第9話:ヴィーシャの買い物大作戦
帝国軍の首都、ベルン。その大通りは、戦時下の緊迫感とはかけ離れた、活気に満ちた市民の往来で溢れていた。ターニャ・デグレチャフ少佐は、公務のため、ヴィーシャ伍長を伴いこの街を訪れていた。今日の任務は、部隊で使用する新装備の調達と、来たる冬季戦に備えた物資の補充である。
「少佐、見てください!あそこのケーキ屋さん、新商品が出てます!」
任務の開始直後、ヴィーシャは早くも本来の目的から逸脱し、目を輝かせて街の片隅にある小さな菓子店を指差した。
ターニャは、ヴィーシャの思考回路を即座に解析する。
【警告】ターゲットの行動、逸脱。コード名:誘惑。
彼女の合理的な判断によれば、このような「寄り道」は極めて非効率的であり、任務遂行の遅延を招く。ターニャは、冷静な声でヴィーシャに告げた。
「ヴィーシャ伍長。任務の優先順位は、軍用品の調達にある。スイーツの探索は、無駄な資源の浪費であり、後回しにすべきである」
だが、ヴィーシャは怯まない。彼女は、スイーツ店のショーウィンドウに釘付けになったまま、必死に反論した。
「でも、少佐!このお店のケーキは、冬季限定なんです!今買わないと、次の出撃まで食べられないかもしれません!」
ターニャの脳内ログが、新たな警告を発する。
【警告】論理的思考、機能不全。原因:感傷主義。
ターニャは、ヴィーシャの言葉に呆れた。たかがケーキ一つで、任務の遂行が左右されるなど、合理的ではない。だが、彼女はヴィーシャの行動を、別の角度から分析することにした。
【記録】ヴィーシャ伍長の行動、多重分析開始。
ターニャの脳内では、ヴィーシャの「スイーツ探索」が、まるで軍事的な作戦のように変換されていく。
「この菓子店への立ち寄りは、敵性地域における情報収集任務である。ヴィーシャ伍長は、新商品の情報を得ることで、将来的に兵士の士気を高めるための戦略的データを収集している。その熱意は、敵の情報を探る斥候兵に匹敵する」
彼女は、ヴィーシャが店員と話している様子を、まるでスパイ活動の報告を受けているかのように真顔で観察する。ヴィーシャがケーキを指差し、身振り手振りで説明を聞いている様は、ターニャには、敵の新型兵器の仕様を尋ねる諜報員の姿に見えた。
「しかし、ヴィーシャ伍長。その任務は、非効率的である。なぜ、すべての種類を試食しようとするのか?」
ターニャが尋ねると、ヴィーシャは目を輝かせて言った。
「味を知らないと、どれが一番美味しいか分かりませんから!」
ターニャは、内心で舌打ちをした。
【警告】資源の無駄遣い。コード名:味覚探求。
だが、その瞬間、彼女は別の可能性に思い至った。
「……まて。この味覚探求は、実は、味という『非論理的な資源』が、兵士の士気という『軍事的な成果』にいかに影響するかを調べる、一種の人体実験ではないのか?」
ターニャは、ヴィーシャを被験者と見なし、その行動を記録することにした。
【記録】実験開始。被験者:ヴィーシャ伍長。仮説:糖分摂取は短期的な戦闘意欲を向上させる。
ヴィーシャは、任務よりもスイーツに夢中だったが、ターニャの監視下で、驚くべき効率性で街中の菓子店を巡り始めた。彼女は、地図に店の位置をマークし、行軍速度を最適化し、補給経路を確立するかのように、効率的なルートで店を回った。
【記録】被験者の行動パターンは、驚くべき最適化を示している。
ターニャは、その様子を観察しながら、内心で感心していた。
「全く……非合理的な情熱が、これほどの効率性を生み出すとはな。ヴィーシャ伍長は、優秀な兵士である。甘味という名の精神的な補給物資を調達する、優れた兵站将校となりうる」
最終的に、ヴィーシャは軍用品の調達任務を完璧にこなし、さらに大量のスイーツを買い込んだ。帰りの道中、ヴィーシャは幸せそうにケーキの入った箱を抱えていた。
「少佐、任務、無事に完了です!」
ヴィーシャが笑顔で報告する。ターニャは、その完璧な任務遂行能力と、スイーツへの執着という矛盾に満ちた部下を見て、皮肉な笑みを浮かべた。
「ふむ。この任務は、二重の目的を達成した。軍用品の調達と……甘味という、不可解な兵器の性能評価である」
ターニャは、今日の出来事を、業務日誌に詳細に書き記した。
「まったく、軍事理論書には決して載らない兵器だがな」
彼女の戦いは、今日も、兵站の理論を巡って続くのである。
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