九月二十三日
明日は工場のバイトだ。気が重い。この不快感は私が単純に職場に慣れていないためのものに違いないが、それにしたって不快すぎる。こう思われたらどうしよう、こういわれたらどうしよう、期待に応えられなかったらどうしよう、落胆されたらどうしよう、役立たずと認められたらどうしよう、人間関係がうまくいかなかったらどうしよう、耐えられなくとも耐えるしかないのか、あの環境でうまくゆかない者が何処に行ったって通用するわけがない。よくもまあ、これだけすらすらと列挙できる程の不安が出てくるものだ。以前の私であれば、これは人類共通の思考に違いないと確信していた。しかし、最近になって思う。もしやそうではないのか? 考えてみれば、アルバイトの体験ひとつでこれだけ不安を増長させることができるのはもはや才能ではないかとすら思えてくる。もしかしたら世間のまともな人々ならば、もう少し心穏やかに同じ境遇を過ごすのではないかと、最近になって思うようになった。感受性が豊かだとか、感覚が鋭いだとか、そんなイカしたカッコイイものではない。ありもしない不要な幻想を作る能力ばかり達者なのである。真に私を苦しめているのは労働の時間ではなく、労働の苦悩を思って悶える前夜である。
さて、この辺りでひとつ、この日記に変化が見えてきた。工場でのアルバイトを始める前後で悩みが変わっているのである。以前は率直に述べるなら死ぬことばかり考えていた。こんな人間が生きていていい筈がない、死ぬよりほかない、と。しかし、アルバイトを始めてからというものの、それら希死念慮がアルバイト先への不安に取って代わられたわけだ。どちらが精神衛生に良いのか、判断に悩む気もするが、少なくとも死を切望するよりは幾らかマシな気がする。そう考えて見るとどうだ。この大馬鹿者、少しは生きる希望を見出しているではないか。工場への不安皆、結局は自身が生きるという前提のもとに構成されている。生きるという選択をしているからこそ、不安にもなるというものだ。大丈夫、まだいける。
明日もまた不安に違いない。出勤前の喫煙タイムなど、到底まともな精神ではいられず、不安を量産しているだろう。その時点の私に向けて少し、メッセージを送ってみよう。
聞け、馬鹿。オマエの履歴を見渡してみろ、ロッカー工場でのアルバイト以上に苦しい思いなど幾らもしてきたではないか。そしてオマエは今、生きている。つまりそれらの苦難を時に乗り越え、時に迂回し、時に見なかったことにし、上手くやってきたのだ。だから、大丈夫。オマエはロッカー工場での勤務ごときで打ちのめされるような軟弱者ではないということだ。もう一度言う。履歴を見渡してみろ。そして、それを越えた偉大な人物が自分であると自覚しろ。さあ、行け、偉大な人生の開拓者。明日、全てのタスクを越えたオマエに会いに行け。健闘を祈るまでもない。
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