当てつけ(1)

 コンビニを出た僕は、ムッとする熱帯夜の空気を避けるように俯くと、足早にアパートに戻った。

 歩いて5分程度なので、運動のために……と思ったのが失敗だった。

 もうシャツが汗で濡れている。


 三連休初日と言うこともあって、気分が浮き立っていたのかも知れないな……


 そんな事を考えながら部屋に帰った僕は、部屋でスマホを見ながらカップ麺を食べている妹の百合恵ゆりえを見た。


「あ、お帰り兄貴」


「お前、勝手に食うなよ。それ明日の楽しみだったのに」


「いいじゃん。男がカップ麺ごときでグチグチ言わない。どうせ買ってきたんでしょ? いろいろ」


「ってか、お前いきなり来て何、我が物顔で居座ってる訳?」


「彼氏と揉めちゃってさ。連休の予定がパアになったんだってば。いいじゃん、こんな可愛い子と連休過ごせるんだよ……妹だけど」


「全くだ。お前とじゃ却って疲れがたまる」


「残念だね~、兄貴の片思いの……安西さんだっけ? あの人じゃなくてさ」


 僕はため息をつくと、買ってきた燻製卵とビールをテーブルに置いて、パソコンを開いた。

 そして調べ始めたのは……虐待についての相談窓口だった。


 警察や児童相談所、役所……

 そして、どうやって鈴を連れて行けるか。


 安西さんと出かけた日。

 名古屋駅で鈴と「偶然」出会い、彼女が抱きついてきた日。

 あれ以来、バイト先で顔を合わせるたびそれとなく虐待の件を相談に行くことを進めた。

 自分も着いていくから、と話し。

 だが、彼女はその度に「みんなをバラバラにしたくないの。だから……私が我慢すれば」と言う。


 そう言われると無理矢理引っ張っていくわけにも行かないので、引き下がらざるを得ない。

 だけど……

 あれから色々考えてみると、何かがおかしい。

 妙に引っかかる。


「なに調べてるの? ヒマだから見せてよ」


「どっちみちお前にも相談しようと思ってた。お前、警察官だろ。あと、結構子供相手もしてたんだし……ちょっと、虐待を受けてるだろう、って子がいてね。バイトの子で」


「うそ……それってヤバい奴?」


「彼女の言ってる事が本当なら性的虐待と身体的虐待両方だ。義理の父親」


「良く聞く奴だね。ってか、私に聞いたりする前に児相か虐待対応ダイヤルでしょ?」


「本人が拒否してる。『家族をバラバラにしたくない。自分が我慢してれば』って」


「あるあるだね。でも、そんなの気にしてたら……」


「ただ……その子、ちょっと引っかかる所があるんだ。最近、どうも……。なあ、ちょっとその子の事聞いて欲しいんだ。で、俺の自惚れや自意識過剰なら遠慮無く言って欲しいんだけど」


 すると百合恵はそれまでのニヤニヤした表情を瞬時に引っ込め、引き締まった……何かを探るような表情になった。


「いいよ。言って」


 そうしてこれまでの彼女の言動や行動を一通り話すと、百合恵は目を細めて天上を見上げた言いにくいことを話すときのクセだ。

 そう思っていると、彼女は僕を苦笑いを浮かべながら言った。


「その子……鈴ちゃん。もう距離置いた方がいいよ。一生面倒見る気ないなら」


「……やっぱマズい子か?」


「行動の根っこがどれかはわかんない。虐待による頼れる存在への依存なのか、極端に肥大化した自己愛か、それとも……兄貴に言うのもなんだけど……ファザコンをこじらせた恋愛感情か」


 百合恵の言葉に思わず彼女から目を逸らして、ビールを飲んだ。

 薄々感じては居たが……

 百合恵ももう一本の缶ビールを開けると、一口飲んで続けた。


「ここまでの短い間でも、彼女の行動の異質さは目だってる。閉店後にお弁当を作って来る? 名古屋市なんて広いところで偶然? しかも兄貴が片思いの人との初デートのタイミングで? そもそも普通に考えて、いくら心細くても一回り以上年の離れた……ゴメンね、モデルのようなイケメンでも無い男性に、怖いからってホイホイ抱きつく? 同じ女子としてその心理はあり得ない。あるとすれば……ある種の極端な感情」


 極端……

 百合恵の言わんとするところは分かる。

 一切の思い込みを除いて冷静に考えるならば……


「でも、なぜ……俺みたいな……」


「それは鈴ちゃんにしか分かんないね。ただ、距離は置きなね。でもあまりあからさまはダメだよ。そう言う子って、思い詰めると何するか分かんないから」


「怖いこと言うなよ! そういうの本気でダメなんだって……」


 そう話していると、携帯が鳴ったので何気なく見た僕は思わず表情が強ばった。


「……誰?」


「……その子だ。内海鈴」


「マジで?」


 しまった。

 百合恵とあんな話をした直後に……

 そのせいで、電話に出るのを躊躇してしまう。

 そのまま十秒近く経った後、電話は切れた。


「なに、めっちゃタイミング良くない? まさか……聞いてた?」


 そう言うと百合恵はドアまで行って、外を覗くとすぐに戻ってきた。


「さすがにそこまでホラーじゃ無かった。まあ、その子も別に怪異とか超常現象って訳じゃ無いもんね」


「そもそも俺の家は教えてないから」


「バイト先のチーフの家でしょ? んなの、どうとでもなるって。私だって、大学の時のショッピングモールでバイトしてたとき、緊急時マネジャーあっさり連絡先見せてくれたし……住所もろとも」


