第二章

 鉄壁の大要塞、アウシュビッツ。

 ユダヤの民族を迫害する施設を軍の最高施設に押し上げたのは単に彼らが博愛主義者ではなくルフテンブルグの軍事と帝国思想に力による地位向上する文化が彼らの民族的思想に融合したからだ。彼らはユダヤ人だが信仰はしていない。神を信じるのは心弱き愚者のすることだ。この思想はこの世界では一般的だ。宗教とは魔法の使えぬ魔法族がその心を癒やす程度の宗教と王家と貴族がその権威が神より授かった神聖なものとする王位正統主義が蔓延する宗教観のふたつがあり、この要塞の主義は王位正統主義と現実主義だった。つまり、いちいち神に祈るような暇は軍人にはなくユダヤ人でありながら生活に祈る時間は一切なく、ひたすら自らの民族の地位向上を目指すのみだ。もっと言えばユダヤ人だからなどという被害者意識などこの加虐思想の跋扈する世界では無意味な配慮だ。だからこの物語上、程度の低い民族配慮意識は物語上一切配慮されない。これは例えだが、今後物語に日本が出たとして、魔法世界はきっとその日本と対立したとして、戦略上、容赦なく戦略魔法爆弾を落とすだろうし、日本もアメリカに核を落とそうとするし、蒋介石も独立のために戦争に舵を取るだろう。だがその結果として戦争を始めたからと言って反省もしないし、負けた国も反省はしない。戦争はただの結果だ。ただ避けようとする努力は必ずしている。

 価値観が違う、甘ったれた宗教観が違う、非現実主義が完全に否定された超現実主義の世界だ。

 「アインシュタイン。この核というのは本当に効くのか?」

 「理論上、この森を地獄に変えるのは容易いでしょう。あの船程度、すぐに地上に落としてやります」

 アインシュタインは黒い小型のミサイルを愛おしそうに撫でてそう言う。

 長崎型核爆弾。広島型より数弾熱量が大きく、人を影のみにする。つまりその存在ごと溶かすのだ。骨も残らん素晴らしい兵器だ。あくまで直下に居たらの話ではあるが。

 「日本人は抗議するでしょうな」

 「撃つは容易く、撃たぬは困難か。道徳主義者はいつも暇だな。撃たぬ努力など国家はいつもしておる。だが民間人相手に撃ったアメリカ程度と魔法国家が同程度の土俵に立っていると考えるのは侮辱だぞ。軍人が核で死ぬ程度に怯えるのなら、そもそも軍人たる資格はない。撃て」

 まるで原子炉を動かすような冷静さで核爆弾は撃たれた。

 これがこの世界だ。すべての国が冷酷に虐殺される可能性を秘めた加虐思想の跋扈する世界だ。

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アウシュビッツ地方の女王アンネ nayo. @wkuht

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