八月三十日

 仕事を新しく始めようかと考えている。最低でも両親からの援助なく生活していけるだけの金銭を自分の力で得られようにしなければならない。最近になってようやくそんなまともな考えに至るようになった。しかし、次の一歩が踏み出せない。ネットで求人を検索してみても応募画面に進めないのだ。変化が怖い、誰かに落胆されるのが怖い、自分がいかに役立たずか、今以上に露見するのが怖い。いや、結局はそんな言い訳を並べて、怠けていたいだけなのかもしれない。

 最近ようやく状況打開の方へと思考が至ったにもかかわらず、一層焦燥感が募るばかりだ。変えなければならないのに、何もかも恐れて浮足立つだけだ。変わらなければならないのに、変われない、行動できない。それがこんなにも苦しいのだ。早くまともに戻りたい筈なのに、どうしてこんなにも躊躇してしまうのだろう。

 しかし、私の人生が少しだけまともに向き始めたのかもしれない。躊躇しているとはいえ、仕事を始めなければならないという義務感を感じられるようになっただけ、まだこの男、救いようがある。考えてみればよくもまあ、こんなに長い間、両親からの援助を受け続けて生きながらえたものだ。現在だってそうなのだが、思い返してみればため息が出る程情けない。私は少し遅れて正気がやってくる性質なのかもしれない。それとも精神の成熟度合いが肉体と釣り合っていないのかしら。

 しかし、新たに仕事を始めたとて、上手くいくのかしら。今の仕事だけでもう精一杯なのに、これ以上働ける筈がないという声が胸の内から聞こえてくる。本当のところ、私はこれ以上苦労したくない。自身の歩んできた履歴の中に、十分すぎる程苦悩が詰まっている。今思えばその苦悩が悪い意味で今の私を形成したのかもしれない。幼い頃通っていた空手教室で人の顔色を窺い続ける術を得て、高校時代には一向報われぬ努力を続ける惨めさを知り、大学時代では苦悩を知らなければ誠実でないと教えられ、自身の矮小を知った。そして今、私は自分一人で生活してゆくことができない現実を前にして、まともたり得ない自身の情けなさを痛感しているのだ。生きてゆくということは履歴の延長だと信じてしまっている自分がいる。もしかしたら未来には苦悩の無い野原が広がっているかと考えられればどれだけいいだろう。今の私にとって未来はこれまでの履歴が繰り返される荒涼の地にしか思えない。生きていたいと思えないのが、私にとっての世界なのだ。

 苦心して新たな仕事を始めたとて、そうまでしなくては生きて行けぬ世界なら、私は生きていたいと思えない。小説だけ書いて生きてゆきたい。それも大衆受けなど絶対しない、注釈の無い物語だ。それをなんのしがらみも無く続けてゆけるとしたら、それが私にとっての理想郷だ。たったそれだけの夢が、叶わない。生きてゆくために労働しなければならないのなら、私は別に生きていたくない。

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