10話 アンソニー様の愛しい人

「さっきはブスなんて言ってごめんなさい。


よく見ればルルは可愛いわよ。


 私には負けているけどね」


 ベッドの中でバジルは私の手を小さな手でギュッと握る。


「叔母様にお誉めいただいてありがたいわ。


これも一緒にドアーフの話をしたおかげかしらね」


「それもあるけど、それだけじゃない。


 どうしてかな。ルルと一緒に寝ていると胸がホカホカしてくるの。


 もし本当のお母様が生きていたらこんな感じだったのかな」


「本当のお母様はバジル様がもっと小さい時ご病気で亡くなられたんですよね。


 実は私の母もそうなの」


「まあ。


だから私達気があうのかも。


 ねえ。ルル。


ルルは私にとってもう本当の家族なの。


だから私の事はバジルって呼んでね」


「ありがとう」


 部屋の窓から差し込んでくる月あかりに照らされた小さな頭を何度もなでる。


 幼い叔母様の幸せを心から願いながら。


 その夜をさかいに私は邸にいる間はほぼルルと過ごした。


「ルル。ルル」


と子犬のように私にまとわりついてくるバジル様が可愛くてしかたなかったけれど、不思議なのは日々ドアーフ人形が着ている服がオシャレになっている事だ。


 ちょっと残念なあの服はバシル様が魔法でつくったらしいから、バシル様の魔力がアップしている証なのかな。


だとしたら喜しい。


そんなある日のことだ。


「入っていいか?」


 私の部屋の外からアンソニー様の声がする。


「はい!」


 椅子に座って白いレースのハンカチに刺繍をしていたけれど、すぐに手を止め立ち上がり扉へ急いだ。


 ここのところ、ほとんどバジル様と一緒にいたからアンソニー様とゆっくり話す時間がなかった。


 なのでデートに誘われてみたいにワクワクする。


「どうぞ」


 勢いよく扉を開いた瞬間、入室しようとしたアンソニー様とぶつかってしまう。


「きゃあ」


「すまない」


「いえ。私が悪いの。


ちゃんと前を見てなかったんだもん」


 アンソニー様の胸にうずめる形になった顔を上げると、長い睫毛に彩られた涼し気な瞳が目にとびこんできた。


 いつもどんな場面でもアンソニー様は美しすぎる。


「いけない。


お部屋が散らかったままだわ」


 真赤に染まった顔を見られたくなくて速攻で踵をかえし、白テーブルの上に置いたままのハンカチやハサミを片付けていると、


「何をしていたんだ?」


 アンソニー様がいぶかしげな声をだす。


「ハンカチに薔薇を刺繍していたの。


 ここを発つ時、ノワール様にプレゼントしようと思って」


「お婆様は薔薇好きだから、きっと喜ぶだろうな」


「だけど、なかなか上手くできなくて」


「どれ。見せてみろ」


「いやよ。下手くそなんだもの」


「そう言われたら、なおさら見たくなった」


 アンソニー様は悪戯っ子のように瞳を輝かすと、私が背中の後に隠していたハンカチを一瞬でもぎとった。


「もう! やめてって言ってるのに」


「そう怒るな。


それに案外、上出来だったりしてな」


 奪ったハンカチに楽しそうに視線をおとしたアンソニー様だったけれど、すぐに顔をひきつらせて押し黙る。


「これが……薔薇なのか?」


「そのつもりだけど。


 だから言ったでしょ。下手だって」


 必死で笑いをかみ殺そうとしているアンソニー様にプウッと頬を膨らませる。


「まーそのー。


 手づくりは出来の良しあしより、気持の問題だ」


「そうだけど……。


これは酷すぎるでしょ」


「う、うう」


 アンソニー様は言葉をつまらせた。


「やっぱりね。


 不器用なくせに刺繍なんかしようと思った私が馬鹿でした。


 もうこのハンカチは捨てるわ。


 ノワール様には何か別の物を考えるから」


 ガックリと肩を落とす私にアンソニー様は思いがけない言葉を口にする。


「おい。捨てる位なら俺にくれよ」


「ダメよ。こんな出来損ない」


「出来栄えなんてどうでもいい。


 ルルが一針一針刺してつくった。


俺にとってソコが重要なんだ」


「それはどういう意味なの?」