「勘弁してくれよ。さっきから俺を脅してばっかだな、お前」


「でもマジでその子、普通じゃ無いって。とにかく職場で話しかけずに、二人っきりにならずに、ね。みんなに均等に話して接するの」


 百合恵がそう言ったとき。

 今度はラインの着信音が聞こえたので、確認した僕は思わず目を見開いた。


 そこには鈴からのメッセージで

『さっきはお休みの夜にごめんなさい。忙しかったですね? ……彼女さんかな(笑)』と言う内容が来ていた。


 百合恵の事を書こうか少し迷ったが、なぜか伝えない方が良い気がして『お手洗いに行ってて出れなかった、ごめん』と返した。


 すると、すぐにまた電話がかかってきたので今度は反射的に出てしまった。


「あ、チーフ。嬉しい……今度は出てくれたんだ」


「ああ……でも、ゴメン。ちょっと飲み過ぎちゃって頭が痛くて……もう休もうかと思ってたんだ」


「……大丈夫? 何か、持っていこうか?」


 そばで聞いていた百合恵があからさまに眉をひそめたので、それに釣られて強めの言い方になってしまった。


「大丈夫、来なくて良い」


 その途端、沈黙が流れたので焦って口調を柔らかくした。


「……うん、もう夜だから一人で来るのは……危ないから。それに僕の家も知らないだろ?」


「……ごめんなさい。……じゃあせめて、おやすみなさい、って言って。……さっきみたいな怖い言い方は、やだ」


「ああ……おやすみ」


「おやすみなさい。あ、写真だけでも送っていいかな? 一人でいるんだから、何も困らないでしょ?」


 さっきの言葉の後ろめたさもあり、断ることは出来なかった。


「ああ、大丈夫。ゴメン、頭痛くてつい……強めになった」


「ううん、大丈夫。チーフは悪くないよ。優しい人だもん。じゃあお休みなさい。画像、すぐに見てよ。約束だからね」


「ああ」


 すぐに通話は切れ、それから数分後にラインで画像が届いたが……僕はそれを見て、言葉も出なかった。

 そして、隣で見た百合恵も表情をこわばらせている。


「何……この子? あり得なくない?」


 そこに写っていたのは、ベッドに寝転がっている鈴だったが……小さめで身体にピッタリのタンクトップ姿で『暑いから、いつもこの格好。恥ずかしいから他の人には絶対見せないでね! お休みなさい』と書かれていた。


「……これ、私への当てつけ?」と百合恵の冷ややかな声が聞こえたが、僕は動揺でそれも耳に入らなかった。

 やっぱり……駄目だ。百合恵の言うとおりだ。



 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 連休が明けて、職場に戻った僕は百合恵の言葉通り、鈴と距離を置くことにした。

 他のパートさんやバイトの子たちと意識的に均等に話し、接するようにしたのだ。


 その度に鈴の視線を感じたが、意識して視野に入れないようにした。

 彼女と話すときも、鈴は一際熱っぽい視線を向けてきたが、それも曖昧な笑顔でかわした。


 そして残業もせず他の社員と一緒に帰り、残務は帰りの途中にファミレスに寄って進めた。

 百合恵も思うところがあったのだろう。

 非番の時は僕に付き合ってファミレスで過ごしてくれるようになった。


「有り難いけど、そこまでしなくてもいいよ。彼氏とは大丈夫か?」


「もう別れたから大丈夫」


「マジか? に、してもさ……お前子供の頃から俺にベッタリだったけど、さすがにもういいって。そんな年でもないだろ」


「あの子、何するか分かんないじゃん。もう距離置いて一週間でしょ? 普通に不満がマグマみたいになってると思うよ」


「だから……脅すなって」


「いよいよとなったら私使って良いよ。彼女のフリくらいしてあげる。それで完全に諦めてもらおうよ」


「なんで妹にそんなの頼むんだよ。それだったら安西さんをまた誘うよ」


「……最近、話せてるの?」


「風邪引いたみたいでしばらく休んでるんだよ」


「あらあら、お気の毒様」


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 残務もすぐに終わったので、それから二人でしゃべっているといつの間にか23時半になっていたので、慌ててファミレスを出て、百合恵の車でアパートの前まで送ってもらった。


「悪いな、明日早番だろ?」


「いいって。やっぱ兄妹だとつい盛り上がっちゃうね。おかげで別れたあのバカ男の事も忘れられた」


「俺こそそういうのに使えよ。助けられっぱなしだし」


「そうするよ……じゃあお休み、兄貴」


 そう言って走り去っていく百合恵の車に手を振ると、話し疲れた足をゆっくりと動かしながらアパートの部屋に戻った。


 だが階段を上がったとき、ふっと足が止まった。


 だれか……いる。


 部屋のドアの前に誰かが体育座りのようにして座っているのだ。

 安アパートなので電灯も薄暗いが、誰かはすぐ分かった。

 僕は呆然としながらつぶやいた。


「鈴……」


 そう言うと、彼女も気付いたのか薄暗い中で顔を動かした。


「お帰りなさい。楽しかった?」


 ずっと……待ってたのか?

 この暑い中。

 冗談だろ、今夜中の12時……


 僕はゾッとしながらその場に立ち止まっていた。

 すると鈴の声が聞こえた。

 囁くような……それでいてハッキリした声。


「逃げちゃやだ。そしたら、そこから飛び降りる……から」

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パラノイア 京野 薫 @kkyono

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