【短編】美術品の見る夢

 ノニの目の前には両開きのドアが描かれた油絵がかけられている。個人の所蔵品を公開しているような、小規模の美術館だ。品物としては特定の作家が多い。

 薄暗い美術館で絵をより良く見せるためだろうか、ライトが個別に当てられているのだが、それがどうも物悲しい。建物も何もない場所に何故か閉じたドアだけが描かれたその絵に対し、その場にこれを開けたい、開いて欲しい、という欲求が集まっているのだけは感じる。その理由が分からないのだが、この欲求はどうやらこの美術館に集められた美術品達の願いのようなものだというのが、ノニには理解出来た。

「ドアが開けば帰ることが出来る……のか?」

「絵のドアが開くわけねェだろ。」

 ノニの呟きに対して肩に蛇の姿で乗っているセジュラがあっさりと否定する。その物言いには引っかかったが、内容にノニは同意した。

「えっ、でも前に絵から異界に行けたのに?」

 近くにいたセンムが当然の疑問符を投げて来ることに、ノニは絵から視線を外して振り返って顔を見る。金の髪と碧の瞳は薄暗い中でも美術品に当たるスポットライトが反射して光り、彼自身も美術品のようだった。

「道があれば絵から異界には行けるが、絵に描かれたドアが開くわけじゃない。」

 ノニはそう言って肩をすくめる。絵を変化させる怪異はそれなりに存在するが、それは単にイタズラをしているレベルであって、絵の変化が現世へ影響する、つまりドアが開くことで異界に通じる道が開くわけではない。

「鏡や絵が分かりやすく異界を映す分、道が開きやすいのはそりゃそうだけどなァ。」

 セジュラはそう言って珍しく小さな鳥の姿になって細かな羽音を響かせながら絵の傍へ寄って行き、それから少し大きなオウムの姿になってノニの肩に舞い戻って来た。

「でも『このドアが開けば帰れる』ってのが、ここの連中の共通認識みてェだなァ。何だ、ドアが開くって?」

「モデルになった場所があるんじゃないかな?」

 センムが絵の近くまで寄って来てそう言い、首を傾げる。

「この何もない場所に置かれたドアにモデルがあるか? 普通こんなところに両開きのドアはないぞ。」

「レトロなフィクションアニメ作品で確か見たよ。」

「あれはああいう道具であって、モデルとなる場所ではないだろ。」

 そう言って否定しながら、その道具をモデルにして作った場所があるかもしれないとノニは思い直して、また絵に向き直る。そういう風に思えば、想像で描いた絵というよりは何かを写し取った絵のようにも見えた。

「本当に本物がどこかにあるのか? 開けば『帰ることが出来る』ドアが……」

 ノニがそう問うても、ここにある物品達の具体的な声は聞こえない。ドアを開けたいという願いのみがその絵に集中している。

 そこでノニは依頼内容を思い出してみる。夜な夜な絵のドアが開く、という話で、最初の段階で今と同様「それはない」と否定したのだが、絵を変える怪異は一応存在するのだ。ただしその場合、美術館など夜に人のいない場所で発生するのは非常に珍しい、というかあり得ない。彼ら……主に狐狸の類いではあるが、その目的は大衆の驚きや恐怖であり、誰も見ていないところでそんなイタズラをする意味がない。練習するのでさえ度胸試しとして人前でやる連中である。

「でもここの美術品達には、『帰りたいと願う場所』があるんだね。色々なところから集められているのに、このドアが全てに通じていると信じているんだ。」

 その言葉にノニはもう一度振り返る。センムがクリアケースに収められた美術品を見つめながら、ふと顔を上げた。

「一度、開くところを見たのかな?」

 センムが尋ねて来る言葉の意味が分からず、ノニとセジュラは首を微かに傾げて黙り、センムを見つめる。

「希望……それが起こりえない奇跡であっても、一度起こってしまえば次を願うものだと僕は思うよ。一度ドアが開いて『帰ったモノ』がいたんじゃないかって僕は思う。」

 そこでノニは「ああ」と頷いた。

「分かった、以前の盗難、狐狸を使って絵を変えて警備員を騙してから盗んだのかもしれない。」

「タチ悪りいなァ。つーことは、ここの連中はその時に見せられた希望を夢に見てるってわけかァ。」

 ここの美術品達はその瞬間に希望を見てしまったのだ。ドアが開いた時に消えた同胞を見て、感じて、ドアが開くことで『帰ることが出来る』と勘違いした。否、騙されてしまった。

「ものであっても、騙されて、願いを持って、夢を見るんだね。」

 美術品を見回しながらセンムが呟いた言葉に、ノニはため息を吐く。

「付喪神も百鬼夜行も、全てのモノがそうなるわけじゃない。ただここは、作った人間が恐らくそういう思念を込めることが出来たんだと思う。」

「これだけの数のモノが自我を持って見る夢は、そりゃ幻覚も生むだろうしなァ。」

 絵の中でドアが夜な夜な開く光景というのは、この場にある美術品達が見る夢に人間が巻き込まれてしまうからこそ、同じ夢を見るのだろうとノニは考える。

「まいったな……これを説明するには『盗難に遭った品物の呪い』くらいしか思いつかないぞ。」

「まあそれがさっさと戻って来て、他の連中に経緯を説明するのが一番だろうなァ。まあ純金キャンバスにレーザー彫金絵ってのは、もう形があるかも怪しいけどよォ……」

 ノニは「うーん」と唸ってから、センムを見つめる。センムはそれに首を傾げてから周囲を見回して、何度か頷いた。

「危険がないなら、それを売りにしちゃえばいいんじゃないかな。オーナーさんはこの作家が好きみたいだし、そういう逸話があるとかいわくがあれば乗ると思うよ。」

 さすが大企業の広報担当だけあり、センムの頭の回転は速い。ノニが思い返してみても、オーナー自身も解決よりは状況を知りたいような話ではあったし、作家の性質として美術館の目玉に出来れば喜ぶだろう。

「それでいくしかないな……」

 ノニがそう返事をすると、センムはまた何か思うところがあるように美術品を見回している。

「さっきから何だ? 何か気になることがあるのか?」

 純粋に不思議に思ってノニが尋ねると、センムはノニの方へ視線を向ける。

「これだけあるのに、みんな願いは『帰りたい』なんだなあ、と思ったんだ。」

 少し抽象的になってしまっていることに自分で気付いたのか、センムは「ええと」と繋ぎの言葉を発してから続きを話そうと唇を開く。

「美術品じゃなくて、この作家さんがどこかへ帰りたかったのかなあって、そう思うんだよね。ずっとそれを考えて作品を作っていたのかもしれない。」

 この作家は生きている年代はノニとは被っていないが、それほど大昔というわけではない。監視カメラやGPSといった技術が既に多くあったにも関わらず、度々行方不明になっていた時期はあり、その記録が残っていて好事家の間ではネタにされるほどには知れた話だ。

 ノニは異界に好んで出入りする人間がそれなりに存在することをふと思い出し、この美術品達に使われた素材が本当に現世のものだけなのかに何となく疑念が湧いて、少しだけ背筋が震えるような感覚を味わった。



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