十一月八日
昨日と今日で家族旅行に行ってきた。淡路島で一泊して水族館やら動物園やら物産展やらいろいろな場所を巡ってきた。やたらと玉ねぎをPRする淡路島の物産展も、街中にあった、ご老人二人が運営している小さな水族館のあまり手入れされていないような水槽のアクリルも、物憂げに水に浸っていたカピバラも、こちらの呼びかけに反応しないまま、いつまでも足でフルーツを食べていた白いオウムも、ホテルで父親と飲んだ数本の缶ビールも、全て私の心に残っている。両親だけでなく、弟も、そして私も、今回の旅行を満喫したというわけだ。しかし、この手記に読者がいたとして(そんなことはほとんどあり得ないのだが)諸君には、私がどのような思考習慣を持っているか、よくお分かりだと思う。私は旅行の間中、無い筈の疎外感に気が重かった。私ひとりだけが家族の中で異質で、旅行を楽しむ資格がないような、そんな気がしていたのだ。それはもちろん、私が自身の労働だけでは自身の生活を立てることができず、両親の援助を受け続けているからかもしれない。或いは旅行の前日にロッカー工場を仮病で休んでしまったからかもしれない。とにかく、私ひとり、まともでなかったのだ。たまの休日に家族揃って旅行をするなどという贅沢は気が重いといって仮病を使わずに日々労働に励み、家族を養うことができ、或いは身を立てることのできる父や母、弟のようなまともな人間にしか許されないことなのだ。そこへ怠け者がひとり、後ろからついていって「このわかめソフトとやらは少し不味い」などと顔をしかめること自体、昆布飴のまがい物みたいなわかめソフトよりよっぽど不味い。不味いを通り越して、酷い。
父親はそろそろ六十に手が届こうという年齢に差しかかっている。本来なら長兄の私がボーナスでも貯めておいて「さあ、お父さん。この鍵はね、あの車のだよ、さあ」などという気の利いたセリフと共に私がいつまで経っても名前を覚えることのできない車をプレゼントする立場なのだ。そうでもなければまともに身を立てて、「さあ、お母さん、これが僕の恋人ですよ」などという気恥ずかしいセリフと共に孫の顔の幻影でも投影する立場なのだ。せめて、「弟よ、ゲーミングチェアが欲しいと言っていたね。明日そちらに届くから受け取りたまえ」などという有難迷惑をする立場なのだ。間違っても三十を目前にして自分の生活すらまともに立てられないようなそんな親不孝者になっていてはいけないのだ。その筈、だったのにね。どうして私はこうなのだろう。両親の苦悩を思いながらなんとかして次回のロッカー工場勤務を免れられはしないかと案じているような馬鹿息子であってはならない筈なのに。
両親の恩には、報いなければならぬ。それができないなら、せめてまともにならなければならぬ。そう思いながらも、未来の労働を思うと指先ひとつでさえ、動かすのが億劫だ。誰かからの些細な期待にさえ応えられないのではと感情がかき乱されて、怖くて仕方ない。どうやら両親はとんだ不良品の馬鹿息子に巡り合ってしまったようだ。少しでも、まともに生きられたら、ねえ。
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