【街】 7-②

 商品が何もない不思議な露店を何者もが素通りする最中、台の上に乗っていた真っ黒な一本足のカラスを見つけ、ノニはその前で立ち止まる。

「……人間の影はあるか?」

 カラスが顔を上げ、一ツ目をぎょろりと開いてノニを見る。間違いない、この店の店主だ。

「おや、この店の客はいつもは決まってるんだがネ。入ってるよ、極上だ。何せ御城のお坊ちゃんのだからネ。」

 返答を聞いた瞬間、ノニはバックパックを背から下ろして「いくらだ?」と聞いた。イリセはぎょっとした顔でノニを振り返る。

「売ってもいいけど、持ち運べるのかネ?」

「別に運ばなくていい、こいつに戻すだけだからね。いくらだ。」

 カラスはイリセの顔を見て、「アア、アア」と本物のカラスのような不気味な鳴き声を出した。

「白金6枚さ、盗品で元の持ち主とはいえまからないよ。」

 そう言われた瞬間に、ノニは先ほどの金よりも小さい白金の薄い延べ棒を6枚バックパックから取り出して叩きつけるように台の上に並べる。隣でイリセが短く悲鳴のような声を上げてから「ノニくん、そんな」と泣きそうな声で首を振った。台の下からずるりと黒い腕が二本伸びて両手で白金に触れたところで、ノニはバックパックから取り出した朱塗りの複雑な形状をした棒でその上からトンッと音を立てて押さえる。恐らくはこれが店主の本体だ。

「本物なのは見れば分かるだろう。商品を見せろ。」

 一ツ目のカラスがため息を吐くように「はあ」と呟いてからごそごそと揺れるように動くと、ノニが押さえているものではない黒い腕がもう一本伸びて来て、大きめの卵のような真っ黒い玉を差し出した。薄いガラス製の皮膜のような容器の中に真っ黒なものが閉じ込められてぐるぐると動いている。

「イリセ、座敷童が頷いたら受け取るんだ。」

 ノニが言った言葉にイリセは肩の座敷童を抱き下ろし、確認するようにその顔を見た。座敷童は何度も頷いて早く受け取れとでも言うようにイリセの胸元をぺしぺしと叩いている。イリセが震えながら片手を差し出すと、黒い腕はそれをポンッとイリセの手の中に落とした。

 卵が割れるようにパキンと音がしてイリセの手の中でその真っ黒な玉は脆く砕け散り、中の黒いものが飛び散るようにしてイリセの足下に落ちて足の下から影の輪郭を作り、墨で塗り潰したような真っ黒な色で一度存在を示した後、溶けるように提灯の明かりに照らされたノニの影と同じ薄く揺らいだ色になった。

「………戻っ……た? 僕の、影……」

 イリセが自分の足下を覗き込んで呟き、座敷童がイリセの肩から地面に降り立ってノニの肩に昇って来る。息を吐いて白金の延べ棒と黒い手から朱色塗りの棒を離し、ノニはそれで一ツ目のカラスをちょいとつついた。

「何だい、もうないよネ。今夜の商品はそれで終わりだ。」

「これを売りに来た河童の居場所に心当たりがあるか? わたしはそいつから今払った代金の半分でも回収しなきゃいけないんだ。」

 カラスは「アア、アア」と鳴いて、ノニの持っているものを嫌そうに見ながら一本の足で台の上をちょんちょんと跳ねて移動する。

「そりゃ酒飲み河童は大酒飲みと決まっているよネ。ここからちょいと向こうに行ったところに酒を飲ます宴会場があるよ。」

 ノニは礼を言ってイリセを振り返って腕を掴むと、彼ははっとしたように顔を上げた。その何とも言えない安堵と泣きそうな表情が入り混じった顔をノニが背に落ちた毛皮のフードを被せて隠すと、背後からまたカラスが「アア、アア」と不気味に鳴く。

「金なんか諦めてさっさと夜市から出た方がいいよ。アタシは商売だから先に来たあんたに売ったが、影鰐の旦那は凶暴だからネ。人間なんかに先を越されたのが分かったらあんたの影を喰らおうとするんじゃないかネ。」

