小さな物音
突然の内海さんの変化は、刺激と変化に乏しいスーパーの青果売り場にあって、パートの女性を中心として話題のネタだったのだろう。
閉店間際のバックヤードでも持ちきりで、彼氏が出来たのか? と言う言葉にも内海さんは恥ずかしそうに微笑むばかりだった。
「あなた、そんなに可愛いのに彼氏に合わせなくてもいいって! 栗色も良かったのに~」
「すいません」
「私らに謝らなくていいって。でも、そう言う純粋なところがまた……可愛いのよね」
そう言ってニコニコするパートの女性達を僕は、何とも言えない気分で見ていた。
まさか……ね。
確かにあの夜、黒髪の人が好きとは言った。
でもあれはその場の雰囲気で言っただけだし、まして彼女は僕には興味なかったはずだ。
後、彼女は愛だ恋だと言ってる場合じゃ無い……
義理の父親からの……話のままなら身体的、性的虐待にもなりうる。
彼女からもっと話を聞いて、どうにか警察に行くように説得しないと。
そんな事を考えながら閉店の準備を終えて書類仕事に入る頃、他の社員やバイトは内海さんも含めてみんな帰っていった。
他のバイトの子達と話しながら帰る彼女を見て、僕はホッとした。
昨夜の辛そうな様子が見られなかったのもそうだが、出勤時の黒髪を見たとき……感じずにはいられなかった驚きが気のせいだったと思えたので。
自意識過剰だったな……
そう。
三十半ばのオッサンと、学校でも評判の美少女……美女と野獣どころじゃない。
……って、自分で言うなよ。
そう思いながら書類に集中していると、軽やかなノックの音がした。
まさか……安西さん?
心臓が高鳴るのを感じながら「どうぞ」と言うと、ドアが開き……そこには内海さんが恥ずかしそうに立っていた。
そして手には黄色いランチバッグを持っている。
「え? あ……お疲れ。どうしたの?」
戸惑う僕を見て、内海さんは恥ずかしそうに笑った。
「良かったら……どうぞ。お腹空いたよね? ちょっと休憩しよ」
そう言って、ランチバッグをテーブルの上に置いて、中身を出し始めた。
「根詰めると、身体壊しちゃう」
そう言いながら弁当箱を開けると、サンドイッチやハンバーグ、肉巻きポテトなどが入った見事としか言いようが無い中身だった。
「これ……君が? いや、ここまで凄いのは……」
「大丈夫。私も一緒に食べるから。食べきれなかったら明日のお弁当にしてあげるね。学校行く前に持ってってもいい?」
「え? いや……悪いよ。そこまでは大丈夫。君もキツイだろ」
「私は平気。聞いたよ。いっつもチーフ、売り場の総菜パンばっからしいじゃん。そんなの身体壊しちゃうし、絶対ヤダ……ね、いいよね」
突然、間近に彼女の顔が迫り、驚いたのもあってつい頷いてしまった。
「やった! じゃあ決まりね。後で個人のラインも教えて。売り場のグループラインなんかじゃないやつ」
「いや、それは流石にバイトの子には……」
「そっか……でも、助けてくれるんだよね? 父から。だったら売り場のグループラインで『助けて』って書けばいいの? そんなのヤダよ……」
「それは……」
「昨日の夜、ずっと守ってくれるって言ってもらえて嬉しかった。今までの人はみんな距離を置くか、お風呂の事を話した途端、私を……イヤらしい目で見る人ばかりだった。だから、ずっと一人で……淋しいし怖かった。いっそ居なくなっちゃえばいいのかな? って……その方が……いいんだよね」
「それはダメだ」
「だったら助けて。一人じゃないって教えて。いいよね、ラインくらい。お願いします、迷惑かけないから」
「……分かった」
そう言ってIDを教えると、内海さんは嬉しそうに交換した後、スマホの画面をじっと愛おしそうに眺めていた。
「あ、食べて食べて。これ、帰ってから作ったの。朝、結構作って置いたからすぐ準備できたんだ。全部チーフの好きな奴だよ。大変だったんだからね。パートのおば様達にそれとなく聞いて。私たちの関係がバレちゃったら、お仕事しにくくなるでしょ?」
「え? 関係……?」
「うん。チーフ、言ってくれたじゃん」
「ごめん、それ……なんの事……」
そう言いかけたとき。
僕の背後から「うわ! 凄い。何、その豪華なの」と安西さんの驚いた声が聞こえた。
「あ、お疲れ様」
ホッとしたのと、安西さんの顔を見られた嬉しさで思わず笑顔になってしまう。
「田辺君、なんなの。その超豪華なお弁当! 前、自炊とかしないって言ってなかったっけ? あ……ひょっとして……内海さんの!?」
「はい。そうです」
内海さんは嬉しそうに言った。
「安西さん、チーフが自炊しないって知ってたんですか?」
「うん。たまに飲みに行ったりするからさ。あ、変な意味じゃ無いよ。お仕事の事を話したりするのにね」
「へえ……いいな……大人の人って。私も好きな人と食事やお酒飲みに行きたいな」
「内海さん、凄く可愛いからいくらでも相手見つかるって。逆に選ぶのに悩むくらいじゃない?」
「そんな事……ふふっ、安西さんその気にさせるのすっごくお上手ですね」
「とんでもない。事実を言ってるだけ。でも本当に美味しそう……え? これ田辺君のために?」
怪訝な表情で話す安西さんに内海さんは慌てて両手を振る。
「まさか! 私、好きな人がいて……その人にお弁当作ってあげたいな……って。なので、チーフに味見してもらってたんです。……味付けとか初めて試すから」
「え~! じゃあ田辺君、毒味役じゃん。ウケる!」
そう言って楽しそうに笑う安西さんと内海さんに僕も笑顔になる。
そう……だったのか?
