第4話 意外な真実

「あっ――あれが我が家、剣持邸です」

 朔夜さくやが指した右手の方に首を伸ばすと、車回しの奥に大きな洋館が見えて来た。

 中央の玄関から両翼に窓が連なる、レンガ作りの堅固な3階建て。

「ステキなお屋敷……! まるで瑛国イギリスのマナーハウス、領主のお屋敷のようですね!」

 思わず弾んだ声をあげた涼音すずねは、子供の頃に読んだ、小説のヒロインを思い出していた。


 両親が亡くなり、はるばる印渡インドから瑛国にやって来て、荒野を馬車で屋敷に向かうヒロイン。

 それに自分を重ねて、ドキドキしながら車を降りる。

 色褪せた古着の様な、着物が恥ずかしいけど。

 でもせめて、朝霧伯爵家の令嬢として、背筋をしゃんと伸ばして顔を上げて。

 朔夜の後から扉を入って行った。


「おかえりなさいませ、朔夜様」

 出迎えた年配の使用人に、

「ただいま、鷹藤たかとう。こちらが朝霧伯爵家の令嬢、涼音さん。それから、侍女のすずさんだ」

 朔夜が二人を引き合せる。

「お初にお目にかかります、執事の鷹藤でございます。

 ついにこの日が……! 涼音様、朔夜様を何卒なにとぞよろしくお願いいたします!」

 くっと目頭を押さえた執事を見て、戸惑いながら涼音は尋ねた。

「あの――『この日』って、何の日でしょう?」

 

「朔夜様が未来の奥方を、この鷹藤にご紹介くださった、記念すべき『この日』でございます!

 あぁ――ひょっとして来年の今頃は、お二人の赤ちゃんが。どちらに似てらしても、それはそれは愛らしい坊っちゃまかお嬢ちゃまが。その小さなお手てを広げて、にっこり笑いかけてくださったら……この鷹藤、思い残すことはございませんっ!」

 感極かんきわまり涙ぐみながら、ひと息で言い切った子供好きの執事。

「うん。色々、早とちりが過ぎるけど……とりあえず長生きしてくれ、鷹藤」

 朔夜がポンッと、その肩を叩いた。

 

「つい取り乱し、大変失礼致しました。お部屋の用意は出来ております。涼音様、お着換えが済みましたら、お茶はいかがでしょうか?」

「えっ、着替え?」

 思ってもみなかった言葉を聞いて、目を見開いた涼音に、

「はい。勝手ながらドレスを数着、ご用意させて頂きました」

 にっこりと執事が答えた。

 

「さすがだな、鷹藤。ではのちほど、涼音さん」

 ひらりと手を振った朔夜に見送られて、エントランスホールから続く、広い階段を登る。

 二階の廊下を進んだ先にある、奥手のドアを執事が開けた。

「こちらのお部屋でございます、奥にはバスルームも。お仕度の手伝いにメイドを寄越しますので、少しお待ちください」

 鷹藤執事が静かに退室し、涼音とすずが残された部屋は。


 ふかふかの美しい、薔薇柄の絨毯が敷き詰められ。 

 手前には小さなテーブルと、座り心地の良さそうな椅子のセットが置かれている。

 窓際にはレースで飾られ、ブラシや化粧品が並ぶ可愛いドレッサー。

 奥に見えるのは、大きなクローゼットと天蓋付きのベッド。

 部屋の隅に置かれた小さなチェストの上から、花瓶に活けられた白バラたちが、部屋中に甘い香りを漂わせている。

 

「うわぁっ……まるで外国の、お姫様のお部屋みたいですねっ!」

 すずが、ため息交じりの声を上げる。

「ほんとに、素敵なお部屋……」 

 以前暮らしていた朝霧の屋敷も、ここまで豪華では無かった。

 

 扉が開いたままのクローゼットに近寄ると、中には白や淡いブルー、モスグリーンなど。

 それぞれデザインの違うドレスが、何着もかかっている。

 引き出しの中には、レースで飾られた下着や寝間着まで。

「すっごい、こんなにたくさん! どれもお嬢様に、良く似合いそうですよ!」

 わくわくとドレスを眺めて、すずが歓声を上げた。

 

「なんだか、夢の中にいるみたい……」

 涼音本人はこの幸せを、まるで実感出来てない。

 ここは本当は、夢の中で。

 義母と義妹が支配するあの家で、うっかりうたた寝でもしていて。

 松江に怒鳴られて飛び起きる――そちらが現実だったら、どうしよう?