 一ツ目のカラスを振り返って「ああ、そりゃどうも」と返事をして、ノニはイリセの腕を引いて大通りを進み始めた。言われた通り出来れば遭遇はしたくはないものの、河童に会って金を取り戻すというよりは術者との契約がイリセの影を奪った時点で切れているかを確認しないといけないのだ。契約が切れておらずに何度もイリセを狙って来られるようでは、ノニの仕事はいつまで経っても終わらない。契約を切らせるか、最悪の場合は契約ごと消し飛ばすかだ。

「ノニくん、さっきのお金っていくらくらいなの? あれプラチナの延べ棒だよね? 帰ったらちゃんと返すから……」

 イリセはずっと申し訳なさそうに、ノニの隣を歩きながらそんなことを言っている。この夜市を含めて怪異や魔性の取引には基本的に通貨はなく物々交換をする。さっきの金も白金もノニが別の魔性と取引をした時に貰ったものなので、いわゆる人間社会のような金銭的な価値で手に入れたものではない。

 イリセには言っていないが、そもそもアクタ院長に渡したセジュラの髭は先ほどの大きさの白金2枚以上で売れる時もある。

「マカリさんが怒るからやめといた方がいい。ここには『金銭』って概念はない。自分の欲しいものを自分の持ってるもので譲って貰うんだ。相手によってモノの価値は違うから、相手が納得しないとダメだけどね。」

「持ってるもの………」

 大通りを歩いて行くと露店ではなく広場のようになっている一際騒がしい場所を見つけて、ノニはそこへ入る前に中を一望する。強い酒の匂いと食べ物らしきものを焼く香りが漂い、大小様々なテーブルが並んで大通りと同じように様々な姿の者で混み合っていた。土蜘蛛や大鬼のような体が相当に大きい者もいて河童を目視で見つけるのは難しそうだ。

「オレはその河童を見てないからなァ。」

 毛皮の中でセジュラが呟きノニが思わず眉を寄せると、ノニの肩に乗っている座敷童がぺしぺしとノニの頭を手の平で叩いた。座敷童が分かるのかと思い抱いて肩から下ろしてみたものの特にそういうわけではなさそうな様子で、ノニは座敷童を肩に戻した。

「ノニくん、あの」

 歯切れ悪く声をかけて来たイリセにまだ金を返すなどと言うのかと思ったが、ノニが目を向けるとイリセは自分の足下を見て不思議そうな顔をしていた。

「何か……びりびりするっていうか……僕の影が勝手に動いて何かを指し示すとか、そういうことってある……?」

 影が特に操られているわけでもないのに本体の意思と違う行動をとることは稀にあるようで、文献に記載があったり話にも良く聞く現象だ。ノニがイリセの視線を追ってイリセの影を見ると、提灯の灯りでぼんやりとしたノニを含め他の者の影よりも明らかに色が濃く、イリセが胸のあたりのセジュラの毛皮を押さえて下を覗き込んでいるのに対して、影は広場の方を指差しているように見えた。

「………まあ確かに、イリセの影は一番犯人を知っているはずだな。」

 ものは試しだと考えて影が示す方向へノニが進んで行くと、広場の奥の方に宴会テーブルではなくカウンター席が並んでいるところがあった。鉄製のカウンターに毛皮張りの椅子はあまり大きくはないため体の大きな者は座れないようで、飲み仲間のいないヒト型に近しい者達が座って酒を飲んでいる。その一番奥まった席に肌が赤褐色の河童を見つけ、イリセグループ本社ビルの噴水池で見た河童と同一かどうかノニは遠目からそれをよく観察した。肩から座敷童を下ろしてイリセとセジュラと共にカウンターの近くで留まるように指示してから、ノニはゆっくりと河童に近付き、後ろから肩を叩いて「なあ、きみ」と声をかけた。

 観察して確かめるまでもなかったのかもしれない。肩越しに振り返ってノニの顔を見た瞬間、酒に酔って赤茶けた顔は恐怖に歪んで引き攣り、椅子から立ち上がって逃げだそうとする。そこへ座敷童が足下にタックルをかけて河童を転ばせ、上から押さえつけて拘束した。元々力が強いとは話に聞いているが自分の倍以上の身長がある、しかも力自慢で通っている怪異を制圧する手際を見て、セジュラの言う通り他の魔性や怪異が座敷童を苦手に思う理由が何となく分かった。

「すいやっせん! すいやっせん! 標的が御城のお坊ちゃんだと知ってたら契約なんかしなかったんっす!」

 座敷童に下に敷かれながら必死に言い訳をする河童に、カウンターの中のふにゃふにゃしたナマコのような姿の店主がもふぉもふぉと声のようなものを上げ、喧嘩用なのか何なのか、カウンター横の少し開けたところへ行くようにもぞもぞしたジェスチャーで案内して来る。

