あの娘

 内海さんがお弁当を持ってきてくれた夜。

 

 それから意外にも彼女からラインは一切無かった。

 やっぱり一時の気まぐれだったのかな……まあ、あの年頃の子はそう言う物かも知れない、

 気まぐれとその場のノリで発言し、行動し……飽きる。


 ただ、虐待の事はやはり気になっていた。

 さすがに他の人には話せないが、自分一人で抱えるには重すぎる気がした。

 近々あの子にもしっかり説明して、警察が嫌なら児童相談所とか……学校の先生とか。


 僕の中では担任の先生に相談してみるのはどうだろうか、と思い始めていた。

 最初に他言無用で、と言っておけばそこで留まるし、僕よりも日頃の内海さんにも接しているから正しい判断が出来るかも知れない。

 少なくても、バイト先の社員一人に任せて置いていい問題じゃ無いはずだ。

 彼女もしっかりしているけど、17歳だ。


 うん、今度担任の先生への相談を提案してみよう……


 そんな事を考えながら、僕は勤務先のショッピングモールから車で30分ほどの、名古屋駅前にある複合商業施設内の映画館に来ていた。


 勤務先のショッピングモールにも映画館はあるが、さすがにそこはダメだ。

 後……馬鹿馬鹿しい事だけど、売り場での社内恋愛は良く思われない。

 社内規定で禁止になっているわけでは無いが、売り場の総合マネジャーが批判的なせいで、正社員の社内恋愛は実質的に禁止となっている。


 安西さんはテナントとして入っているケーキ屋だからまだいいが、僕は売り場のチーフ。

 さすがにバレてマネジャーに睨まれたくは無い。


 それもあり、これだけ離れた映画館に来ているのだ。

 まあ、せっかくのデートなんだから普段の行動圏内も詰まらないので、願ったり叶ったりだけど……


 ダメだ。

 緊張してるのかな?

 どうも落ち着かない。

 安西さん、どんな格好で来てくれるのかな。

 映画も楽しみだけど、実はラブコメはそこまで好きじゃ無い。


 僕にとってのメインはその後のショッピングや食事だ。

 そこで色々と話したい。

 年齢イコール彼女いない歴なのが悔やまれるが、何とか上手く話さないと……


 そんな事を考えていると、携帯が震えたので安西さんか!? と慌てて確認した。

 すると、それは内海さんからのラインだった。

 なんだ? あの子、学校のはず……


 内容を見るとただ一文「お電話してもいいですか?」だった。

 僕は時計を確認する。

 まだ待ち合わせまで20分はある。

 手早く済ませればいいだろ。


 僕は「10分くらいなら。友達と待ち合わせてるから」と送ると、すぐに彼女から電話が入ってきた。

 驚きながら出た僕は、ギョッとした。

 電話口の内海さんは……泣いていた。


「あ……もしもし? 大丈夫? どうかした?」


 僕は慌ててそう言ったが、内海さんは泣きじゃくっており言葉になっていない。


「チー……フ……私……もう、やだ……」


「なあ、何かあったのか? ごめん、泣いてたらよく分からない」


 すると少しの間が空いた後、絞り出すような声が聞こえた。


「……会いたい。怖いの……」


 え?

 ……いや、それは……


「えっと……今日、学校だろ? あと……ゴメン、僕も今日は友達と……」


「分かってる……ゴメン……なさい。でも、父に……また叩かれた」


「また? ……また暴力振るわれたの?」


「うん。昨日の夜、お風呂……入るのヤダって、言ったの。チーフが居てくれるから頑張ろうって思って。そしたら、昨夜と今朝……殴られて。怖くて逃げてきた。学校も休んだ……ねえ、会いたい……お話ししたい」


