【短編】執着の亡霊

 この街はどこも整然とはしているが、大昔のスラムじみたところはまだ残っている。商店街らしき門構えは美観を保ちながら、奥へ入ると薄暗い路地と生産中止になった中の電灯が切れたネオン、様々な言語の看板が並ぶ古びた店が並んでいて、普通の人間は奥へ入らない。この場所そのものがもはや半分異界と化していて、この街の住人の大半には視覚には入っていても「見えない」のかもしれない。

 路地に溜まって遊戯盤を広げている老人に混ざって、セジュラが白い狸のような姿で一緒に遊んでいるのを横目に見ながら、ノニは店の奥で馴染みの中年の女性店員が茶葉を混ぜてくれるのを座って待っている。混ぜるだけなので自分でも出来るのだが、数種類の茶葉を持ち歩くよりは混ぜておいてティーバッグにしておいて貰った方が助かるのだ。

「ごめんねえ、おばあちゃんが入院してるから、時間かかっちゃって。」

 ここの今の店主は彼女の夫ではあるが仕入れ業務が主で、基本的にいつも店を回しているのはその夫の祖母と彼女なので、ノニは信用している。

「いいよ。おばあちゃん大丈夫そう?」

「ちょっと腰やっちゃっただけだけど、まあもう歳だし、私もさすがにこれに慣れないといけないわねえ。」

 そう言いながら女性は茶葉やハーブ、細かなドライフルーツを店頭の天板に並べている。ノニの頼んだ分はまだ後になりそうだ。表ではセジュラが勝負に勝ったらしく、サラミを一本貰っている。

 この店の老婦人は常連客の顔を見ただけで、注文するものを把握していた。それがいつも頼むものだけではなく、たまに飲んでみようか、頼んでみようかと考えているものも試飲を勧めて来るということも多かった。恐らく病魔か何かが見えていたか、客の背後にいる守護霊のようなものが何かを伝えていたのか、そういう話だとは思っているが、ノニは確かめたことはない。

 いつも店の隅に立っている顔の見えない黒いフードかマントを被っているモノは、老婦人が事故に遭って生命が危うい時にはいなかったので、今回は女性の言う通り腰を痛めただけですぐに帰って来そうなのは安心出来る。

「たぶんまだ元気だと思うよ。教えて貰っておけばいいと思う。」

「教わってはいるけど、さすがにおばあちゃんみたいには出来そうもないわ。人が入って来た瞬間にもう棚の方に動いているんだもの。」

 ノニは何となくフードの存在を見つめ、そして恐らくそれは男性であることが分かった。老婦人の亡くなった夫は恰幅が良かったのでその存在とは似ても似つかず、どうも違うもののように思う。

 ノニの目は昔からノニ自身の性質もあると思うが、異界の存在を単にフラットに映すだけだ。そもそも世界自体も個人によって見えるものが違うし、それは異界であってもそう変わりない。この店の隅の男も、知っている人間が見れば顔や素性が分かるのだろう。

 その違いこそが、人によって特定の個人の幽霊を見るということに繋がっていき、こういった特定の場所にいるモノの顔が分かり、「知り合ってしまう」という縁がこの世と異界を地続きのものとして繋げるのだ。

 ノニがそんなことを考えていると、セジュラがサラミを咥えて犬の姿で店内に入って来た。今日はブラッシングをしたので毛は抜けないと思うが、ノニは立ち上がって入口でセジュラを制止して押し戻す。不服そうに鼻からため息を吐いて、セジュラは大きな爬虫類の姿になってノニの腕を登り、肩にのっしりと留まった。わざと重量のある姿になっていることにノニはうんざりしながら、サラミくさいその顔を見る。

「まだかかるから、じいさん達と遊んでていいぞ。」

「だってもう何も持ってねェっていうからさァ、今日はこのへんで勘弁しとくわァ。」

 老人達に賭けるものがなくなったらしく、セジュラは興味を失ったようだ。決してゲームが強いわけでもないが、セジュラは相手が賭けるものがない時に遊興には乗らない。それは単に「人間の願いを叶える」過程で贄やお供えが必要な存在だからだ。