「まあ、きみ達の契約の性質も一応理解はしているから、何もなければ皿をカチ割るのは勘弁してあげよう。少し話を聞かせてくれ。」

 見下ろしながら言ったノニの言葉に何度も頷いて、河童はナマコの店主の案内に従って座敷童に手を引かれながら移動し、ノニはイリセとセジュラに手招きをしてこちらへ来るように呼び寄せたのだった。

     ****

 スタッフなのか、妙に長い腕と体をした虫のようなものがどこからか持って来て置いてくれたテーブルにつき、河童に酒を与えてやるとそれはもうぺらぺらと事件の全容を語り出した。

 河童の話を要約すると、地元の九州の現世の海にいた時に突然術者に呼び出されたらしい。術者の血筋の原点が九州だったのか、狙って呼ばれたかは分からなかったが、それほど腕の良い術者ではなく、恐らく血筋に縁のある者しか呼び出せなかったのだろうということだった。

「『使役される』って感じじゃなかったんす。座敷童をさらうか、ある人間にかけている呪詛に協力するか、選べーみたいな? 最初はそう言ってたのに、お坊ちゃんが強くてなかなか参らないんで結局は座敷童をさらって来いって言われて……」

 テーブルを見つめて話していた河童はそこで言葉を切り、ちろりと視線を上げてイリセの膝の上に抱かれている座敷童を見た。

「この子めっちゃくちゃ強いんすよ。こんなん俺にさらえるわけなくてっすね、仕方なくお坊ちゃんの影を貰って呪詛を完成させたってテイで何とか契約終わって貰いやした。」

 話を聞き終わって、ノニはこれで事件自体が一段落したなと少し安堵する。術者に関してはマカリが犯人探しをするような様子だったし、この間にもう既に見つけているかもしれない。

「あの……おしろのお坊ちゃんっていうのは、何?」

 イリセが怪訝な顔で尋ねると、河童はきょとんとした顔になってからイリセの顔を水かきで指す。

「古い妖怪の類いの連中には有名な話っすよ。座敷童を自分の子にして長年出て行かれることもなく繁栄し続けてる。あんな天まで届く建物があって色んなモンが住んでて、あの中に小っちゃな世界が裏も表も全部詰まってる。だからあの家で生まれたモンは『御城のお坊ちゃん・お嬢ちゃん』って呼ぶんす。」

「座敷童を……自分の子にした?」

 河童の言葉を繰り返すようにして聞き返し、ノニは座敷童の方へ視線を落とした。照れているような誇らしげなような嬉しそうな笑顔を見せて、座敷童は両手を握って楽しそうに振る。肯定をしていると捉えて良さそうだ。

「ええ。それにこちらのお坊ちゃんは大人になる前に縁が出来てるみたいで、どうも受ける影響が大きいみたいすね。」

 イリセが何かを思い出そうとするように座敷童を見るものの、思い出せないらしくそのままゆっくりと首を傾げて目を閉じる。ノニは、座敷童が持っていて既に付喪神に近い何かとなった黒い蛙のぬいぐるみを思い出した。座敷童という怪異は、本来は住まう家の者か子どもにしか見えないものだ。あの超がつくほど巨大なビルを「家」と称してしまうのであれば、毎日出入りする社員は使用人としてのルール分けがされるかもしれない。古い時代の商家であれば住み込みの使用人や奉公人がたくさんいたはずだ。そこでふと、ノニは自分自身が寝泊まりした住居の一室を思い出した。

 宿、だ。

 寝泊まりすることで、座敷童は「家の者」として認識する。だからあの日深夜を回った時間帯にはノニにも見ることが出来るようになった。だからこそあのビルの中の部屋をやたらと不便な限定された人間が住む住居にしたのが、恐らく本当の理由だ。

 だがイリセは過去、あのビルに唯一出入りが可能な子どもだった。一晩過ごさなくとも本来は遊びたがりの座敷童の興味を引くのは当たり前だっただろう。

「……ひょっとして社に招かれたのか?」

「えっ、怖。」

 ノニの言葉にセジュラが短く言葉を吐いた。

 神や怪異は関係なく人間の住む現世から異界の入口である社に招かれると、強制的に存在を剥がされることがある。実際それを「神隠し」と呼ぶ。相手がアフターケアを怠らない繊細なものであればそのまま現世に戻して貰える人間もいるものの、大体は忘れる、運良く戻して貰えても時間の進み方が違う異界からそのまま戻されるなど、雑な扱いになることがほとんどだ。イリセが子どもっぽく成長しているというより、ひょっとすると年単位で現世の時間を飛ばした可能性はある。

