幕間.杏里さんの蓮治くんウォッチング

 比企谷杏里さんと仲良く(?)なって、数日が経った日のことでした。

 学食での昼食を終えて、一人で教室に戻ろうと校内を歩いていると、杏里さんを見かけました。

 何故か、廊下の曲がり角に隠れて、顔を少しだけ出して廊下の先を覗き見しています。

「……杏里さん? なにをしているんですか」

「ヒッ!? ……って、なんだ玲那さんか。大きな声を出さないでちょうだい」

 大きな声を出したのを杏里さんでは?

 そう思いましたが、私はあえて口には出しませんでした。

「それで、なにをしているんですか?」

「しっ! 黙って、あれを見てちょうだい」

 そう言って、杏里さんが覗き込んでいた廊下の先の方を指さします。そこには――。

「蓮治くん?」

 そう。廊下を曲がった先のしばらく行ったところに、蓮治くんがいました。

 なにやら知らない女生徒さんと、プリントらしき物を拾っています。


「ほら、これで全部か?」

「はい! た、助かりました!」

 全部拾い終えると、蓮治くんが女生徒さんにプリントの束を渡しました。

 どうやら、女生徒さんが落としてばらまいてしまったプリントを、蓮治くんが手伝って拾っていたみたいです。

「……ったく。次は気を付けろよ」

 不機嫌そうな顔をして、蓮治くんが廊下の向こう側へ去っていきます。

 対する女生徒さんは……頬をピンク色に染めて、蓮治くんのことを見送っています。

 これは……恋に落ちた音が聞こえます!

「ぐぬぬぬぬぬ! また蓮治くんに悪い虫が!」

 一方、私の隣では杏里さんが顔を真っ赤にしてものスゴイ表情になっていました!

 怖いです。なんだか、怒りの形相を浮かべた仏像さんみたいなお顔になっています!

「ほら、玲那さん。蓮治くんのあとを追うわよ!」

「え、ええっ!?」

 杏里さんが私の手を引いて、蓮治くんのことを追いかけ始めました。

 一体何が起こっているのでしょう?


   ***


 結局、お昼休みの残り時間ギリギリまで、杏里さんの追跡は続きました。

 そんな中、驚いたのは蓮治くんの「人助け率」の高さです。

 中庭へ行けば、ボール遊びしている人たちの暴投が、通行人に当たるのを未然に防ぎ。

 職員室の近くを通れば、重い荷物に難儀していた先生を手伝い。

 学園内に迷い込んだ猫を見付ければ、優しく保護して警備員さんに引き渡し。

 ――あ、最後のは「猫助け」ですね。

 とにかく、蓮治くんは行く先々で誰かを助けているのです。いつもの不機嫌顔のままで。

 なるほど、これが「不機嫌王子」なんですね……!

「見たわね? 玲那さん」

「はい! 蓮治くんは本当にいい人です!」

「そこじゃないわよ!」

「ええっ?」

 どうやら、杏里さんの言いたかったこととは違ったようです。

 怒られてしまいました。

「蓮治くんがいい人なのは、これもう世界の常識、宇宙開闢以来のルールよ!」

「う、うちゅうかいびゃく……?」

 言葉の意味はまったくわかりませんが、とにかくすごい迫力です。

「蓮治くんはね、ただ散歩していただけなのよ。それなのに、行く先々で困ってる人が現れて、しかもそれをあざやかに助けちゃうの! その結果、なにが起こるか分かる?」

「な、なにが起こるのでしょう……?」

「みんながみんな、蓮治くんのこと好きになっちゃうのよ!」

「え、ええええっ!?」

 確かに、最初の女生徒さんは完全に恋に落ちたお顔をしていました。

 ボールに当たりそうになっていた生徒さんも女性でした。

 でも、お手伝いした先生は既婚の中年の男性でしたし、最後に助けたのは猫さんです。

「ああああああっ! またライバルが増えてしまったわ!」

「杏里さん、落ち着いてください!」

「これが落ち着いていられますか! アタシは初等部の頃から蓮治くんを追っかけているのに、日々ライバルが増えるばかりなのよ!」

 ダメです、杏里さんはすっかり荒ぶっておられます!

 私の話を全然聞いてくれません。

「あ、杏里さん。ほら、お昼休みももうすぐ終わりますし、深呼吸でもして落ち着いて、教室へ戻りましょう? ね?」

「……そう言えば、玲那さんもライバル、でしたね」

「えっ」

 大変です。杏里さん、すっかり目が据わってます!

「この間はうやむやになったけど、蓮治くんとどういう関係なの? 守司のおじい様のお孫さんというけど、蓮治くんとの仲はいつからなの? もしかして――許嫁とかだったりしない?」

 ギ、ギクッ! です。

 杏里さん、勘が良すぎます!

 許嫁ではないですが、許嫁候補ではあります!

「ねぇ、玲那さん。お友達になったんだから、隠し事はなしにしましょ? ねぇ、ねぇ、ねぇ――」

「ひ、ひぇぇぇぇ……」

 グイグイ来る杏里さんを前に、私はなす術がありません。

 先日は蓮治くんが助けてくれましたが……今はいません。

 どうしましょうか?

「――あー、盛り上がっているところすまないが」

 と、その時でした。いつの間にか、杏里さんの後ろに誰か立っていました。

 ……翔くんです!

「ヒ、ヒィ!? しょ、翔先輩!」

「杏里くん……この間、クギを刺したばかりなのに……またやったな?」

「ち、違うんです先輩! ア、アタシはただ蓮治くんを見守りたい一心で!」

「言い訳は放課後、理事長と一緒に聞こう」

「お、おじい様にだけは、おじい様にだけはごかんべんをぉ!」

 泣きながらすがりつく杏里さんをよそに、翔くんはスマホを取り出してどなたかにメッセージを送っているようです。

 今のお話からすると、理事長さん、つまり杏里さんのおじい様が相手でしょうか?

「理事長からのご返信だ……『逃げないように』とのことだ」

「ヒ、ヒィィィィ……」

 杏里さんがその場で崩れ落ちました。

 私はその光景を、わけが分からずただ呆然と眺めるばかりでした。


 ――後から翔くんに聞いたところによると、こういう話のようです。

 杏里さんは初等部の頃から蓮治くんのことが好きすぎて、常日頃から「つきまとい」をしていたそうです。

 最初の頃こそ「恋するかわいらしい乙女」だったようですが、その行動はどんどんとエスカレートしていき……。

 翔くんが言うには、「玲那くんにはとても聞かせられない」ことまでしたそうです。

 やがて、そのことは翔くんの知るところとなり、翔くんが理事長さんにお知らせして、二人で玲那さんをお説教したのだとか。

 しかも、何度も。杏里さんが蓮治くんへの「つきまとい」をした度に。

 二人のお説教も段々と厳しくなっていき、最近の杏里さんは、翔くんの姿を見るだけでそのことを思い出して緊張するようになってしまったのだとか。

 ――それでも懲りずに追っかけてしまうのですから、杏里さんは本当に蓮治くんのことが好きなのでしょう。


 もちろん、迷惑行為は絶対にダメですけど!

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