「別に賭けなくてもサラミを貰ったんだからいいだろ。」

「オレ、ポークピカタ食いたァい。」

「また微妙に食べられるところが少ないものを……」

 ノニは仕方なく女性に向き直って声をかける。

「ごめん、明日の昼頃にまた受け取りに来るから頼むよ。」

 女性はノニの依頼に「申し訳ないねえ」と応じた。そのまま入口前にいる老人達に声を掛け、ノニは古びた古い路地裏を歩き始める。

 路地裏にはそこかしこにヒトかどうか分からないモノや、尾が多い猫などもちらほらいるのだが、大抵の人間には見えないのだろう。ノニが特に何もしなければ、向こうも何かして来ることもない。

「そういえば、まだあの客いたなァ。」

 セジュラがぽつりと呟いた言葉に、ノニは数秒考えたが、ふと思い当たってセジュラの方へ視線を向ける。

「あれ、客なのか? 何年もいるが……」

「茶の方の客じゃねえとは思うぜ。ばーさんの昔の客か男か、何かそんな感じ。」

 ノニはまた少し考えて、それから眉を上げる。

「ひょっとして『茶屋』って元々そっちだったのか?」

 あの店の老婦人の年齢は分からないが、白寿を越えていると言われれば納得しそうな風貌でもあるし、まだ歳若いと言われればそうともいえる。

「それにしては変なのはあれぐらいしかいないぞ。昔行ったところはもっと情念の気配みたいなものがたくさんあった。」

 そこでセジュラが肩から下りて犬の姿になり、座り込んで後ろ脚で首をかく仕草をしてから少し遅れてノニの後ろにやって来た。

「客ではあるが、何かもうちょっとややこしい感じではあるなァ。あそこのばーさんは歳いってるからもう片足くらい怪異に突っ込んでるが、あの客だけは見えねェみたいだし。」

 あれだけはっきり見えていて、しかも年単位で同じ場所にいるようなモノが店の老婦人が見えていないはずはないとノニは思ったが、だからこそセジュラの言うように「ややこしい」のかもしれないと思い直す。

「昔ばーさんを捨てたンじゃねーかなァ。ばーさんが存在ごと記憶から切り捨てて、今なお存在をシカトしてるっつーか……」

 セジュラがそこまで人間の情念を想像出来ることにノニは驚いたが、同時に首を傾げる。相手が亡くなっていれば話としては分かるのだが、あまり納得はいかない。

「捨てた相手の店に死んでから年単位で立っているのか? 長い人生もあっただろうに、忘れもせずに今更?」

 ノニが尋ねると、セジュラは「クッ」と笑った。

「色んなモンを捨てて来た人間は、自分で捨てたくせに未練がましく思い出して執着すンだよなァ。」

 そう言って楽しそうに駆け出し、セジュラはノニの周りを一周してから犬のようにぐるりと足元に巻き付いた。

「晩年誰も周りにいなかったヤツや、看取って貰えなかったヤツは特にだ。昔捨てた相手が、今もおんなじように自分を想っていると思い込んじまう。」

 ノニはセジュラを見下ろして「ちゃんと歩け」と言ってから、息を吐いた。そういう話なら、あの店の老婦人が事故に遭った時にいなかったことの説明がつく。

「じゃあおばあちゃんが死んだら、一緒に連れて行くのか?」

 その言葉にセジュラはまた「クククッ」と笑う。

「いいや。あの客はなァ、自分が捨てた時の『若くて綺麗な時のばーさん』をずっと探してっから、魂全部縛られて、永遠にあそこに立つだろうなァ。」

 セジュラは楽しそうにそう言って、ノニから離れて路地を歩き出す。これがこの獣の性質なのをノニはよく知ってはいるが、あまり他人に聞かれると困るな、と思った。



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