第5話:おやつをめぐる戦争

平穏な午後、第二〇三航空魔導大隊の兵舎に、一つの光が差し込んだ。補給部隊から届けられた物資の箱の中に、それは鎮座していた。カカオ豆を加工して作られた、貴重な嗜好品。チョコレートである。


「うおお!マジかよ!?」


「やった!久しぶりだぜ!」


兵士たちの間に歓喜の声が上がる。包装紙を破った瞬間、ほのかな甘い香りが兵舎を満たし、疲労した兵士たちの表情を緩ませた。だが、その喜びは長くは続かなかった。数が限られた貴重な資源を前にして、たちまち小競り合いが始まった。


「おい、俺の方が先に手を伸ばしたんだぞ!」


「いや、俺の小隊の方が貢献度が高い!」


揉み合いになり、喧嘩腰になる者まで現れた。その光景を、ターニャ・デグレチャフ少佐は遠巻きに観察していた。彼女の脳内で、この事象は即座に解析される。


【記録】部隊内紛争、発生。原因:希少資源の配分を巡る利害対立。


ターニャは小さくため息をついた。これは、歴史上繰り返されてきた愚行である。資源の不足が、集団の秩序を乱し、内紛を引き起こす。彼女は、この状況を静観し、兵士たちの行動原理を分析することにした。


【記録】チョコレートはただの甘味ではない。兵士の心を制御する、戦略的資源である。


「はいはい、皆さん落ち着いてください!」


困ったように仲裁に入ったのは、ヴィーシャ伍長である。彼女は、兵士たちからチョコレートの入った箱を受け取ると、慎重に、そして公平に、一つずつ分け始めた。


ターニャの脳内ログに、新たな警告が表示される。


【警告】未知の統治理論、確認。コード名:平等主義。


「ヴィーシャ伍長は、愚かな試みをしている」


ターニャは内心でそう呟いた。


「資源を均等に分配することで、内紛のリスクを最小化しようという、安直な発想である。だが、それでは競争原理が働かず、生産性は上がらない。個人の能力や貢献度を無視し、非合理的な『平等』を追求する。これは、軍事的には極めて危険な思想である!」


彼女の思考は、国家の統治理論へと連想を拡大していく。


「兵士の胃袋を制する者は戦争を制す、という格言がある。兵站とは、常に効率性と合理性を最優先すべきだ。だが、この平等主義は、集団の活力を奪う。個々が最大限の能力を発揮しようという動機が失われ、やがて組織全体が停滞する。ヴィーシャ伍長は、善意でそうしているのだろうが、その行為は、長期的には部隊の弱体化を招く」


ターニャは、この「不穏な実験」を記録することにした。


【記録】ヴィーシャ伍長の行動、評価開始。効率性:低。リスク:高。


ヴィーシャは、全員に一つずつチョコレートを配り終えた。彼女の手元には、もう何も残っていない。


「これで、皆さんに平等に行き渡りました!」


ヴィーシャが笑顔で言うと、兵士たちは皆、笑顔で感謝を述べた。


「ありがとう、ヴィーシャ!」


「助かったぜ!」


ターニャは、その光景を冷めた目で見ていた。彼らは、ヴィーシャという名の「共産主義者」に資源を委ね、自らの努力を放棄した。そして、一時的な満足感に浸っている。


「幸福?それは資源の浪費に自己満足を上塗りしただけの、甘美な毒である」


ターニャは内心でそう皮肉った。


【記録】実験結果、仮説検証。平等主義は、一時的な安寧をもたらす。しかし、真の士気の向上には繋がらない。


ターニャは、ヴィーシャに近づいた。


「ヴィーシャ伍長。その公正な資源分配、見事である。だが、それは『公正』に見せかけた、最も非効率的な配分である」


「え……?」


ヴィーシャが困惑する。


「真の効率性とは、優秀な者に資源を集中させ、最大限の成果を上げることだ。無能な者に資源を配分することは、国庫を浪費するに等しい」


ターニャは、いつものように真顔で、そう言ってのけた。ヴィーシャは、自分が皆を笑顔にしたという事実と、ターニャの冷徹な分析との間で、思考が停止していた。


「ですが……少佐。皆が笑顔でしたよ?」


ヴィーシャが、おずおずと反論する。ターニャは、その言葉に眉をひそめた。


【警告】未知の価値観、検出。コード名:幸福。解析不能。


ターニャの合理主義に、また新たな「敵」が立ちはだかった。彼女は、ヴィーシャの無邪気な笑顔がもたらす、非合理的な幸福という現象を、どうにかして論理的に解明しようと試み始めた。


「幸福……ふむ。この感情は、軍事的な士気の向上に寄与する可能性がある。非効率だが、利用価値があるかもしれん。……まさかチョコまで神学兵器にするとはな」


ターニャは、自身の思考に苛立ちを感じながら、新たな戦いの準備を進めるのであった。

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