 ちょっと……待て。


 僕は時計を見た。

 待ち合わせまであと15分。

 いつ安西さんが来ても不思議じゃ無い。


 僕は額をこするとゆっくりと言い聞かせるように話した。


「それ、今日の夜じゃ……駄目かな? 本当にゴメン。その友達とも本当に大事な話をしなくちゃいけないんだ」


 これを聞いてもらえなかったらどうするか……

 どう説得するか。

 そう思いながらウロウロ歩いていると、電話の向こうで「……分かった。夜でいい」と言う内海さんの声が聞こえてきた。


 マジか……こうもあっさり。


 僕は驚くほど安堵しているのが分かった。

 良かった……さすがに今はダメだ。


「じゃあ……18時頃でいい? また待ち合わせ場所とか教えて。それまで……頑張る」


「え!? いや、もうちょっと遅く……」


 そこまで言ったところで、すぐ近くに安西さんが来ているのが分かったので、急いで電話を切った。


「あ……ゴメン。気、使わせちゃったかな? 私なんて気にしなくてもいいのに」


 安西さんが苦笑いを浮かべながらそう言ったので、僕は笑いながら首を振った。


「大丈夫です。ちょっと、大学の時の友達からで……なんか、悩み事がある、って」


「え、そうなの。じゃあ電話してあげてよ。まだ映画まで時間あるでしょ」


「で……それなんですけど、そいつが……どうしても今日の夜しか時間取れないみたいで……夕食……またの機会で」


「もちろんいいよ。ってか、お友達の方優先してあげてよ。何だったら映画もまた今度でいいけど」


「いや、それはダメです。本当に楽しみにしてたんで……絶対見ましょう」


 そう必死になって言うと、安西さんはわずかに顔を赤くして、恥ずかしそうに微笑んだ。


「えっと……君、ホントにお上手だね。ダメだよ~こんなお局さんおだてちゃ」


「そんな事無いです。自分の事、そんな風に言わないでください」


「……有り難う。内海さんも同じ事言ってたな。あの子も今から見る奴興味あったみたいで、昨日ちょっと話したんだ。すっごい楽しくて、つい色々しゃべちゃった」


 へえ……内海さんがラブコメなんて見るんだ。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 それから二人で映画を見たが、その間も頭の中は内海さんの事が離れなかった。

 どんな目にあってたんだろうか?

 今は大丈夫なのか?

 そんな事が気になってしまい、苛立ちさえも感じてしまう。


 あの子、僕の事監視してるんじゃないだろうな?

 などと、身勝手な妄想まで浮かんでしまう。

 なんでこんなタイミング良く……


 いや、ダメだ。頭を切り替えないと。

 映画を見終わる前に必死になって内海さんの事を頭から締め出した。


 だけど映画が終わって、近くのカフェで一緒にコーヒーを飲みながら映画の話をしたり、近くのツインタワーになっている複合商業ビルで、色々なブランドの店を回りながら職場の事やお互いの事を色々と話している内に、楽しくなって来て内海さんの事はいつしか済みに追いやられていった。


 このまま夕食も行けたら良かったのに……

 そう思うと心底残念だったが仕方ない。

 さすがにあの様子の彼女を一日放置も出来ない。

 乗りかかった船だ。


 ただ、近いうちにやっぱり担任の先生には相談してもらおう。

 さすがに僕がそこまではしゃしゃり出られないけど……いや、最悪彼女と一緒ならそれもありか。

 とにかく、バイト先の社員が深入りすべき事じゃ無い。


 それから18時過ぎに安西さんと別れると、少ししてラインが届いた。

 見てみると安西さんからで「本当に楽しかった。有り難う。良かったらまた誘ってね。今回流れちゃったイタリアンとかどうかな?」と言う物だった。


 僕は気分が一気に高揚し、慌てて返事を送ると夢見心地で近くのベンチに座った。

 次こそは……で、その次くらいに……告白を。


 そんな事を考えていると、再びラインが来たので確認すると今度は内海さんからだった。

 しまった……18時に会う約束を……


 慌てて電話すると、彼女はすぐに出た。


「……もしもし」


 その声が思ったより元気そうだったのでホッとした。


「あ、遅くなってゴメン。ちょっと友達の相談が長引いちゃって……すぐ迎えに行くよ。今、どこに居る?」


「……今、金山駅に居る」


 金山駅。

 ここからなら電車で30分もかからない。


「分かった。僕も名古屋駅に居るんだ。今からそっちに行くから」


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 金山駅で待ち合わせた僕は、小走りで改札口までやってきた内海さんを見たが、思わず顔が引きつるのを感じた。