 

 数時間前に急転換した、自分の運命が急に怖くなり、じりっとドレスから遠ざかる。

 そこに、

「おやおや、まーだそんな顔してんのかい? ほんっと気が小さいね、涼音お嬢様は!」

 いつの間にか開いた扉から、呆れたような声を上げながら、ひとりのメイドが部屋に入って来た。

 

 スタンドカラーの付いた長袖の、黒の膝下ドレスに真っ白のエプロンを付け、きっちり首の後ろでまとめた髪。

 きりっとした顔立ちに、すらりと背が高く、運動選手のように俊敏そうな体付き。

 どこか見覚えのあるそのメイドが、にやりと笑って挨拶をする。

「ようこそ、涼音お嬢様。それから、すず?」

「えっ……まさか」

「松江さんっ!?」

 つい半日前まで、義母の家に君臨していた――口が悪くて気分屋で、地獄の鬼のように底意地が悪い――女中頭の松江だった。


「ほんとに驚きました……まさか松江さんが、剣持家の方だったなんて」

 お湯を張った真っ白な陶器の湯舟に、ちゃぽんと入り、松江とすずに髪を洗ってもらう。

 その気持ちよさにうっとりしながら、涼音が呟いた。

「剣持家っていうか、朔夜坊ちゃま付きのね」

「坊ちゃま……」

 くふっとすずが笑う。

 涼音も釣られて、唇をゆがませた。


「あたしは元々、坊ちゃまの子守り、ナースメイドだったのさ。今は他の仕事もしていて、結構忙しいってのに。

 朔夜坊ちゃまから『どうしても』って頼まれて、あの家に潜入してたってわけ」

 そこで悪戯っぽく、にいっと笑い。

「お嬢様もすずもあたしのこと、意地が悪いって嫌ってたろ?」

 

「えっと……」

 口ごもった涼音に対して、

「うん! だってお嬢様のご飯抜いたり、お風呂入れなかったり、寝るときも同じ部屋で。ずっとずっと、いじめてたじゃない!」

 すずは、ひと息で言い切った。

「まぁ、そう見えたよね? でもね、みんな涼音お嬢さん――あんたを守るためだったのさ」

 苦笑いをしてから、きっぱりと松江が返した。


「守るって……?」

「まず食事を抜いたのは、時々奥様や瑠璃様――あぁ! もう様なんか付けたくないよ!

 とにかくあの性悪親子が、ちょいちょいあんたのご飯に、おかしな物を入れてたから」

「おかしなって……まさか、毒!?」

「うん。ほら庭に植えてあった、水仙とか紫陽花も毒になるし。

 ネズミが出るからって『岩見銀山』を、買って来たのも見かけたし」

 岩見銀山は、銀山で採掘されたヒ素などで作られた、ネズミ捕りの劇薬だ。

 

 淡々と告げて来た松江の言葉に、涼音は衝撃を受ける。

「わたしを殺そうと!? まさかそこまで?」

「遺産を全部自由にしたいとか、あんたがいなくなれば婚約者だって瑠璃になびくとか、色々勝手なこと言ってたからね。

 風呂と寝てる時なんて、人が一番無防備になるだろ? そこを狙われないように、気を付けてたんだ」

「松江さん……ひょっとして?」


 食事を抜かれた時は後で、『痛んでないか毒見しな!』と、ふかし芋や饅頭を無造作に渡されたり。

 お風呂に入れないときは、『台所は清潔第一だ! 汚いやつは入れないよ!』と、石鹸や手ぬぐいを入れた手桶が用意され、身体を拭けたりもした。

 きつい言葉と、気まぐれに見えた態度の裏側で。

 義母たちが目を光らす中で精一杯、わたしを守ってくれてたんだ。 


 なのに、


「『地獄の鬼みたい』なんて思ってて、ごめんなさい!」

 ちゃぽんっ!とお湯を揺らして向き直り、松江に頭を下げる。

「『節分が来たら豆ぶつけてやる!』って決めてて、ごめんなさい!」

 すずも、ぺこりと謝罪する。

 その言葉に、ぷっと松江が噴き出した。

 

「いいよ、すずちゃん。おおいに投げとくれ! その分たくさん豆が、食べられるってもんさね」

 わっはは!と豪快に笑う声につられて、

「わたしも食べるの手伝います!」

「あたしもーっ!」

 涼音とすずも、明るい声をあげた。

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