19話 くず男、ピーター
なんだかんだで数日が過ぎてゆく。
私はネーネがあきれるほどに仕事をうまくやってのけている。
もちろんそれは魔法を使っているから。けどそれはネーネ達には知られたくなかった。
なので額に汗を流して、自力でする事も多い。
膨大な仕事量を夢中で片付けていると、怪我がたえない。
大量に水のはいったバケツを運んでいる途中で、小石にけつまずいて膝をするむいたり。
暖炉に火をおこそうとしていると、不注意で手に火傷をしたり。
あわてて料理をしていると、うっかり包丁で自分の指を傷つけてしまったり。
他にも色々あるが、毎日のように身体のどこかにすり傷をこしらえていた。
けど、ちっとも辛くはない。
なぜって、仕事をおえて夫婦の部屋に戻るとアンソニー様がいつも傷口にキスを落としてくれたから。
今だってほら、扉を開いたとたんアンソニー様が心配な顔をして走ってきた。
「お帰り、ルル。
今日はどこに怪我をした?」
心配の色を浮かべた美しい瞳でまっすぐに私を見据える。
薄汚れた使用人服が、逆にアンソニー様の高貴な美貌を際立たせ、身体から男の色気がだだ漏れだ。
毎日見ているくせに慣れない。
恥ずかしくて目があった瞬間、みるみると頬が赤く染まる。
「おや。頬が赤いぞ。
ひょとしたら熱があるんじゃないのか?」
アンソニー様が眉をよせて私の額に大きな手をあてた。
剣ダコのできた分厚い手はゴツゴツしているけれど、とても温かい。
その温もりはどんな名薬より私を癒してくれる。
「大丈夫。熱はないはずよ」
「たしかに額はあつくない。なら安心した」
男らしい声が心地よく私の鼓膜をふるわせた瞬間、ふいに唇にやわらかい物がおちてきた。
「ルルの疲れを全部すいとってやる」
長いキスがおわると、アンソニー様は愛しそうに自分の指で私の唇をそっとなでる。
最近のアンソニー様は私への想いを少しも隠そうとしない。
邸で働いている時も、階下の部屋でくつろいでいる時もそれは同じだった。
アンソニー様の態度が一変したのは「でもアンソニーにはヘレンダ様がいるでしょ」と私が焼きもち半分にスネた時からだったと思う。
私がヘレンダ様にかなう所なんか一つもない。
もしも。アンソニー様の気持ちが私に傾いてくれているなら、きっとそれは同情からだろう。
でも、いいの。どんな理由にしろ、アンソニー様の本物としてハイランド家へ戻れたらこんな幸せはない。
「ハズレ令嬢だけど夢見ていいのかな」
呟きながら、静かに目を閉じた時だった。
「ピーター様。そこで何をしておられるのかな」
言葉は丁寧だが、少し怒気を含んだモリスの声が背後から聞こえてきたのは。
「なにって。ちょっとルルに用があってな」
声の方をふりかえれば、視線の先には汚物が、いえピーターがいた。
これまで私をさんざんコケにしておいて、まだ足りないのかしら。
「用ってなに?」
グッと憎しみをおさえて、できるだけ平静を装った。
「えらくソッけない態度だな。
ま、僕がマリンを選んだから悔しくてしょうがないんだろうが。
喜べ。ルル。
マリンがいない時は恋人に戻ってやってもいいぞ。
あんな白豚ジジイのキスなんかより、俺とのキスの方が100倍いいに決まってるだろ」
「今さら何を言ってるの?
ひょっとして頭がおかしくなっちゃったとか?
今の私にはね。
ピーターなんかより、サムの方がずーとイケメンに見えるのよ」
それは言葉のままだったけれど、ピーターの目にはアンソニー様は白豚ジジイとして映っているはずだから、納得できないよね。
「強がるなよ。
それとも本気で僕よりアイツが好きってか? 嘘だろ?」
ピーターの瞳には強い嫉妬の色が見てとれた。
自分が捨てた女だけど、自分以外の誰かを好きになるのは許せないって事なのね。
ピーターのあまりに自己中心な考えに心底あきれた。
「その通りよ。悪い?」
「おい。ルル。やせ我慢はよせ。
これからはこっそり僕が可愛がってやるからさ」
ピーターは素早く部屋に飛び込んでくると、私の身体を両手で抱きしめる。
「やめて! 気持ち悪いわ!」
「ルル。大人しくするんだ。
実は最近、マリンの我儘に嫌気がさしている。
だからたまにはこうやって僕を癒してくれ」
「調子のいい事を言うな!」
ピーターの腕の中でもがく私を見て、アンソニー様が拳を振り上げた時だった。
「そこで何をしてるの!!!」
血相を変えたマリンが私達の前に現れたのは。
「ちょっと。ピーター。
これってどういう事なの!?
ちゃんと説明してもらいますからね。話の内容によっては離婚よ!」
大きなピンク色のリボンをつけた頭を激しくふって、マリンがヒステリックに叫んだ。
それを見たピーターは大きく目を見開いて驚くと、すぐに私を突き飛ばした。
ードスンー
大きな音をたてて尻モチをつく私を指さしして、ピーターがわめきだす。
「誤解だ、マリン。
この女が魅了魔法を使って僕を誘惑してきたんだ。
今さっき、マリンが見たのはそれに必死であらがっていた僕さ」
「本当に……? お姉様が魅了魔法で?」
「ああ、そうだ。信じてくれ可愛いマリン」
ピーターはマリンの背中から手を回して、マリンをギュッと抱きしめる。
なんてオゾマシイ光景かしら。
この調子だとマリンはピーターにまるめこまれそうだけど、私にとってはその方が好都合よ。
もっともっとピーターを信頼すればいいんだわ。
その方がピーターの真の姿がわかった時、ショックが大きいからね。
私が味わった苦しみをマリンも味わうべきだわ!その為ならなんだってできるの。
「マリン。ピーターの言っている事は本当よ。
ごめんなさい」
ニヤリと笑いそうになるからうつむいていたら、ピーターが手で私の顎を持ち上げて私の頬をバシンとうつ。
「僕が愛しているのはマリンだけだ。
ニ度とこんな真似はするな!」
「まあ。ピーター。素敵」
猿芝居をするピーターの隣でマリンはうっとりする。
いいこと、マリン。
すぐにピーターの本性を暴いてやるからね。
その時、貴方はどんな顔をして泣きだすのかしら。
今から楽しみにしてるわ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。