パラノイア

京野 薫

やっと、見つけた(前編)

「チーフ、お先に失礼します」


 閉店10分前から落ち着かなさげに時計を見続けていたバイトの男の子の声を聞きながら笑顔で頷いた僕は、売り上げの確認をする手を止めて軽く手を振った。


 それを見もせずに出て行こうとした彼は、足を止めると事務所の中に何度も目を向けると、おずおずと言った。

 僕ではない……僕の隣でお金を計算している、同じ高校に通っている彼女……内海鈴うつみすずに向かって。


「あ……内海……さん。帰らないの?」


 真剣な表情でお金を数えていた内海さんは、その声に僅かに眉をひそめると、近くのメモ用紙に何かを書きとめて、顔を上げた。


「ん~、ゴメンね山本君。これ終わったら、バックヤードのお掃除もあるから。いいよ、先帰ってて」


「え……でもさ、それって……内海さんのじゃ……」


 そう言いながら山本君は何か言いたげに僕の方をチラチラと見る。

 僕は内心ため息をついた。

 言いたい事は分かってるよ。


「あ……内海さん、いいよ後やっとくから。いつも有難う。でもそれ、僕の仕事だから」


 そう。

 僕……田辺真たなべまことの勤める某大型ショッピングモール内の青果部門。

 

 業務終了後の売り上げの確認や翌日の在庫確認はチーフである僕の仕事だ。

 バックヤードの掃除はそうでもないが、バイトの学生たちはそこまで意欲的ではないので、結果的に僕が毎晩やっている。

 もちろん手伝ってもらえるのはありがたいが、正直申し訳なさが先に立つ。


 だが、彼女はニッコリと笑うと、濡れた様な綺麗な栗色の髪を耳にかき上げながら首を振った。


「大丈夫です。私、こういう作業好きなので。それに……お一人だと大変ですよね。神経も使うし……山本君、有難う。これ、私が好きでやってる事だから。気にしないで」


 そう言ってニッコリと微笑む内海さんを見て、山本君は分かりやすく顔を紅潮させた。

 

 内海さんは、客観的に見て……綺麗だと思う。

 

 色素を抜いたような白い肌に、長いまつげを持つ大きなアーモンド型の瞳はつい視線を向けてしまう引力を持つ。

 16歳とは思えないくらいに大人びていながら、どこか幼さも残しているその雰囲気も彼女の魅力をより引き立たせていた。


「じゃあいいけど……あの、手伝えることがあったら言って……ってか、今度から俺も……」


「大丈夫だよ。私とチーフで出来るから……いつも有難う」


 優しい口調と表情……だがキッパリとした拒絶の意思。

 それに気付いたのか気付いてないのか、山本君は笑顔のままで内海さんに手を振ると、事務所を出て行った。


「……すいません、チーフ。お仕事邪魔しちゃって」


 そう言ってすまなそうに頭を下げる内海さんに僕は笑って手を振った。


「いいよ。君のせいじゃないだろ? 彼が君の手伝いをしたかったんだろうから。でも、モテる子は大変だね」


「え……そんな事ないです。私なんて、何も出来ないから……」


 そう言って俯く内海さんを僕は(またか……)と思いながら見る。

 容姿端麗で学業も学年上位に入るほど優秀。

 読者モデルとして雑誌にも載った事があり、高校入学の最初の年にはとあるウェブ小説で賞も取ったらしい。

 また、5歳からピアノも習っているのだとか。


 そんな話を他のバイトの子から聞くたびに、そんな漫画みたいな子は本当にいるんだな……と、ため息が出てしまう。

 なのに驚くくらいに自己評価が低い。

 なにがそうさせてるのか? と思うくらいに。


「そんな事ないだろう。みんな思ってるし僕もそうだけど、羨ましいよ」


「有難うございます。でも……チーフだって大学出られてから十五年……でしたっけ? ずっとお仕事頑張ってこられたんですよね。で、売り場で一番偉い方になって……尊敬してます」


「いやいや、こんなの長く続けてたら誰でもなれるよ。給料も安いから37になっても独身だし。君が将来結婚する相手には絶対オススメしないね。ショッピングモールの雇われチーフなんて」


「そんな……」


 そう言って恥ずかしそうに微笑む彼女を見ながら僕は給湯室からペットボトルのお茶とパートの女性のお土産の饅頭を持ってくると、二人で食べながら無言の時間を過ごした。


 もったいない。

 

