、プリンの底から出てきました〜!」
ごそりと出てきたのは、問題の財布だった。
「……ありました……」
男性は赤面し、頭を下げる。
「す、すみません。ただ落ちていただけでした……」
店内は安堵の笑いに包まれた。
菊乃は深く息をつき、席に戻る。
法子は巨大プリンをすくい、漆黒のコーヒーをぐいっと飲んだ。
「ぷはーっ! この苦味、クセになるんだよねぇ」
「……まったく。せっかくの休日が台無しですわ」
菊乃は呆れたような表情で視線をそらす。
だが、その声には少し力が抜けていた。
窓の外に夕暮れの橙色。
街の喧噪はゆるやかに静けさへと変わっていく。
菊乃はふと横目で法子を見る。
(……この人は破天荒で規則知らずですが、なぜか、ここでは馴染んでいるのですわね……)
心のつぶやきは、タルトの甘さとコーヒーの香りに溶けていった。
(つづく)
📕本件の解説は、近況ノートに掲載してます。
https://kakuyomu.jp/users/298shizutama/news/7667601419990026275
※第三話は事件がないので、登場人物の紹介です。
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