第07話 記憶文明から記録文明へ

[newpage]#01 記憶補助のための記号体系

 記憶の補助として、記号を器に刻むのが、縄文土器の中期から後期に始まっていく。火炎式土器と呼ばれ、文様や形状をしるしとして、記憶の補助として用いられていた。

 魚漁や狩猟に出かけるのを役儀とするモノは、自分を示すモノを、首飾りや衣に示し、刺突はぢちのように、所属や自分自身を示す記号を、入れ墨として自分自身に記憶させることもあった。刺突はぢちの文様体系は、そのまま、記憶の補助記号の体系でもある。


 地域によっては、記号が体系化されて、一定の記録として用いられるようになっていった。首飾りの装飾法は、アメリカ大陸の先住民が用いていた、Wampamベルトのようなモノであり、長距離交易の記念碑みたいな形で、長期記憶補助として用いられていた。


[newpage]#02 漢字が記録に用いられた理由わけ

 日本全国には、様々な形で、記憶伝承補助としてしるしの記載方法が、地域によって異なる形で、伝承していた。神代文字や阿比留文字といった、記憶文明期の記号体系は、地域によって異なり、日ノ本全土で、同じような形で、統一体系化されたものではなかった。


 また、記憶文明による記号体系は、地域によって異なる以上に、自らの記憶文明を否定しかねない体系であったため、他者に知識として伝えられることは無かった。


 記録文明を、日ノ本で確立するために、「漢字」が用いられたのは、記録に用いることが可能な、記号体系として既に確立していたことにある。


 結果的に「漢字」が、記憶文明の継承として、用いられた。


 和銅5年712年稗田阿礼が記憶継承していた「古事記」を筆写するために、「漢字」が用いられここに、日ノ本の記憶文明へ浸透が始まっていく。万葉仮名を含めて、漢字による記録が確立していくのは、漢字が表音だけでなく、意味を示すしるしとしての特徴があったからだ。

 日ノ本の記録が、漢字によって実行された結果、漢字の持つしるしとしての特徴を示す必要があり、五戒を含めた仏典が、参照資料として用いられた。 仏教資料の導入は、「漢字」が持つ、意味を示すしるしとしての特徴を知ることにあった。


[newpage]#03 意味は象徴しるしとなって、新たな言葉が生まれる

 縄文期における記号体系は、記憶補助の象徴しるしとして、確立していった。石で環状列石を築くのは、日時計を記憶する理由を示し、説明するための道具であった。


 ペンタグラムやヘキサグラムは、桔梗紋や籠目紋として、日本でも知られる、文様の象徴となっている。様々な文様が、意味を記憶するための象徴として、日本では記憶補助に用いられている。


 「漢字」が意味を持つことを利用して、「漢字」によって、記憶伝承の補助に活用する流れが生まれている。俳句における季語の扱いは、象徴シンボルの記憶伝承であり、使用者が増加することで、記憶伝承は拡大していく。


 また、“東風こち”が、春の象徴であり、“南風はえ”が、夏の象徴であるように、漢字に「読み」を加えて、新しい日本語を生成するという流れが、文明に組み込まれています。

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