 真剣な眼差しで私を見据えるアンソニー様にこれまで以上に胸がドキドキした。


「偽夫婦と見破られない為の小道具の一つとして欲しい。って事ですよね」


 「そうだ」と答えは決まっているのに、心のどこかで別の言葉を期待している自分がいる。


「それはだな……実は俺にもよくわから……」


 とアンソニー様が言いかけた時だ。


「聞いたぞ。


 偽夫婦ってどういう意味よー。


 おかしいと思ったんだよな。


 ヘレンダ様一筋のお前が急に他の令嬢とひっつくなんてさ」


 シモン様の大きな声が背後からしたのは。


「こら。シモン。


 いつから部屋にいたんだ!」


「いつだっていいだろ。


 そんな事よりルルちゃんとの本当の関係を教えろ」


 いつもなら2人のジャレアイに頬をゆるめるのだろうけど、さっきの言葉に心を凍りつかせた私は呆然と立ちすくむだけだった。


 一体ヘレンダ様って誰なの?


 アンソニー様とはどういう関係なの?


 頭の中で同じ疑問がグルグル回っているけれど、答を知るのが怖くて口にはできない。


「ルル。


 いつまでもそこにつっ立っている気だ」


 アンソニー様の声でようやく我にかえると、すっかり仲直りしたようなニ人は一緒にテーブルについていた。


「あ! 急に頭がボーとしちゃって」


「きっと腹がへっているんだろ」


 テーブルを囲むように並べられた椅子の一つに腰をおろしたとたん、アンソニー様が私の顔をのぞきこむ。


「そうかな……」


 言いよどんでいると、真向かいに座るシモン様がドンとテーブルを叩いて声をはる。


「それよりルルちゃん。


 ルルちゃんの継母も妹も元婚約者もふざけたヤツばっかだな。


 俺、今日からルルちゃんの味方になる。


だからあんなヤツらに絶対負けるなよ」


「ひょっとしてシモン様に全部打ち明けた?」


「ああ。


 本当は問題がすべて解決してからの方が良かったんだが、聞かれた以上しかたがない」


 アンソニー様はすまなさそうな声をだすと、膝の上にのせていた私の両手に自分の分厚い手を重ねてくる。


 それはただ「悪かった」だけの意味でそれ以上でも以下でもない。


 ヘレンダ様の存在を知った以上、こんな風に優しくされても舞い上がる事はできなかった。


「気にしないで下さい。


 シモン様はいい人みたいだし」


「でしょー。


 ルルちゃんて人を見る目があるじゃん。 


 それにしてもさ。


 天下のアンソニーハイランド公爵がジジイに化けてフィフィ家で使用人をしていたなんて信じられねー」


「王家から頼まれたんだ。


断るわけにはいかんだろう」


「王家にはヘレンダ様がいるからな」


 シモン様が意味深に笑う。


「王家ですって!?


 ヘレンダ様って王女ヘレンダ様の事だったの?」


 ヘレンダ様はこの国の王女であり聖女でもある、稀有なお方だ。


 魔獣災害に襲われた村へ向かわれお姿を偶然拝見した事があるけれど、ヘランダ様が発せられる慈愛のオーラーに思わず息がとまった。


 キラキラ光る虹色の長い髪に透き通るような真っ白な肌。


 あのヘレンダ様がアンソニー様の想い人だったなんて……。


 これはもう戦う前から敗北が決まっている試合だわ。


「そうだよー。


 女嫌いのアンソニーが認めた唯一の女性。


 けど聖女は結婚できない。


 だからアンソニーちゃんも一生結婚しない。ってことね」


 そうなんだ。


だからいつまでも独身だったのね。


 最近、ちょっとだけ期待していた自分が恥ずかしくてしかたない。


「シモン。黙れ」


 アンソニー様はギュツと太い眉をよせたけれど、ヘレンダ様の想いは否定しなかった。


「馬鹿なルル」


 自分に向けてソッと呟いたとたん、不覚にも目からポロポロと涙がこぼれ落ちてしまう。


「シモン。まずいぞ。


 ルルは泣くほど腹がへっているようだ」


 アンソニー様があわてて頬を伝う涙を指でぬぐってくれた。


「そうじゃないって」


 私は残酷な優しさに泣き笑いする。

 

 


 




 

 


 

 










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