第12話 再会

「ですから――あたしは、娼館しょうかんの主人なんかじゃありませんって!

 こう見えて、探偵ですよ、探偵! 剣持春喜けんもちはるよしさんから依頼された!」

 はいはい!と、男が配って寄越した名刺には、『車矢探事務所所所長 車矢録太くるまやろくた』と書いてあった。


「『朝霧涼音あさぎりすずねさんを探してる』って、言っただけなのに。

 あのおばはん達が勝手に勘違いして、誘拐騒ぎ起こしたんです!

 木箱に詰まった札束? 知りませんて。

 あたしが渡したお礼は、予算内の『獅子屋の羊羹ようかん』! 確かに、木箱入りでしたけど」


『ホテルで依頼人が待ってるから』と、車屋に急かされて。

 春喜の元に、朔夜と一緒に向かうことに。

「わたしまで勘違いして――本当に失礼しました、えっと『くるまや』さん?」

 名刺を見ながら涼音が謝ると、

「いえいえ、奥さん! ほら前に住んでたお屋敷から、半年前に引っ越しされたでしょ? 

 その行先が分からなくて――困った春喜さんが、ウチに依頼して来たんですよ。

 何でもつい先週、歐州ヨーロッパから帰国したばかりだって」

「先週……?」

 行方不明になったのは半年前。

 その間一体、どこで何を?


「あっ、あたしの名前ね。ほら――『しゃろっく』って読めるでしょ?

 あの名探偵と同じ名前の! ですから気軽に『シャロックさん♡』って……痛っ!」

 それまでぺらぺらと軽快に、涼音に話しかけていた車矢が。

 いきなり顔をしかめて、脇腹を押さえた。

「悪いな。狭くてつい、ぶつかった」

 車矢、朔夜さくや、涼音の順に座った、剣持家の車の後部座席で。

 氷雪軍医は憮然ぶぜんと、手首を回した。


『春喜さんに会えるのは、本当に嬉しいし。元気そうで、安心したけど……』

 朔夜と気持ちを確かめ合った後だけに、これからどうなるのか、怖くて堪らない。

 車矢のお喋りのお陰で、気がまぎれるし、二人きりでない事にもホッとした。

『朔夜様と、二人になるのが怖いなんて』

 涼音がそっと左上を見上げると、軍医は険しい顔のまま、無言で腕を組んでいる。


『いったい、どうしたら……?』

 心の中でため息をついたとき、

「あっ! そこそこ――『新橋ハイエンドホテル』です!」

 前方に見えて来た、白い石造りの建物を、探偵が指さした。 


 車矢に案内されて、ホテルの回転扉を抜け、赤い絨毯が敷き詰められたフロントを横切る。

 そこかしこに革張りのソファや、落ち着いた色合いのライティングデスクが置かれ、上品さと重厚さが感じられるホテル。

「昨日一緒に、横浜から出て来たんですよ、汽車で一時間かけて!

 あたしが先に涼音さんの居所を聞いて、その後案内する予定だったのに――誤認逮捕ってヤツですか?

 予定が狂っちまって。

 まぁ、あの軍人さんたちが、昨夜のうちにホテルまで、伝言してくれたらしいんで。

 心配はしてないと思いますけどね、『二人共』!

 あ、お兄さん、三階お願いしますよ!」


 傍にいたポーターに声をかけて、エレベーターに乗り込む。

「ふたりとも……?」

 四角い箱の中で、涼音が首を傾げて。

「誰か一緒なのか?」

 隣に立つ朔夜も、不審気ふしんげにつぶやいた。


「あっ、302号室! ここですよ!」

 エレベーターが三階に着き。

 廊下を進んだ先のドアを、車矢がノックする。

「おーい、春喜さん! あたしですよー!」

「車矢さんっ!?」


 ガチャっと鍵が外されて、内側に開いたドア。

 その奥にいたのは、

「春喜さん……!」

「春兄さん――!」

 少し痩せた顔の、婚約者だった。


 車矢が『あとは、お若い皆さんで♡』と立ち去った後、春喜が口を開く。

「涼音! 朔夜も! 会えて良かった――!

 今まで連絡も出来なくて、本当にすまない!」

「いえっ、あの……」

 いきなり謝罪されて、口ごもった涼音をかばうように。

 すっと朔夜が、一歩前に出る。


「春兄さん。最初に、聞いて欲しいことがある」

「何だい、朔夜?」

 不思議そうな顔で、尋ねて来る春喜。

「朔夜様……」

 不安そうに見上げると、『大丈夫』というように目を細めて。

 左手を伸ばして来た朔夜が、長い指でギュッとからめるように、右手を握ってくれた。


「俺と涼音は、想い合ってるんだ。

 春兄さんには、すまない事をしたと思ってる!

 でもこの気持ちを、誤魔化ごまかすことは出来ないから」

 きっぱりと言い切った朔夜の横に並んで、

「わっ、わたしも同じ気持ちです!

 ごめんなさい、春喜さん……!」

 涼音も一緒に頭を下げた。


「朔夜も涼音も、顔を上げて」

 静かに、婚約者が口を開いた。

「二人に、紹介したい人がいるんだ」

 寝室に続くドアを開いて、春喜が呼ぶ。

「ルイーズ!」

「ハイ……!」

 ぎこちなく答えて出て来たのは、柔らかそうな金髪に優しい笑顔の、青い瞳が美しい女性だった。


 仏欄西フランス北部で客船の事故に巻き込まれた春喜は、出航した港の隣町の海岸に、流れ着いていた。

 瀕死の彼を見つけて、必死で看病したのが、その町の医師と娘のルイーズ。

 カレー港に問い合わせたが、混乱の中、乗客名簿は失われ。

「事故のショックで記憶まで失くしていた、身元も分からない東洋人の俺を。本当に親身になって、助けてくれた」

 感謝の気持ちが自然と愛に変わり、ルイーズと婚約した後で、

「いきなり、記憶がもどったんだ」


 きっかけはルイーズの父が手に入れた、瑛国イギリスのミステリー小説。

「涼音が好きだった、『名探偵リークの事件簿』だよ。

 それを見た途端、思い出した――楽しそうに本を読む女の子、涼音の事を」

「春喜さん……」

 親同士が決めた婚約者と、初めて会ったのは、涼音が10歳、春喜は16歳の頃だった。

 思わず涙ぐんだ涼音の横で、眉を寄せた朔夜が口を開いた。


「じゃあ――春兄さんの、今の気持ちは?」

「ルイーズと、彼女と人生を共にしたい」

 答えを聞いて見合わせた、朔夜と涼音の顔がぱっと輝く。


「涼音にきちんと謝罪したくて、帰国したけど。

 その必要は無かったかな?」

 ルイーズと腕を組んで、悪戯っぽく笑った春喜に、

「いいえ! お二人に会えて、本当に嬉しいです! 

 ご婚約おめでとうございます、春喜さん! ルイーズさん!」

 涼音が目に涙を浮かべながら、自然と眉を下げて口角を上げて――にっこり、笑顔を見せた。


「涼音、今!」

「あっ、わたし……笑えてる?」

「笑った! 笑えてるよ! 良かった――春兄さん、これで俺たちも先に進めます!」

 涼音の肩をぎゅっと抱き寄せて、朔夜も笑う。


「アリガト!」

 うんうんとうなずく春喜の隣で、ルイーズも嬉しそうに、泣き笑いをした。

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