 内海さんを見るといつもこの言葉が浮かんでしまう。

 もっと堂々としてたら交友関係だって広がるし、異性との交際も最上級の男子と……

 なのに、いつもバイトが終わるとこうやって僕の手伝いで遅くまで残り、他のバイトの子たちと関わろうとしない。


 時計を確認し、慌てて内海さんの顔を見た。


「ごめん、もう20時半。門限……21時だよね?」


「あ……」


 内海さんの顔が僅かにこわばった。

 彼女の家は門限に厳しく、21時までに帰れないと怒られるのだと言う。


 僕は慌てて車の鍵を出す。


「送っていくよ。歩きじゃ間に合わないだろ。それに……酷い雨だ」


「……すいません。どうしよう……」


 そう言って不安げに周囲を見回す内海さんに僕は笑って言った。


「いいよ、僕のせいにしよう。僕が無理言って手伝ってもらった、って話す。実際そうだしね」


「そんな……悪いです」


「大丈夫。こういう時は大人に甘えるもんだよ。それに時間を確認せずにお茶菓子とか進めたのも悪かった」


「いえ……すぐには……私も」


 彼女はいつも家に帰りたがらず、何だかんだと理由をつけては残っているし、バイトもほぼ毎日入っている。

 パートの女の人たちは「あなた、惚れられてるんじゃない?」とからかってくるが、そうでないのは一目瞭然で、彼女は家に帰りたくないのだ。


 難しい年頃だ。

 親の存在がわずらわしくもなるだろう。


 そう思いながら慌ててバッグなどを持つ内海さんに僕は驚いて言う。


「制服……そのままだよ?」


「お家に帰ってから着替えます。有難うございます」


 そう言ってペコリと頭を下げる彼女に驚きながら、僕は内海さんを車に乗せると社員用駐車場を出た。


 人生にはいくつもの分岐点があるという。

 それで言うなら、最初は間違いなくここだった。


 全ての破滅の最初の分岐点。

 彼女を家に送ったことがそれだった。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 内海さんの案内で家の前に着いた僕は思わず、目を見開いてしまった。


 そこはアパートだったのだ。

 しかも築20年は経っていそうな。

 勝手な想像だが、小奇麗な平屋建てをイメージしていたので驚いた。


「有難うございます、本当に助かりました」


 ペコリと頭を下げた彼女は、慌てた様子で車を降りて階段を駆け上がって行く。

 余程慌てていたのだろう、傘も差さずに走って行った。

 その様子を僕はポカンとしながら見送っていた。


 なんだ、ありゃ……

 制服も着替えず、傘も差さないくらいに動揺し焦っている。

 いくら娘が心配で門限を厳しくしている、と言ってもあんなにプレッシャーをかけているのは普通じゃない。


 思わず彼女が部屋に入った後もじっと見てしまったが、やがてため息をつくとペットボトルのブラックコーヒーを飲んだ。

 まあ、いくら考えても僕には関係無い事か……

 彼女がこの詳細を僕に話すことはないだろうし、僕がこれ以上深入りすることではない。


 そう思いながら車を出そうとしたとき、ふとスマホが点滅しているのが見えたのでスマホを確認した僕は、表情が緩むのを感じた。


 安西あんざいさん……


 それは同じショッピングモール内のテナントであるケーキ店で働いている安西桃香あんざいももかさんからだった。

 僕は心臓が心地よく高鳴るのを感じながら、ラインを確認する。


 彼女がラブコメが好きだというので、来週から上映するラブコメの映画に誘ったのだ。

 すると「有難うございます! まだ予定がハッキリしないけど、前向きに考えさせて下さい」と言う物だった。


 僕は顔が紅潮するのを感じ、笑顔になりながら慌てて「こっちこそ有難うございます! 返事は急がなくていいので」と返す。

 

 これは……脈ありか……

 

 気分が一気に上がった僕は車内で、そのまま安西さんからのラインを何回も見直し、高いテンションのままネットで映画の内容の事をあれこれ調べ始めた。


 そんな事をしているとあっという間に時間は経ち、ふと気付くとアパートの前に停めてから1時間は経っていた。


 しまった、ついうっかり……

 何やってんだか。これじゃ不審者だ。

 大雨でよかった、これならそこまで目立ってないだろう。

 

 せっかく安西さんといい感じのやり取りが出来たんだ。

 これから一週間の楽しみも出来た。

 こんな事で水を差されたくはない。


 そう思いながらシートベルトを締めようとした僕は、ふと目を向けたアパートの階段を誰かが駆け下りるのが目に入り……手を止めた。


 あれは……内海さん?


 酷い雨のためボンヤリとしているが、間違いなく内海さんだった。

 制服姿のままで傘も差さずに階段を駆け下りて来た彼女は、そのまま階段の裏に入るとしゃがみこんだまま動かない。


 驚いた僕は傘を持つと、急いで階段の下に駆け寄った。

 するとやはり内海さんだったが彼女は……泣いていた。

 ずぶ濡れでこっちに背中を向けて泣いている。


 そのただならぬ様子に戸惑いながら、僕はおずおずと声をかける。


「大……丈夫?」


 その声にビクッと背中をこわばらせた内海さんは、ゆっくりと振り返った。


「チーフ……なんで」


 その表情は恐怖と不安でこわばっている。

 だが、僕はそれに構わず言った。


「何かあった? 良かったら……教えて」


 内海さんは少しためらった後、首を横に振る。


「大丈夫です。家の……事なので。ちょっと、喧嘩しただけ……」


「いや、そんなずぶ濡れで家を飛び出すのは、ちょっとじゃないだろ」


「本当に……平気……」


 内海さんがそう行った時。

 上のドアが開く音が聞こえ、内海さんは弾かれるように僕の腕にしがみついた。

 その身体は酷く震えていたが、濡れたせいだけじゃないのは一目瞭然だった。

 そして彼女は小声でつぶやくように言う。


「車に……少しだけ、いいですか。やっぱり、無理」

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