ま、そりゃそうだよね。
……ちょっとがっくりしたような……いや、でもかなりホッとした。
最初は驚いたけど、そういうことなら……
「あ、じゃあ良かったら三人で食べない。味見も違う好みの人がいた方がいいだろ」
「え!? いいんですかチーフ……」
「もちろん。ね、安西さん」
「うわあ……美味しそう。じゃあ早速……」
そう言うと、安西さんは給湯室から割り箸を持ってくると、ハンバーグを口に入れた。
「うわ! スッゴく美味しい! これ、毒味なんていらないよ。絶対、その彼も一発だって」
「そう……ですか?」
「もちろん。あ、これももらお。ゴメンね、私食いしんぼでさ」
そう言っていくつかのおかずを口に入れるのを、内海さんはニコニコと見ていたが、やがてハッとした表情になると時計を見た。
「ご免なさい! 門限忘れてました……早く帰らないと」
「うそ! ゴメンね、私邪魔しちゃった」
「内海さん、俺送ろうか?」
「大丈夫です。今から帰れば全然間に合うので。でも、お弁当はすいません。もう片付けないと」
内海さんは弁当を手早く包むとランチバッグに入れて、立ち上がった。
「じゃあ、お二人とも有り難うございました。それじゃ、失礼します」
そう言うと、ペコリと頭を下げていそいそと出て行った。
「……ほんと、いい子ね」
「まあ、そうですね。パートの人たちにも可愛がられてるし、バイトの男子からは……言わずもがなです」
「でしょうね~。あ~あ、羨ましい。私も生まれ変わったらあんな子になりたいな。才色兼備で性格も良いって……どんなチートなの」
「……安西さんも、負けてませんよ。絶対」
「おっ、中々恥ずかしいこと、サラッと言ってくれるね。じゃあ、そのお礼に……この前の映画の返事するね。……もちろん、よろしくお願いします。当然その後のコースも決めてくれてるんだよね?」
「……もちろんです! えっ、マジで……やった」
「ってか、あの映画私も楽しみだったんだ。ベッタベタなラブコメ大好きなの」
「だと思ってチョイスしたんです」
「え~! めっちゃ気が利くじゃん。じゃあ、早速予習しようよ。まだ時間ある? 原作小説の解説をしてあげよう。ああ……ここに、さっきの内海さんのお弁当あったらな……」
「確かに美味しかったけど、もっと気に入ってもらえる店、予約してるんですよ」
「わ……当日、待ちきれないかも。……さ、さ、こっち来て。まずは原作のレビュー見せてあげる」
そう言うと隣に座った安西さんに心臓が高鳴るのを感じながら彼女の見せるタブレットの画面を見たとき。
ことん。
小さい音が耳に入ってきたので、思わずドアの方を見た。
「……どうしたの?」
「あ……ちょっとすいません」
僕はそう言うと、ドアをそっと開けたがそこには誰もいなかった。
……気のせいか。
それから一時間ほど、安西さんと映画の原作小説の事を話していると、あっという間に時間が過ぎ、別れてから駐車場に向かう間も、まるでお風呂に入ったように身体がポカポカしていた。
今度の金曜……楽しみだな。
そんな事を考えながら歩いていたとき。
少し離れた道路脇で
「こら! 止めなさい! 落ちてるのなんか食べないの!」
と、必死にそう話す声が聞こえた。
何だ……?
ふと目をやると飼い犬だろうか。
地面に散らばった何かを必死に食べている犬を、飼い主らしき女性が必死にリードを引っ張って離そうとしている。
見ると、沢山の散らばっているようだが暗闇のためよく見えない。
ま、落ちた食べ物をジロジロ見るほど飢えてもいないけど。
可哀想に、手を滑らせて落っことしたかな。
僕はそれっきりその事は脳裏から消え去り、安西さんの教えてくれた原作のラブコメが投稿されているウェブ小説サイトを見てみようかな……と考えていた。
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