「うーん………」

 イリセが悩みながら目を開いて座敷童を見るものの、心当たりはなさそうだ。アフターケアが丁寧なものの中には記憶を消す場合もあるということなので、そういうことかもしれない。座敷童は元々怪異だが、この国は信仰によってどんなものでも神格を得る。古くから富をもたらす存在として社まで作って貰って祀られていたからには、神格に近い相当な力は得ているだろう。

 だがここからはもう彼自身の家の問題だ。事件自体は解決し、一旦ノニの仕事は終わった。

「よし、じゃあそろそろ帰るか。時間の経過が分からないから、下手をすると浦島太郎になってしまう。」

 そう言いながら立ち上がると、河童は顔を上げて自分を指差すように水かきを顔の前でひらひらさせた。

「あ、お、おいら、お送りしやすよ! あんたと御城のお坊ちゃんとの縁があれば、変なことに巻き込まれないす!」

「何だ、名前を教えるのか? わたしは教えないぞ。」

「おわぁ、えっと………名付けを貰っ………いや、教えるっす!」

 契約とは少し違うものの、人間と異界の者がそれなりに強い縁を結ぶためには名前を教えるか、どちらかが名付けをする必要がある。名を知られるのは「支配される」という意味合いが強いのだが、教えることで強者の加護を受けることも可能だ。特にノニのように使役を目的とはしないものの時折協力すればいい、というような者の加護を受けるのは魔性にとってはメリットが大きい。特に腕の悪い術者に呼び出されて使われてしまうような力の弱い者には、そういったことを防ぐ一つの手段だったりする。

「おいら、ゼンって名っす! こういうとこで道案内くらいは出来るすから!」

「ノニと呼んでくれ。こっちの毛皮はセジュラ。」

 言いながら河童が立ち上がるのを見ながら、ノニは自己紹介をした。イリセが少し戸惑ったような顔でノニを見てから、はた、と何かに気付いたように頷いた。

「えーと、僕は……」

「あっ、イエイエ! あんたは御城のお坊ちゃんでいいす!」

 名乗りを遮られて少しショックを受けたような顔をしたものの、イリセも座敷童を抱いて立ち上ると、その瞬間、広場の方で獣の咆哮のようなものが聞こえた。振り返ると白い毛皮の狼男のような風体のものが、肩から血を流して叫んでいる。

「何だ何だ、喧嘩か?」

「影なんか買うかこの魚頭ァ! くそっ、くそぉッ!」

 喧噪に混じって聞こえる内容にノニがセジュラに目をやると、ぬるりと変化して座敷童の方へ移動し、その体を包んで猫の着ぐるみのような姿になった。

「えっ、可愛くなった……?」

「どうやら影鰐の耳に入ったらしいな。たぶん『白い毛皮を着た男』を探しているんだ。座敷童や御城のお坊ちゃんってことも知っているかもな。」

 ナマコが立っているカウンターの奥に裏口を見つけて、ノニはイリセの体を押してそちらへ行くよう促す。

「おいゼン、こいつを先に連れて行ってくれ。言っておくがおかしな真似をしたら皿を粉になるまで磨り潰すからな。」

 河童のゼンは震え上がるように口元に水かきを当てて何度も頷き、イリセに手招きしながらナマコに頼んで裏口から出て行った。

「ノニくんはすぐ後から来るんだよね?」

 イリセが裏口の前で振り返って不安そうに言うのを、ノニは目を細めて口元に笑みを作って答える。

「すぐ後は無理かもな。あれがお前の影に固執してるなら、諦めさせないといけない。」

 目を見開いて瞳を揺らしたイリセを押し出すように裏口から出すと、何か言いたそうに口を開くもののそれを押し留めたように「気を付けて」と喉から声を絞り出した。ノニは頷いて裏口の扉を閉め、カウンターにバックパックを置いて中から朱色塗りの棒を取り出して、白銀色の棒を下の方へ弾薬を入れるようにぐるっと差し込んでから、バックパックを背負い直した。

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