第3話:ゼートゥーア vs ターニャ、将棋対決

軍務省の会議室には、重厚な沈黙が満ちていた。帝国軍の未来を左右する重大な軍議が終わり、ゼートゥーア中将がターニャ・デグレチャフ少佐に静かに声をかけた。


「ターニャ少佐。たまには息抜きも必要だろう。どうだ、一局」


そう言って、ゼートゥーアは将棋盤を目の前に置いた。ターニャは一瞬、眉をひそめている。趣味としての将棋には興味がない。だが、目の前の盤面は、彼女の脳内で即座に別の意味を持つ。


【記録】将棋盤、確認。これは遊戯ではない。知性を持つ敵との仮想戦闘シミュレーションである。


ゼートゥーア中将。この男は、帝国の知性そのものである。彼との一局は、未来の仮想敵国との将棋戦……いや、盤上戦を意味する。


「謹んでお受けします」


ターニャは厳かにそう答えた。ゼートゥーアはにこやかに駒を並べる。その無造作な手が、ターニャにはまるで敵性部隊の配置図を記しているように見えた。


「先手は私でいいか?」


「ご随意に」


ゼートゥーアが最初に動かしたのは、飛車の前の歩である。カチッという軽やかな音を立て、駒が盤に置かれる。


【記録】敵、前線に歩兵部隊を配置。奇襲に備え、警戒態勢に移行。


ターニャは自らの飛車を動かす。飛車は、遠距離から敵を攻撃する「航空魔導師部隊」を意味する。


【記録】我が航空魔導師部隊、戦線に展開。敵の後方兵站を脅威に晒す。


対するゼートゥーアは、角行を動かした。斜めに進むその動きは、ターニャの目には奇妙に映った。


「……奇妙な動きですね。まさか、内乱を想定しているのでしょうか?」


ターニャは真顔で尋ねた。ゼートゥーアは困惑したように首を傾げる。


「いや、単なる定石だ」


ターニャの脳内ログが、さらに暴走を始める。


【記録】敵の欺瞞作戦。この動きは、定石と見せかけた罠に違いない。目的は、我の司令部を無防備に誘い出すことか?


二人の対局は、静かに、しかしターニャの脳内では激しく進行していく。互いの駒がぶつかり合う音は、彼女にはまるで戦場での銃撃音のように聞こえた。


ゼートゥーアが金将を動かした。それは、ターニャの王将……すなわち彼女の司令部を、直接的に脅かす動きであった。


【警告】敵、強力な装甲部隊を前進。我が司令部に直接的な脅威。


「ターニャ少佐。ずいぶんと守りが固いな」


ゼートゥーアは穏やかな口調で言った。だが、ターニャはそれに同意しない。


「軍の要は、防御ではなく攻撃にある。私は、我が部隊の攻撃力を最大限に活かす配置を……」


彼女は、銀将と桂馬を連携させて、ゼートゥーアの金将を包囲するような動きを見せた。


【記録】包囲殲滅作戦、開始。敵装甲部隊を孤立させ、航空魔導師部隊で一網打尽にせよ。


ゼートゥーアは一歩も引かず、飛車を動かす。


「それでは……少佐」


その瞬間、ターニャの思考は極限まで加速した。ゼートゥーアの飛車は、直線的な動きで盤上を縦横無尽に駆ける。それは、彼女の脳内では、装甲列車による奇襲、あるいは高速で進撃する敵の主力部隊を意味していた。


【警告】敵の主力部隊が、補給路に到達。我が航空魔導師部隊、戦術的に孤立。


その絶望的な状況を前に、ターニャの脳内ログはエラーを吐き出す。彼女の額に冷や汗が滲んだ。


【警告】状況、解析不能。この動きは、将棋のルールを超越している……いや、この男の戦略が、私の将棋の常識を覆しているのか!?


ゼートゥーアは静かに、将棋の駒を一つ、動かした。


「参ったか、少佐」


ターニャは、将棋盤をじっと見つめていた。ゼートゥーアの勝利は、もはや揺るがない。彼女は敗北を認めざるを得なかった。


「……私の負けです、中将」


ターニャは静かに頭を下げた。だが、彼女の脳内では、敗北の事後報告がすでに始まっている。


【記録】本日の演習結果:完全敗北。原因:仮想敵の知性評価を過小評価したこと。


彼女は、将棋盤を片付けるゼートゥーアに、真顔で尋ねた。


「……中将。なぜ、金将を動かした後に、飛車を動かしたのですか?金将で包囲網を築く私の意図は読めていたはず。なぜ、そのリスクを冒したのですか?」


ゼートゥーアは、ターニャの質問に微笑んだ。


「なに、ただの気まぐれだ。たまには、定石を外すのも面白い」


「気まぐれ……」


ターニャの脳内ログが、エラーを吐き出す。


【警告】未知の思考パターン、検出。コード名:気まぐれ。解析不能。


ターニャは、未だ解析できないゼートゥーアの戦術に、敗北を噛みしめるのであった。

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