第2話

荒野のファーストミール

女神への怒りの絶叫も虚しく、鏡山純の意識は光の奔流に呑まれた。

次に目を開けた時、彼を包んでいたのは、乾いた風と血のように赤い太陽の光だった。

「……どこだ、ここ」

見渡す限り、赤茶けた大地と奇妙な形の岩が転がる荒野が広がっている。空はどこまでも高く、日本のそれとは違う、深く濃い青色をしていた。理不尽な女神の言葉が脳裏をよぎる。ここが、アナステシア。

女神への怒りが再び込み上げるが、元自衛官としての冷静さがそれを抑え込む。まずやるべきは現状把握だ。幸い、体は五体満足。服装も、パーキングエリアでうどんを食べようとしていた時の作業着のままだ。

「スキル…【トラックスマッシュ】とか言ってたな」

半信半疑のまま、純は目の前の何もない空間を睨みつけ、強く念じた。

「えっと……トラック、召喚!」

その瞬間、純の目の前の空間がぐにゃりと歪み、次の刹那には見慣れた愛車の姿がそこにあった。何もない荒野に突如として現れた10トンの鉄塊。あまりの現実離れした光景に、純は思わず声を上げた。

「おぉ、すげぇぇ…!」

駆け寄り、そっと車体に触れる。ひんやりとした金属の感触が、ここが現実であることを伝えてくる。彼は慣れた手つきで運転席のドアを開け、コクピットに滑り込んだ。手に馴染んだハンドルの感触、体にフィットするシート。そこは、この訳の分からない世界で唯一、彼が心から落ち着ける場所だった。

エンジンをかけると、腹に響く重低音と共に車体がわずかに震える。

「よし…!」

純はアクセルを踏み込み、砂塵を巻き上げながら荒野へと走り出した。まずは人里を探さなくては始まらない。

どれくらい走っただろうか。窓の外の景色は一向に変わらず、陽が傾き始めた頃、腹の虫がぐぅ、と鳴った。

「腹が減ったなぁ…」

そういえば、うどんを食いっぱぐれたままだった。食料も水もない。このままではジリ貧だ。

その時、前方の岩陰に、ごそごそと動く緑色の小さな影を十数体、純は発見した。

「あれは…」

醜悪な顔、みすぼらしい棍棒。ゲームや小説で見たことがある。ゴブリンだ。

モンスターがいるということは、ここは本当に異世界なのだ。そして、純の思考は元自衛官らしく、極めて実践的な方向へとシフトする。

「ゴブリンって、食べれるのか?」

生きるためには、食料が必要だ。自衛隊のサバイバル訓練では蛇も虫も食った。相手が人型なのは気分が悪いが、背に腹は代えられない。覚悟を決め、純はニヤリと口角を上げた。

「食うために、狩る!」

彼はトラックを岩陰に隠して一旦停止させ、ゴブリンの群れが油断して街道らしき場所へ出てきた瞬間を狙う。

そして、アクセルを床まで踏み抜いた。

「トラックスマッシュ!!」

その叫びが、スキルの発動トリガーだったのか、あるいは単なる雄叫びだったのか。凄まじいエンジン音を轟かせ、巨大な鉄の獣が獲物へと襲いかかる。ゴブリンたちは突如として現れた脅威に気づき、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑うが、時速100キロを超える鉄塊から逃れられるはずもなかった。

ゴツッ!ミシミシッ!

鈍い衝撃が何度も車体に伝わる。ルームミラーには、無残に転がる緑色の肉塊だけが映っていた。

夜。純はトラックのヘッドライトを照明代わりに、焚き火を起こしていた。手際よく解体したゴブリンの肉を木の枝に刺し、じっくりと炙る。肉の焼ける香ばしい匂いが、鼻腔をくすぐった。

「さて、お味は…」

覚悟を決めて、こんがりと焼けた肉にかぶりつく。

「……!」

予想に反して、臭みはなく、鶏肉に似た淡白な味がした。少し筋張っているが、塩胡椒がないことを考えれば上出来だ。

「結構、旨いな!」

空腹は最高のスパイスだ。純は夢中で肉を平らげ、満腹になると、トラックの荷台に腰掛けて異世界の空を見上げた。見たこともない星座が、満天に輝いている。

理不尽な死。サイコパスな女神。訳の分からない世界。

だが、腕にはスキルがあり、傍には頼れる相棒がいる。そして、食料も自分で調達できた。

「悪くないかもな、異世界生活ってやつも」

鏡山純は不敵に笑い、彼の波乱に満ちた異世界でのトラック野郎伝説は、ゴブリン肉の味と共に、静かに幕を開けたのだった。

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