第2話:ヴィーシャ、料理長になる?

兵舎の食堂に、いつもとは異なる香りが漂っていた。肉を炒める香ばしい匂いと、バターが溶ける甘い匂い。それらが熱気と混ざり合い、兵士たちの胃袋を内側から刺激する。今日、第二〇三航空魔導大隊の食卓は、ヴィーシャ伍長の指揮の下、特別仕様となっていた。


ヴィーシャが「皆さんのために、手作り料理を振る舞います!」と笑顔で宣言した時、隊員たちの間には期待と、わずかな不安が入り混じった空気が流れた。ターニャもまた、この不確定要素を警戒している。しかし、目の前に差し出された皿は、彼女の警戒を瞬時に「懸念」へと引き上げた。


分厚い肉の塊、たっぷりのジャガイモ、そして上から惜しみなくかけられた、見るからに濃厚なソース。それを前に、ターニャの手に持ったスプーンは、不釣合いなほどに大きく見えた。


ターニャの脳内で、即座に栄養価の解析が始まる。


【警告】カロリー過剰摂取。これは人間が摂取する燃料ではない。重戦車に供給されるであろう、極めて非効率的な燃料システムである。


ヴィーシャは満面の笑みで言った。


「戦場で疲れた皆さんのために、栄養満点のメニューにしました!」


ターニャの額に、わずかに青筋が浮かび上がった。ヴィーシャの善意が、ターニャの合理主義を激しく揺さぶる。


「ヴィーシャ伍長。この食事は、一日あたりに必要なカロリーを優に超過している。これは、軍事的には愚行に等しい」


ターニャは、あくまで冷静な声でそう告げた。だが、ヴィーシャは首を傾げる。


「え、でも……皆、美味しいって言ってくれてますよ?」


周囲を見渡すと、隊員たちは無我夢中で料理を食べていた。


「少佐、これは戦術評価じゃなくて食事評価ですよ……」


ヴァイス中尉が、小声で呟いた。だが、ターニャはまるで聞こえていないかのように、それを無視する。彼女の思考はさらに加速する。


【記録】敵性物質を具現化。肉=敵の強固な防御陣地。ジャガイモ=弾薬庫。バター=爆薬。ソース=粘着性の罠。


彼女の頭の中で、ヴィーシャの料理が戦術マップに変換されていく。


「私はこの戦略に反対である。補給資源は、必要な時に必要なだけ供給されるべきだ。過剰な供給は、敵に弱点を晒すことにつながる」


ターニャは真顔で、スプーンを置いた。その視線は、皿の上の「敵性物質」を冷徹に見据えている。


ヴィーシャは、困惑した表情で尋ねた。


「あの……少佐も、食べてみませんか?」


ターニャはゆっくりとスプーンを手に取った。彼女の脳内では、葛藤が渦巻いている。この味覚は、非合理的な感情に訴えかける「快楽」という名の毒薬だ。それを摂取すれば、合理的な判断力が鈍る可能性がある。


【記録】解析開始。これは、危険な賭けである。しかし、敵の動向を知るには、自らその毒を試す必要がある。


覚悟を決め、ターニャは一口食べた。バターの香ばしい風味が口の中に広がり、柔らかく煮込まれた肉が舌の上でとろける。その瞬間、ターニャの脳内ログに、新たな警告が表示された。


【警告】味覚摂取。思考論理、汚染されました。


「どうですか、少佐……?」


ヴィーシャが不安そうに問いかける。ターニャは、無言でスプーンを二度、三度と動かした。彼女の顔には、一切の感情が見られない。


【記録】この味は危険だ。私の論理的判断を揺るがす兵器である。


ターニャは真顔で、その恐ろしい「兵器」を食べ続けた。その姿は、まるで敵の兵器の性能を確かめるため、自らその攻撃を耐え抜いているかのようであった。


「……ご馳走様でした。ヴィーシャ伍長。この料理……栄養管理の観点から、大いに問題がある。この問題は、早急に解決せねばならない」


ターニャは立ち上がり、静かに食堂を出ていった。残されたヴィーシャと隊員たちは、顔を見合わせて首を傾げるばかりであった。


ターニャの脳内では、新たな作戦の構築が始まっていた。


【記録】作戦名:ヴィーシャ伍長の栄養管理。目標:効率的な食料供給システムの再構築。


彼女の合理主義は、今日もまた、平和な日常の前に立ちはだかる。しかし、その内面では、新たな問題が生まれていた。


【記録】敵性兵器(料理)を摂取したことによる、私の身体の反応を解析中。熱量の過剰供給により、パフォーマンスが一時的に低下。疲労感が緩和され、幸福感が……待て。この感情はなんだ?


ターニャは歩きながら、眉をひそめた。彼女の合理的な思考回路が、ヴィーシャの料理によってもたらされた「幸福感」という、まったく未知の要素に直面していた。


【警告】未知の感情値、検出。再解析、必須。


「……ふむ。この感情は、軍事的な士気の向上に繋がる可能性がある。非効率だが、利用価値があるかもしれない」


ターニャは一人で結論を出し、その日の業務日誌に新たな課題を書き加えた。「ヴィーシャの料理がもたらす士気向上効果と、その非合理性の相関関係についての研究」。彼女の新たな戦いは、すでに始まっていた。

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