 彼女の頬には明らかに叩かれたのだろう。

 赤く腫れており、痛々しいほどだった。


「……大丈夫? その……頬」


「大丈夫です。あの後、父から何回も電話があって、一人だと……頑張れなくて家に帰っちゃった。そしたら、叩かれて。それでまた飛び出Kしたんです」


「……ゴメン」


「ううん、謝らないで。嬉しかった。こうやって時間作ってくれて」


「あの……話、聞くよ。どこにしようか」


 そう言うと、彼女の強い希望で近くのネットカフェに入ることになった。


「他の人に聞かれたくないから……」との事だが、正直ネットカフェの個室に二人で入るのもかなり抵抗があった。

 だが、仕方ない。

 確かに父親からの虐待の事など、ドーナツ店で話すことでも無いだろう。


 そう思いながら手続きをして、少しでも広くて清潔な所を……と考え、カップルシートに入ることにした。


「カップル……なんか、恥ずかしいね」


 そう言ってクスクス笑い彼女を見て、僕も言葉に詰まった。

 安西さんの健康的な可愛らしさとは対照的に、影がある大人びた美しさ。

 そんな子と……二人だけでこんな部屋に……


 その事実にかなり緊張しているのが分かった。

 これは……話を聞いて早く出なければ……


「あの……他は……大丈夫?」


 僕がそう言うと、彼女は小さく頷き袖をめくり、両腕を出した。

 すると、そこには青くなっている痣がいくつも点在していた。


「これは……酷い」


「嫌なの見せてご免なさい。昨夜、ずっと叩かれてて……頑張って抵抗したんだけど……」


 こんな目に遭っていたのか……

 そう思うと、酷い罪悪感を感じた。

 僕は俯いてその気分を誤魔化すように部屋を見回した。


「すぐに会えなくて済まなかった。本当に」


「いいの……だって、せっかく安西さんとの時間なんだもん」


 その言葉に全身から冷や汗が吹き出すのが分かった。

 名古屋……駅?

 と、言うより……見られた。


「……どうしたの? 私、家を出た後まず名古屋駅に行ったの。バイトの子達とも良くしゃべってたよ。気分変えるときは名古屋駅のショップを回る、って。知らなかったの? そしたら……楽しそうな二人を見て、邪魔しちゃ悪いな……って。それで金山駅に行ったの」


「あの……ゴメン。なんて言ったら……」


 だが、内海さんは優しく微笑みながら僕をじっと見た。


「気にしないで。私、何とも思ってない。だってチーフが楽しそうな顔見るのって、幸せだから。父に叩かれて怖かったけど、あの顔見て元気になれた……だから……」


 そう言いながら内海さんは泣き笑いの表情になって、顔を伏せた。


「でも……お話し……したかった」


 僕はすっかり混乱して彼女をじっと見ているしか出来なかった。

 内海さんへの嘘がバレた気まずさもだが……不安もあった。

 卑劣だと思う……だけど、僕の中に(もし、内海さんが僕と安西さんの事をしゃべったら)と言う気持ちもあった。


「あの……本当にゴメン……良かったら……お詫びが……したい」


 しどろもどろになりながらそう言うと、内海さんはゆっくりと顔を上げた。


「私……誰にも言わないよ。だってチーフが苦しむ顔とか見たくないもん」


「もちろん分かってる。ありがとう。でも、それとは別に……悪かったと思ってる」


「ううん、いいの。チーフの大切な時間は私にも……大切。じゃあ……お言葉に甘えてもいいかな?」


「もちろん」


「じゃあ……お詫びと思ってくれるなら……今度、一日お出かけしてくれる? 後、二人だけの時、私の事……鈴って呼んで」


 僕はホッとした。

 そんな事か……そのくらいなら。


「分かった、約束する。一緒に出かけよう。名前も了解」


 そう言うと、内海さんは目を潤ませてニッコリと笑った。


「……嬉しい。私はもうちょっとだけチーフって呼ぶね。まだ……名前は……恥ずかしいから。もう一個だけワガママ言っていい?」


「もちろん。それで気持ちが落ち着くなら」


 その直後、内海さん……鈴は小首をかしげると僕に近づいて……抱きついてきた。


「え……ちょ……それ」


「怖かった……ずっと。チーフが安西さんと居る間も……いいよね? ちょっとだけ甘えても」


 僕はマズい、と思いながらも鈴を引き離せなかった。

 彼女に嘘をついて、その時間に辛い目に遭わせたという罪悪感があったためだ。


「今……だけだよ」


「うん……今だけ……ギュッとして」


 鈴の言葉に僕は彼女の背中に手を回して、わずかに触れる程度だが抱きしめた。

 今日だけ……今だけだ。

 もう二度とこんな事はしない。

 絶対に。

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